ボイス
【ボイス:6月12日】小澤雄希選手の声
11年ぶりのJ1の舞台で、誰もが願う湘南の暴れん坊の復活。
チームの指揮を執る反町監督は、一貫して走力を活かしたアグレッシブなサッカーをめざし、戦いを挑んでいる。今のところの結果は、高いレベルの中で苦戦を強いられているが、やっとつかんだトップリーグでの戦いがそんなに簡単なわけがない。それよりも、厳しい戦いの中でもチーム内に芽吹きはじめた可能性の種に、未来へ繋がる明るい兆しが感じられ、次こそはと期待が募る。
例えば、ナビスコカップの第1節、VS清水エスパルス戦では、ここ最近、守備的だった左サイドバックが攻撃的に変化していたのが目を引いた。なんといってもサイドバックは、かつての湘南の暴れん坊を彷彿とさせる鍵のポジションなのだ。
そこで今回は、その後もコンスタントに試合出場を重ねる小澤雄希選手が登場。サイドバックとして大切にしているプレーを始め、サッカー人生をスタートさせたオランダで得たものからJ1での戦いまで、話を聞いた。
求められていることとやりたいことが一致した、
全員が走るベルマーレのサッカー。
小澤選手といえば、ベルマーレに関わる誰もが忘れることのできない2009年の最終節に対戦した水戸ホーリーホックに所属していた選手。昇格をかけた試合だったにも拘らず前半早々に2点のビハインドを負い、苦しんだあの戦いにも出場していた。そんなチームへの移籍。ある意味、深い縁があったようだ。
「水戸で2年やっていて、どこかからステップアップのオファーがあればチャレンジしてみたい、自分をもっと高めたいという気持ちがあったので、声をかけてもらった時はすごくうれしかったですね」
オファーの際に評価されたのは、惜しみない運動量と前へ出る力の強さを備えた、数少ない左利きの左サイドバックというところ。反町監督の志向する走るサッカーに欠かせない要素を武器にしている。
「去年対戦していて湘南は、全員が走るサッカーをやっていて、最後まで全員がすごく頑張って走るというのはわかっていました。そういう意味では自分に合っているなということは感じていました。
リーグ戦では、大差で負けたこともあったし、あんまり相性は良くないという印象がありましたけど、トイメンに幸平さん(臼井)がいて、幸平さんと戦うのは、すごく楽しみでした。幸平さんも前に出てくるし、僕も前に出ていくしというところで。駆け引きっていう面では、湘南とやる時はいつも楽しみにしてました」
ベルマーレ側からすると、坂本紘司選手がハットトリックを達成したり、連敗を食い止めた節目の勝利だったりと思い出に残る試合ばかりだった2009年の水戸戦。水戸の選手側からすれば、悔しさばかりの結果だったともいえそうだが、そういう試合の中でも選手としてサッカーを楽しんでいたことが伝わってくる。
「特に5点取られた試合は、攻撃的な感じだった。そういう意味では、移籍した理由のひとつとして、求められていることとやりたいことが一緒だったというのもある」
サイドバックといえば、ポジション的には守備のカテゴリーに分けられる。が、このライン際のポジションがどのような役割を果たすかによって、チームのカラーが決まってくるくらいの影響力がある。話の流れからすると、小澤選手は攻撃重視のようだが、
「サイドバックなので、やはり守備から入らなければいけない。攻撃重視というよりはタイミングがあったら上がる。攻撃に行くのも楽しいですけど、守備も意識してやるようにしている。上がりすぎてそこのスペースを突かれると決定的な場面になってしまうこともあるので、やっぱりバランス。守備も攻撃も両方大切です」
3月31日のナビスコカップ第1節VS清水エスパルス戦でJ1デビューを果たし、リーグ戦は1節置いたホームのジュビロ磐田戦で初スタメンを飾った。特に清水戦は、広く若手を試したいという意図から大幅にメンバーを入れ替えた新鮮な布陣で臨んだことに加え、それまで本職ではない選手がサイドバックを務めていたこともあって、この試合でみせた左サイドのスペシャリストらしい攻撃には見ている側の期待も高まった。反町監督からは
「攻撃の時は、タイミング良くどんどん前に出て、最後まで、クロスなりシュートなり、やり切れと言われています。攻撃したあと、守備に戻るときのスピードも上がったときと同じように。攻守の切り替えっていうところはよくいわれます」
怪我で出遅れていたが、出場機会をつかむとその遅れを取り戻すかのように試合を重ねるごとに存在感を増している。その勢いに、これからの活躍の期待が高まる。
サッカー選手としても人間としても成長した、
オランダでの経験。支えてくれた人に感謝。
サッカーが盛んな静岡で子どもの頃からサッカーに慣れ親しんできたが、目立った経歴はない。そんな小澤選手がサッカーを生きる糧とすることになったきっかけは、オランダから始まった。
「高校1年の時に学校でオランダ遠征に行って、それがすごくおもしろくてまた行きたいなという気持ちがあった」
