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【ボイス:11月7日】寺川能人選手の声
51試合のJ2リーグもいよいよ終盤へ。
開幕戦の頃は、どんな秋を迎え、冬に思いを馳せるのか、全く予想がつかなかった。しかし、その未来にたどり着いてみれば、なによりも夢見ていたJ1復帰への道が拓けていた。
この結果は、最前線で戦う選手はもちろん、サポートするすべての人たちの思いがあればこそ。
残り4試合は、総力戦。今回は、チーム最年長の寺川能人選手に、昇格への思いを語ってもらった。
この先は、ひとつも負けられない、
メンタルを強くして、昇格をめざす。
「力が入ってたかな、っていう気がします」
前節の勝利で昇格圏内の3位に浮上し、その勢いのままに臨んだ第47節・アウェイの熊本戦。第46節を劇的なゴールで勝ち取っていただけに、この試合への期待はサポーターはもちろん、選手自身も大きかった。しかし、結果は敗戦。この試合について尋ねると、寺川選手はその時の気持ちを思い出すようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「チャンスがあったんでね、それを決めないとやっぱり流れはなかなか来ない。特にあんなにたくさんチャンスがある試合は、最近ではなかなか無いんですけど、最後のところが特に力が入ってたかな。ただ、肩に力が入ってる感じはしますけど、それだけじゃないと思います」
寺川選手が言う、『それだけじゃない』部分とは。
昇格争いの中にいるプレッシャー。それは心にさまざまな影響を与える。肩に力が入ってしまうのも、そのひとつの表れ。しかし、そのプレッシャーを良い方に利用できた時は、鳥栖戦のような戦いもできる。が、プレッシャーをただのプレッシャーとして感じてしまった時は…。
この試合後の監督会見で反町監督は、『中位のメンタリティを覆すのは難しい』と語っているが、プレッシャーを良い方に転がすことができないのが、まさにその中位のメンタリティなのだろう。
「なんやろね、上位対決で終了間際に点を入れて勝ったりする、前の試合で盛り上がったあとの試合って、大概負けているんですよね。気が抜けているわけじゃないんだけど、そういう面でやっぱりそこで一旦安心してしまっているような雰囲気がどこかにあるかもしれない。それだから勝ち続けられないでしょうね」
今季は、大一番といわれる試合で勝負強さを発揮し、リーグ終盤にきて首位を走るセレッソ大阪にも2勝して勝ち越している。しかし、J1昇格に向けてそのまま一気に上昇気流に乗りたいという気持ちが繋がらず、そういった試合の次の勝負を落とすことが多い。勝ち続けることができない、これもまた、中位のメンタリティがもたらす結果だろう。
「そう、結局は選手が感じて気づいてやらないと。でも、感じていても負けてたらね、感じてないってことやからね。その辺が一番難しいね、メンタルの部分。最後はやっぱり、よく言われることやけどメンタル面の勝負になるかもしれないですね」
負けたら感じていないのと同じーーベテラン選手ほど、自分に厳しく、結果にこだわる答えが返ってくる。
また、指揮官もこの敗戦を正面から見据えた。熊本戦後、反町監督は、当たり前のことだけれど、見過ごしがちなことを選手に話したという。まず自分の足元を見つめて、最善を尽くす姿勢を説いたのだ。
「あと4つ、勝ち点12を取れるようにね。この2週間を、2週間と言うかね、毎日を一生懸命やる、という話でしたけどね」
このあとはすべての試合で勝ち点3が大命題。特に勝ち点差1で昇格圏内にいるヴァンフォーレ甲府とは直接対決が残っている。しかし、もしこの先も中位のメンタリティに甘んじているのであれば、たとえ甲府に勝ったとしても昇格は手に入らないことになる。
「まだ自力で上がれるチャンスが十分残っている。今の勝ち点からすると、もう僕らは負けられる試合は無いので、まずはヴェルディ戦に向けてやっていくだけ。これで負けたり、上がれないと、結局はそういうことなんでね。覆す強さを見せないといけないですね」
10年の学びに区切りを付ける卒業試験は、一筋縄ではいかないようだが、高見をめざす志しがあれば、必ず突破できるはず。最後の時間、選手と心をひとつにして、挑戦しよう。
ぬるい選手から、頑張る選手へ。
25歳からの成長。
現在、チームの中では最年長の35歳。高校卒業と同時にJリーグが開幕し、選手生活のスタートをJリーガーとして切った、初めての世代だ。
「そうですね、きらびやかな。試合に出ている人は特にね。そんな感じはありました。でもその頃は、今思えばですよ、僕個人は子どもやったからね。プロに入って最初はすごくぬるくやっていたんで」
横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に6年、ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)に1年在籍し、2000年からは、2003年の1シーズンを大分トリニータで過ごしたのを除き、アルビレックス新潟に所属している。
