PARTNERパートナーとの取り組み

SHODAN -湘談-

ゴール裏からオフィシャルクラブパートナーへ
ベルマーレを支えるさまざまな形

馬車道法律事務所 × 株式会社ドローン・フロンティア ×湘南ベルマーレ

湘南対談企画「SHODAN-湘談-」第8回のゲストは、馬車道法律事務所で弁護士を務める黒澤知弘さんと、株式会社ドローン・フロンティア代表取締役社長の府川雅彦さん。かつてゴール裏で太鼓を携え、チームを応援していたお二人は、どのような想いを抱いてオフィシャルクラブパートナーになったのか。水谷尚人社長を交えた鼎談は地元愛に満ちるとともに、クラブに対する寄り添い方を考える奥深い時間となりました。 以下敬称略

――はじめに、お二人がサポーターになったきっかけを教えてください。

黒澤 僕は藤沢で生まれ育ったのですが、父が茅ヶ崎で魚屋を営んでいて、その後、昭和60年ぐらいかな、大和市に引っ越すことになりました。「いつか湘南に帰ってこような」と父に言われつつ、生活していたなかで、平塚に住んでいる友だちが、「いまサッカーが盛り上がっていておもしろいよ」と教えてくれた。それが1993年、ベルマーレ平塚がJリーグに昇格する前年ですね。当時、僕は高校生で、とくにサッカーをやっていたわけではないんだけど、一度観たら楽しくて、それ以来スタジアムに足を運ぶようになった。引っ越して離れましたけど、もともと湘南という地域に愛着があり、自分の地元は湘南という意識が強いので、故郷からJリーグに参入するクラブが出てきたことがうれしかったんですよね。それに加えて、実際にスタジアムへ行ったときの熱にハマり、自然と自分のなかに沁み込んできました。

水谷 93年にJリーグが開幕し、サッカーが盛り上がっていた時期ですからね。ドーハの悲劇があったからなおさら加速したと思いますよ。府川さんはどんなきっかけで応援してくださるようになったんですか?

府川 僕は4歳の頃に平塚に移り住み、5歳のときにはもう父に連れられて平塚競技場へ行ってました。平塚に住んでいるとほかのチームのことは頭になくて、僕らの街にはベルマーレ平塚しかないという感覚でしたね。僕自身、小学生の頃からサッカーをやっていて、試合をするとなれば大神のグラウンドを使うこともありましたし、大神に行けばクラブハウスがあったし、という感じで、小さい頃からベルマーレは身近な存在でした。98年のフランスワールドカップも覚えていますし、その年ベルマーレ平塚が名古屋グランパスエイトに0-5で負けたことも覚えています。あのときはめっちゃ泣きました(笑)。また小6のときには平塚競技場でベルマーレジュニアと対戦して、0-5ぐらいで負けたこともありましたね。

水谷 府川さんは何年生まれですか?

府川 90年2月です。早生まれなので、鎌田翔雅世代ですね(笑)。対戦したこともありますよ。いまのチームで言うと、大岩一貴選手や大野和成選手、富居大樹選手の世代です。

水谷 ベルマーレのアカデミーに入ることは考えなかったですか?

府川 中学に上がるときに少し考えましたが、友だちと話して、クラブチームより部活でやろうということになりました。プロになりたいという想いはあったんですけど、ベルマーレのジュニアユースと対戦したときも0-3ぐらいで負けて。そんなこんなでプロになるのは中学のときに諦めました。

――ゴール裏で応援するようになった経緯を教えてください。

黒澤 関わりが深くなるのは98年の存続危機ですね。あのときに自分の好きなクラブを奪われるという感覚が初めて芽生えて、さらに世の中の不条理さ、社会に関心を持つきっかけになった。ちょうど自分が大学生の頃で、そのあたりからサッカーを通して社会を考えるようになり、現在の弁護士の仕事に繋がっていきました。

水谷 そこがきっかけなんですね。

府川 なるほど。

黒澤 98年は横浜フリューゲルスの合併問題もあったので、そこでも署名運動に参加しました。それまでは不条理というものを目の当たりにしたことがなかったんですけど、あのときに、一部の論理ですべてが決まり、サポーターやファンが置いてきぼりにされてしまうような、ヨーロッパなら絶対あり得ないだろうことが日本では普通に起こってしまうんだなと思ったんです。加えてベルマーレの存続危機もあり、お金がないと生き残れないんだなとか、いろんなことを考えさせられた。あの年はサッカー界が岐路に立たされたタイミングでしたよね。