高校を卒業する時点で進学について考えた時に、ふと芽生えた海外志向。その気持ちを学校の先生に相談したところからオランダ行きの道が拓けたというのだから、さすがはサッカーどころの静岡。ジュニアユースやユース年代のオランダ遠征のコーディネーターと繋がって、高校を卒業した夏にはオランダのトップリーグのフェイエノールトに受け入れてもらい、フェイエノールトのサテライトともいえる2部リーグに所属するエクセルシオール・ロッテルダムの練習に参加した。その後、冬にもう一度オランダに渡るが、日本でも無名だった選手がトップリーグに所属するチームの契約を勝ち取ることは難しく、それでもセミプロのチーム、V.V SHOに縁ができて、そこで4年間を過ごすことになった。
「日本でいうとJFLみたいな。3部ですね。
オランダのサッカーは、フォワードの選手はすごく大きいし、ディフェンス陣も強いし。すごく速い選手もいるし、すごく個性がある選手が多い。うーん、やっぱりフィジカルがすごく強いなっていう感じはありました。
だから行ったばかりの18歳のときは、みんな身体が強いので当たりで負けちゃうという感じでしたね」
その頃のポジションはミッドフィルダー。サイドハーフなど、攻撃的なポジションを担っていた。その小澤選手がサイドバックを自分のポジションと決めたのもオランダでの経験があればこそ。当時の監督から助言があった。
「『お前がもし上でサッカーをやりたいなら、サイドバックが合ってるぞ』って言われて。でも、結局その監督のときも、サイドバックもやりましたけど、前の方もやっていた。正直、本格的にサイドバックをやるようになったのは日本に帰ってから。水戸に入って、それからは本当にずっとサイドバックですね」
オランダでの生活は、最初の頃こそ日本からの仕送りに頼ったが、後半には経済的に自立もできたという。そこには、オランダ行きを手配してくれたコーディネーターが経営するレストランで皿洗いをする代わりに食事を提供してもらうなど、現地で関わった人たちの協力があってこそという多少のエクスキューズはつくが、それでもサッカーを中心に、しっかりと根を張ってオランダでの生活を楽しんだ。
また、サッカー選手としても、走力を活かした日本人らしいプレースタイルで人気も評価も高かった。しかし、ビザの関係でベルギーのプロチームのテストを受けることとなり、そこでの契約も折り合いがつかず、結局は日本でチャレンジすることを決めて、帰国した。
それでも大人になっていく年代を過ごしたオランダでの生活が小澤選手の人間形成に大きな影響を与えているのは間違いない。
「サッカーの勉強もありましたけど、やっぱり人としてすごく良い勉強になったというのはあります。
正直、ちっちゃい頃は自分を出すのが苦手で。人と話すのもそんなに好きじゃなかったんですけど、でも向こうに行って、やっぱりオランダ人はすごい積極的なんですよね。だから自分も自分を出さないとやっていけないっていうのがあった。人とコミュニケーションをとることは、向こうに行ってできるようになったかなというのはありますね。
やっぱりオランダに行って、自分が変わった。だからオランダに行った事自体が自分にとってはすごく大きな経験ですね」
目的としたサッカー面での自らの評価は、
「フィジカルが、多少は強くなった。それと日本にいたときは何か、軽いプレーって言ったら変ですけど、球際とか、あまり厳しく行けていなかったけど、やっぱり向こうに行って球際がすごく厳しかったので、そういうものを学んだ。あとは、個人的に1対1の間合いというのを覚えたかなと。
1対1の間合いっていうのは守備の時。守るときの相手との距離というのを学べた。一人ひとり間合いは違うんですけど、どの選手と当たるにしても間合いがある。ちょっと守備のヒントを得たかなと思います」
日本に帰国後は、練習生として何チームかを訪れたが契約に至らず、水戸のセレクションを受けて、その年、監督に就任した木山監督の目に止まって入団した。
「木山さんもすごく熱い監督で、やるサッカーも僕がやりたい、サイドからどんどん前に行くというサッカーだったので、すごくよかった。
水戸のセレクションは、僕の先輩に『行ってこい』って言われたんですけど、その先輩が兄ちゃんともすごく仲が良くて。水戸のセレクションに行くように言ってくれたふたりに、すごく感謝しなきゃいけない。親にもオランダに行かせてもらって、最初の頃は仕送りもしてもらっていたし、すごく感謝してます」
もう一度、海外でサッカーをやりたいかを尋ねてみたが、返ってきたのは日本でのプロ生活へのこだわりだった。
「お世話になった人にもう1回、会いにいきたいという思いはあるけど、サッカーをやりたいかっていったらそれはない。今は、日本で頑張って結果を残したい」
日本で結果を出すことが、折々に出会って来た人への感謝を伝えることに繋がる。その思いを込めて、ピッチを駆ける。
走るのが取り柄だから。
チームが勝つために、誰よりも走る。
左サイドを自分のエリアにして3年目。左利きの左サイドバックを売りに、J1に駆け上がってきた小澤選手が感じるサイドバックのおもしろさとは?
