湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」
湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」第8回
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※この章は初代・湘南ベルマーレ会長の河野太郎さんが2000年に地元紙へ寄稿したものです
湘南ベルマーレの20周年に寄せて、代表取締役会長をお引き受けしたばかりの私が、サポーターの皆様にお伝えしたあの時の気持ちを改めてお伝えします。だいぶ世界に近づきましたね。
河野太郎
「アラビアのロレンス」という映画をご覧になったことがありますか。まだ、見ていない人は、ぜひご覧ください。
この映画の前半で、ロレンスの従者のひとりが、砂漠で迷子になってしまいます。アラブ人達は、迷子になったのはその従者の運命なのだからと、ロレンスを止めようとしますが、ロレンスはそれを振り切って砂漠に戻り、従者を救い出して、アラブ軍が待っているオアシスに戻ってきます。そして、一言。
「運命などない。-The Life Is Not Written」
今、ベルマーレは、その従者と同じように、砂漠で一人、迷子になっています。誰かが救いに行かねば、遅かれ早かれ、死んでしまいます。
もちろん、救いにいったつもりの人間だって一緒に砂漠で死んでしまうかもしれません。
現球団の重松社長が試算してくださった来期のベルマーレの収支見通しは、支出が最低で4億円。それに対して収入は、Jリーグからの分配金、1億8千万を入れて、約3億円。1億円の赤字になります。それに対して新球団の資産は2億4千100万円の現金のみ。担保になる資産は全くなければ、債務保証をしてくれる親会社もありません。結果として、赤字の1億円を資本金で埋めなければなりません。しかし、その翌年にもしJ1に上がれなければ、Jリーグからの分配金はわずか4千万円に減額されてしまいますから、赤字幅は1億4千万円増えて、2億4千万円。それを埋めるべき資本金は、1億4千万円しか残っていませんから、まともにやればベルマーレという球団は、来シーズンいっぱいで解散する運命です。
だれか地元の人間が新球団の頭をやらなければいけないだろう。ついては、一肌脱いでくれないか。そう言われたときに、見たのが上の数字です。確かにひどい数字です。でも、どうやっても厳しいから、ひとつおまえ頼むと言われて、厳しいから嫌ですと言ったのでは何も始まりません。
ベルマーレがJリーグに上がり、初めてのホームゲームを覚えていますか。
マリノス相手に延長にもつれ込み、劇的なゴールでホーム初勝利をあげたあの試合を、私はゴールの後ろで見ていました。
勝利が決まった瞬間に、全く見知らぬ者同士、抱き合って喜んだあの感激を今でも鮮明に覚えています。あぁ、自分の街にホームチームがあるっていいことだなぁと競技場から帰る道々、一人嬉しくなってニヤニヤしてしまいました。
あの感激をくれたベルマーレが今、ピンチにたっている。
そのベルマーレを救うために何かしろ。それじゃあの時のマリノス戦でもらった感激をここで返そうじゃないか。
そう考えて、会長をお引き受けすることにいたしました。なにか勝算があるのか、そう聞かれても残念ながら何もありません。ただ、本当にベルマーレが好きな皆さんと一緒にこつこつと一つずつ、できることを積み上げていくだけです。
◆
会長を引き受けてすぐ、Jリーグの川淵チェアマンにお目にかかりました。とにかく誰かが責任者になって事を始めなければタイムリミットが来てしまう。だから、私が会長を引き受けます。しかし、サッカーに関しては私はずぶの素人です。申し訳ないがチェアマンから実際に現場を切り回す社長を推薦していただけませんか。そうお願いをいたしました。
ほんの数日で、チェアマンから小長谷さんを推薦していただきました。磐田から東京に出てきていただき、ベルマーレの現状をお話し、何とか力を貸していただけないか、とまたお願いしました。
小長谷さんは、ご家族にこれまで自分はサッカー界で飯を食ってきたんだから、今度はサッカー界にお返しをしなければいかんかな、と言われたそうです。チェアマンは、私の目の前で小長谷さんに「男はえいやっと人生を決めなければいけない時がある。骨は拾ってやるから、どうだ、やらんか」。
小長谷さんも、きっと育て上げてきたジュビロが優勝を決め、もう一度、新天地を切り開こうかという気持ちにちょうどなっていたのかもしれません。
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ベルマーレは、市民球団として再出発します。市民球団とは、市民がオーナーでなければなりません。
市民球団とは、市民ができる範囲でその運営に参画していなければなりません。
そして市民球団とは、その地域の出身選手が活躍していなければなりません。
新球団はホームタウンの誰もがオーナーになれるように、株主の数を増やしていきたいと思っています。湘南市民誰もがベルマーレのオーナーになり、これは自分のチームだと言えるような球団にしていきたいと思います。
ベルマーレの運営には、残念ながら大金を掛けることはできません。
少ない予算でやりくりしていくためには、市民の皆さんのボランティアが必要です。自分たちが汗を流して作り上げるチームだからこそ、応援にも力が入るし、思い入れも強くなるはずです。
今、Jリーグには湘南地域出身の選手が何人も活躍しています。将来的には湘南出身の選手は、まずベルマーレでデビューし、そして中田のように世界へはばたいていってほしいと思います。そのためにも、地域のサッカー指導者と信頼関係できっちりと結ばれた下部組織、コーチ陣をベルマーレのなかに作り上げなければなりません。
これまでの売上を見ると、ベルマーレは平塚のチームでした。シーズンチケットの売り上げは一歩平塚を出ると全く売れていないと言っても、言いすぎではありません。
と、いうことは、本当にホームタウンの広域化ができれば、売り上げは飛躍的に伸びることになります。
ベルマーレが生き残れるかどうかは、ベルマーレが名実ともに湘南のチームになることができるかどうかにかかってます。
百年後の事典に、「湘南-ベルマーレのホームタウンになっている市町村の総称」と書かれることを目指していきましょう。
我々が目指すのは、世界です。ベルマーレはいつの日か、世界クラブ選手権の決勝のピッチに立ち、そしてチャンピオンシップを湘南に持ち帰らねばなりません。ベルマーレのサッカーは、常に世界を見ていなければなりません。たとえ、J2にいても。
我々が受け継いでいくクラブは、1968年に創立されました。我々のクラブは、日本リーグ優勝3回、天皇杯優勝3回、そして1995年にはアジアカップウィナーズ選手権に優勝し、アジアの頂点に立ったクラブです。この誇りある歴史を、さらに一層輝かしいものにしていこうではありませんか。このクラブは、今、私たちのクラブなのですから。
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※EPISODE-Ⅸはこちら
※このコラムは2004年に発行された湘南ベルマーレクラブ10年史に「インサイドストーリー:フジタ撤退から湘南ベルマーレ蘇生までの真相(眞壁潔著)」として掲載されたものです。EPISODE-Ⅴからは新たに書き下ろしされ、今回は河野太郎さんが2000年に地元紙へ寄稿したものです