水谷 その一方で、日本代表はフランスへ行きましたしね。

黒澤 フランスワールドカップのチケット問題では弁護士がトラブルの相談を受けていたし、ベルマーレの存続危機の際も然り、弁護士が意外にサッカーと近いことを知って、この仕事に興味を持った感じですね。

水谷 いまお話しいただいたような感覚を先生は若い頃から持たれていたんですか?

黒澤 実家が魚屋だから不条理には普段から慣れているんですよ(笑)。でも、なんだろうな……サッカーにすごくハマったから、自分事として受け止めたし、自分の大好きなものが奪われるとか、軽く扱われてしまっているとか、サッカーというものがこのあとどうなってしまうんだろうという想いも含めて、心情的にすごく耐え難かったですね。それで街に出て署名したわけです。いずれにせよ、そうした出来事が転機となり、よりサッカーにコミットするようになって、ゴール裏で大旗を振ったり、時々、太鼓を叩かせてもらったりするようになっていったのが98、99年あたりからですね。

府川 98年というと、僕は小学校低学年ですね。

――府川さんはどういった経緯でゴール裏で応援するようになったのですか?

府川 僕は小中高と、毎回ではないですけど、ベルマーレの試合を観に行っていました。高3の夏に部活を引退すると、時間ができて、さらにスタジアムへ行く頻度が上がったんですね。その頃、たまたま年齢の近い知り合いがEL FRENTE SHONAN(EFS)にいて、彼に誘われて入ったのが2007年です。興味本位でしたけど、応援するのは好きだったので、正式に入りました。なので、08年はアウェイも含めてほぼ全試合行ったと思いますし、その年の途中かな、EFSの会議で太鼓をやりたいと立候補して、それから太鼓を叩くようになりました。

黒澤 98年当時は、太鼓は福留さんが叩いている1台だったんですよね。それだと少し寂しいから増やせないかなとずっと思っていて、ある日、太鼓を購入してスタジアムに持ち込んじゃったんですよ。

府川 自腹で買っていったんですか? 強キャラですね(笑)。

黒澤 そう(笑)。今、振り返るととんでもない話で、改めてお詫びしたいと思います。たしか99年の開幕あたりだと思うんですけど。そこから徐々に応援に混ぜてもらって、複数太鼓体制になっていったという流れですね。

――ゴール裏から、その後の歩みも聞かせてください。

黒澤 試合当日は朝から応援の準備をする合間にスタジアムで司法試験の勉強をしていたんですけど、それだとなかなか受からない(笑)。それで日韓ワールドカップが終わった02年でゴール裏を引退し、勉強に専念しました。翌年合格し、それから数年は仕事に没頭して、07年か08年ぐらいですかね、またスタジアムへ足を運ぶようになった。その際にサポートコーポレーション(サポコ)の存在を知って、「あ、自分もこういう形で経済的にクラブを支えることができるな」と思い、ゴール裏で応援することからサポコに切り替えて、ふたたびクラブとリンクするようになりました。

府川 僕が最も応援に精を出していたのがまさに08年、大学1年のときでした。ゴール裏からは翌年離れたんですけど、でもベルマーレのことはその後もずっと頭にあって、いつかまた関わりたいと思っていた。だから大学を卒業し、サラリーマンを経て独立したときも、創業社員たちには「どこかでベルマーレに行くから」とずっと話していました。

――起業されたのはいつですか?