「良いタイミングで駆け上がって攻撃参加して、というのが一番の魅力。相手との駆け引きっていうのがすごく楽しい。自分がどんどん前に行って、相手を前に出させないようにしたりとか。
味方からパスが出てくるかどうかっていうのは、こだわらない。いかに良いタイミングで上がるかっていうその一瞬がおもしろいし、チームのためなので、別に無駄走りでもいい。
だから、見てほしいのは前に出る力。走っての上下運動。運動量の多さ。サイドバックとは、そうでなければいけないと思っているので」
今、課題はというと
「いっぱいありますね。クロスの精度もありますし、クロスの対応や、逆サイドにボールが出てるときの絞るポジショニングなど、課題はたくさんあります。
攻撃も、出るときのタイミングっていうのもまだまだ悪いときもありますし、言ったらきりがないですね」
かつてはマッチアップし、駆け引きを仕掛けあったライバルであり、現在は味方として両翼を担うパートナーである臼井選手は、やっぱり今も気になる存在のよう。
「幸平さんは、見ていてすごく勉強になる。ポジショニングだったり、上がるタイミングも見てますし、そういう意味ですごく良いお手本になってます。
マッチアップしていたときも、戻るポジショニングがすごくいい印象がありますね。今も見ていて、戻らなきゃいけないところに戻っている。
戻るポジションが悪いと相手の攻撃に遅れをとるので、自分としては、まだ全然修正しなきゃいけないというのはありますね」
課題がはっきりと語れるのも、試合での経験を積んでこそ。なかなか難しい状況が続くJ1での戦いについても振り返ってもらった。
「清水戦は、自分は、どのくらいできるのかなという思いはありましたけど、初めてのJ1のピッチで、楽しむことができました。でも1対1の局面で、やっぱりJ1とJ2の差を感じたし、結局足が途中でつってしまって本当に悔しかった。
逆に前に行く、というのは多少できたので、そういう意味では得るものはあった、良かったと思います」
試合中に足がつるというのは今までも経験がない。つまりは、怪我明けでの出場と、正直にいえば、初めてのJ1の舞台に緊張感があったのは否めないという。
「やっぱりディフェンスといったら90分間やらなきゃいけないし、サイドバックなら人より走って、というのはある。それに、監督としては前の選手を交代したいだろうし、そういう意味ではすごく悔しかったし、チームにも迷惑をかけた。
今まで足がつるようなことは無かったけど、それが当たり前だし、今は、常に自分のベストを出せるように準備しています」
18チーム中18位、ある意味スタートラインに戻った現在の状況については、
「同じJ1でやっている以上、勝敗がつくわけだから、僕らもやらなきゃいけない。どう補うかっていったら、個人のスキルがすごく上がるってことはすぐにはないから、みんなで走る。湘南のサッカーは、本当に走って走ってアグレッシブにやっていくスタイル。僕自身、相手より多く走ることが取り柄だから、それをやっていく。
ガンバ戦は、相手の判断も早くて、すぐにフリーになって有利にゲームを運ばれたけど、ああいうところをもう少し全員が何メートルか走っていれば、というのがあるので、そういう意味でももっと走らなければいけない。ゲームの運び方という面でもJ1での経験不足がある。でも、そんなことも言っていられないし。ここから本当に全員で勝ち点を1つでも多くとるためにやらなきゃいけない。
リーグ戦に限らず、目先にある試合というのはどの試合も大事だし、勝たなきゃいけない。サッカー選手である以上、勝ちたいのが第一。悔しいけど終わった試合を戻ることはできないから次の試合から切り替えていくしかない。負けても下を向いてはやれないから」
“走って走ってアグレッシブにやる”。反町監督が指揮を執るそのサッカーを、小澤選手は自分に合っていると語った。湘南の暴れん坊、復活へ、役者は揃ったというところ。あとは、この本来のサッカーを表現していくだけ。
また、現在18位とはいっても、残留圏内の15位との勝ち点差はわずかに2。しかも残留圏内の下位にいるチームより1試合多くリーグ戦を残している。であれば、いかにして入れ替わり、その差を広げていくことか、考えることも、やることも、力を注ぐべきは上を目指すことただ1点。選手たちには、一瞬たりとも下を向いて足踏みをしている時間はない。その選手たちを後押しするのは、やはり応援の声。
「いつも熱い声援を送ってくれて、選手としてもすごく支えになっている。あとは僕らが結果を出すだけ、グラウンドで頑張るので、これからも熱い声援と支えをお願いします」
相手よりも多く走れるように、もう限界と思った時にもう一歩、足が出せるように。次の試合もスタジアムで、選手を支える熱い声援を送ろう。
取材・文 小西なおみ
協力 森朝美、藤井聡行