府川 大学卒業後、3年間企業に勤めて、15年に独立しました。でもそのときはお金がないので、まだスポンサーになることは頭になかったですね。現在オフィシャルクラブパートナーになっている株式会社ドローン・フロンティアを創業したのは17年です。ドローンは間違いなくベルマーレに、ひいてはサッカーに貢献できるツールだと思っていたので、いずれは関わりを持ちたいと思っていた。その最初が「COPA BELLMARE」で、19、20年と、2年間協賛させていただきました。その後、僕の知り合いの会社と連れ立ってベルマーレにグッズの提案に伺ったときに、その連れが「府川さんがスポンサーをやりますから」って、僕はまだなにも決めていないのに謎の営業をしたんですよ(笑)。さらに、そこへシマさん(島村毅)も来て。シマさんは、デビューした年にゴール裏で応援していた思い入れのある選手で、そのひとが営業担当というのも不思議な縁だなと思って、その場でオフィシャルクラブパートナーになることを決めました。

――具体的にはどういった支援をされているのでしょうか。

府川 トップチームへの支援のスタートは昨年7月の御前崎キャンプの協賛です。お金の面はもとより、馬入の練習も見られないコロナ禍のなかで、ファン・サポーターの皆さんにチームの様子を届けられたらと、ドローンで空撮し、地上からの撮影と合わせて映像を制作しました。またオリジナルキャンプTシャツをつくり、クラブのチャリティオークションを通じて、その収益を徳島ヴォルティス戦の親子無料招待企画に充てさせていただきました。先ほども話したように、僕はずっとベルマーレにドローンを使ってほしかったんですね。御前崎キャンプでそれが実現し、さらにコーチングスタッフの方々が練習やミーティングで使いたいと言ってくれたので、操縦の技術指導と機体の贈呈をさせていただきました。今年の鹿児島キャンプでもドローンを活用してくださっています。

水谷 僕も映像を見させてもらったけど、上から俯瞰して選手の動きを捉えられるから、よりよい指導ができると思いますね。

府川 実際、ドローンで撮った映像を編集して、ラインや選手の距離を確認したり、赤で示したりしているそうです。僕としても、チームの強化に携わることができ、喜んでいただけてすごくうれしいですね。お金以外のなにかを提供したり、クラブと一緒に取り組めたりするほうが僕としては楽しいので、今後もそういうことを考えていければと個人的には思っています。

――黒澤先生が在籍されている馬車道法律事務所がオフィシャルクラブパートナーになったのはいつになりますか?

黒澤 2015年ですね。僕には想いが2つあって、ひとつはゴール裏からサポコ、そしてオフィシャルクラブパートナーへと繋がる歩みが、サポーターのスタンダードになったらいいなということ。支援にはいろんな形があると思うんですけど、その歩みをひとつのモデルとして実践していきたいですね。眞壁さん(眞壁潔代表取締役会長)がよくおっしゃっているように、クラブに関わることで身銭を切っている部分はあるけれど、一方でなにがしか地域のためになっているという得難いリターンを得ていると思っています。私の場合なら、自分のルーツである湘南地域に恩返しするためのひとつのツールになっているわけだし、僕自身ベルマーレを通していろんな想いを体験させてもらっている。だからサポコやパートナーなど自分のできることはどんどんやっていきたいし、そういう行動が普通になるような、ベルマーレに根差す文化をこの湘南地域につくっていけたらと思っています。もうひとつは、弁護士としてのリーガルなサービスですよね。私は現在、ベルマーレや横浜F・マリノス、ルーマニア3部のエゼリシェや地域のクラブなどの法的な支援をしていますが、いまはスポーツに法律の問題が絡んでくる時代なので、リーガルな押さえをクラブ側にきちんと提供していきたい。自分の仕事と過去の歩みを繋ぎ合わせていくと、いまの活動に辿り着いたのは必然なんだろうなと捉えています。

――お二人の話を伺っていると、ベルマーレ愛や地元愛がすごく伝わってきます。

黒澤 なんだろうな……ベルマーレは家族というか、自分に付いているものだから、どうしようもないんですよ。たとえばヨーロッパのサッカーを観ていて、どんなに好きだなとか面白いなと思っても、ベルマーレがファミリーであることは生涯消えないんだろうなと思います。自分の歩みそのものですからね。

府川 ほんとにそうですね。僕もできる限りのことをしたいという感覚は、家族や社員に対するものと変わらないですね。

――サポーターからオフィシャルクラブパートナーという立場に変わったことで、新たに気付いたことなどはありますか?

黒澤 憧れて見ていた存在から、いまは近くでフラットにクラブの強みも弱みも把握し、法律的な側面からより緻密なサポートを考えられるようになったと思います。

府川 ゴール裏にいたときと全然違いますよね。

黒澤 そうそう(笑)。当時はもっと単純に見ていたからね。

府川 僕はフロントの方と話す機会が増えて、みんなほんとにベルマーレが好きなんだなと感じました。先ほど話したように、パートナーになったきっかけはグッズをつくったことだったんですけど、そのときに担当してくれた松本麻希さんの対応が素晴らしかったんですよ。クラブスタッフがきちんと対応してくれたことで背中を押されたのは間違いなくありました。外からだと大変そうに見えたけど、近くでいろんなスタッフと関わってみると、みんなめっちゃベルマーレが好きなんですよね。このクラブすごいなと思って(笑)。

水谷 そう言っていただけるのは非常にうれしいですね。

――今後どのようにベルマーレと関わっていきたいか、展望をお聞かせください。

府川 いち経営者としての自分の成長に比例してベルマーレに貢献できることが増していくので、そのためにもまずは僕自身が大きくならなければいけないという考えが根本にあります。そのうえで、できる限りベルマーレに還元したい。水谷さんやシマさんには以前から話していますが、僕はとくに育成の施設を強化したいと思っています。いまドイツや日本代表で活躍している遠藤航選手をはじめ、若い選手が海外に挑戦する流れがベルマーレにはあるので、神奈川の子どもたちがベルマーレに入りたいと思うような、そうして将来有望な才能が集まるような貢献ができるのではないかと自分なりに考えています。またそれとはべつに、今季は10ゴールを目標に掲げている選手が多いので、僕はオフィシャルクラブパートナーを10社増やすことを個人的な目標にしています。

黒澤 素晴らしいですね。ベルマーレには「目の前のごみを拾える人間になろう」という理念がありますが、サポーターやパートナー、クラブに関わるひとたちは皆、クラブと同じ価値観を持っているように感じます。そうして地域が成熟していけばきっとJリーグの理念に近づいていくと思う。弁護士としては法律的な問題の整理、とくに海外を目指す若い選手が多いベルマーレにおいては、移籍金の取り方を含めて契約書の条項を整理し、ひいてはJリーグから海外へ移籍する際にきちっとお金を取れるシステムを構築したいと考えています。また一方で、私は、スポーツ選手のセカンドキャリアをサポートする一般社団法人もつくって活動しているんですね。というのも、いま学校にはスポーツを教える指導員が足りなくて、地域には現役を引退した元選手の仕事がない。であれば、そこをうまくマッチングさせて、マネタイズもできるシステムを神奈川でつくり、多角的にスポーツに貢献していきたいと思っています。

水谷 すごくありがたいお話ですね。お二人が一貫して言ってくださっているのは、周りを巻き込むということ。それはまさにベルマーレがやらなければいけない活動ですし、皆さんのお力を借りながらその輪がどんどん広がり、繋がっていくと、地域はよりよく活性化されると思います。だからこそスポーツを軸に仲間をたくさんつくっていきたいですね。

黒澤 ベルマーレをマグネットのようにして集まる皆さんは、志や経営方針なども似ている気がします。コロナが収束し、みんなで気兼ねなく集まってワイワイやれるようになったら、ほんとに魅力的なグループだと思いますよ。

府川 ほんとにそうですよね。もちろんお金を出すことがすべてではないですけど、いまゴール裏で応援している、とくに若い世代のひとたちが、5年後10年後、決裁権を持つなり独立するなりして、これまでとは異なる関わりを湘南ベルマーレというプロサッカークラブと持ったときに、また違う楽しさや成長を必ず感じられると思うんです。なので、そこはぜひチャレンジしてみてほしいなと思いますね。

黒澤 そうですね。スタンドでずっと飛び跳ねることはできなくても、それぞれの立ち位置でやれることはいろいろあって、サポコやパートナーはそのひとつですし、ほかにも地域で連携する活動がたくさんある。そうやって少しずつ輪が広がり、自分たちの大好きなベルマーレをより多くのひとに伝えていくことが、クラブの発展に繋がるのかなと思っています。それがスポンサーの多さにも反映されている気がするんですよね。関わるみんながちょっとずつ頑張ることで、クラブはJ1に残り、さらに上を狙うこともできている。これはJリーグのなかでも珍しいと思うので、みんなで一緒に成長しながら、この輪を広げていきたいですね。

水谷 ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
 
 

(インタビュアー 隈元 大吾)