ベルマーレにいる今の戦いぶり、練習ぶりを見ると、息の長い選手の代表例のように思えるが、ぬるく過ごしていた時代もあったという。
「その頃は、うまけりゃ良いという風に思っていた。それが普通だと思っていたんだけど、甘かった。最後のところで頑張れなかった。そういう選手だったから市原を1年でクビになって、チームがなくて。サッカーができなくなる状況になって、その時にもう1回やりたい、どこでも良いからサッカーをやりたいと強く思った」
チームを探している時に、新潟に選手の移籍によって希望のポジションに空きができ、テスト生という形でキャンプに参加できた。そのとき、25歳。選手としてもまさにこれからという年齢だった。
「だから必死ですよ、もう。すごく…何やろ? “必死”が一番合うかな、もうこれでダメだったらないんでね、もう1回、『やってやろう』っていう気持ち。今まだやれているのは、自分がダメになった時に、もう1回、『やってやろう』っていう気持ちになれたからだと思う。そう思えたことが良かった。
でもその前の時も頑張ろうって思ってはいたんですよ、ただそのレベルが低かったのかなっていう気はしますね、今思えば。頑張るのは当たり前なんですけどね、当たり前のことができなかったっていうか。
そういう経験をして、しっかりやらないといけないというのを気づいた。やっぱり自分で感じないと、人間というのはなかなかできないから」
’99年からJ2リーグに参加した新潟が、プロのサッカークラブとして体制を整えながらチームも成長をめざすという勢いのある時期だったことも寺川選手にとっては良かったようだ。
「全然違う環境で、また新しいチャレンジというかね。今思えば、すべてそれが良かったかなという気はします」
すべては『今思えば』。そうやって自分で気づき、必死になって道を開き、サッカーを続ける環境を手に入れた頃、反町監督が新潟の監督として就任してきた。
「監督は、今もあまり変わらない。チーム作りのやり方とか。そんなに細かいことはいわないんですけど、選手一人ひとりに役割があるっていうことをしっかり伝える。あ、今の俺の1つ上か。36歳くらいで監督してたんでね。そう考えるとすごいな。
最初に新潟に行った時は、お客さんはいない、クラブハウスもない。でも入ったクラブがそうなんでね、それはもうしょうがないっすね。別に平気でした。
それにちょうど、クラブも盛り上がって真剣に上を目指そうっていう感じになってたんでね。そういう流れもあって自分自身もいい流れができたかなっていう気はします」
寺川選手は新潟で、復活を果たした、というよりは、生まれ変わったくらいの変化を遂げた。そこでJ1昇格をめざしていたが、2003年シーズン、J1に昇格した大分トリニータからのオファーに応えて完全移籍した。
「新潟での3年間は、上がれなかったから楽しいことばっかりではなかったけど、充実してました。でもやっぱり上でやりたいですしね。なにかふと、30歳前にもう1回、J1でやりたいなっていう気持ちになってね。新潟に残って次の年に上がることをめざすっていう選択肢もあったけど、ドライにいえば契約だからね。個人で上のレベルをめざすというのも普通かな、と。その時はそういう気がして移籍しました」
2003年シーズン、寺川選手が居なくても新潟はJ2リーグを戦い抜いてJ1に昇格した。そして大分に居た寺川選手には今度は新潟から移籍のオファーが届いた。
「ありがたい、ありがたすぎますよね。完全移籍で行って、また呼んでもらって1年で完全移籍で帰って。多分、今までにないパターンですよね。最初で最後かもしれない。それだけ必要としてもらってるということかなという気はしましたけど」
今も寺川選手のベースになっているのは、この25歳での気づき。この挫折があればこそ、頑張れる選手に成長でき、反町監督との縁も深まったのだろう。
全試合出場の秘密は、
練習前の1時間半にあり。
今季ベルマーレが採用している4-3-3のシステムは、攻守の切替の早さと、攻撃に人数をかけるために、どのポジションも豊富な運動量が求められる。その中でも突出しているのが中盤の3選手。その一角を寺川選手が担う。
そんなハードなポジションにありながら寺川選手は、途中交代・途中出場を挟みながらも、全試合出場を果たしている。ファウルが少ないこともあるが、何よりもいつでも万全のコンディションを整えることに注力しているからだ。
「練習の2時間前に家を出て、クラブハウスまでは15分。着替えたあと、1時間半くらい、決まったことをやってます」
30代になって身体に変化を感じたわけではないが、2~3年前から練習前にストレッチをするようになった。
「30代になって変わった?とよく聞かれるけど、自分的には、そんな感じはない。それより怪我をしたことがあって、その補強という意味で始めました。どちらかというと予防のため」
長くサッカー選手を続けたい、そんな思いが見えてくる。
また、反町監督は、折に触れ、ベテラン選手の行動が若手に与える影響を語る。寺川選手のこの行動が若手にどんな影響を与えているかというと、
「早く来るメンツは決まってますけどね(笑)。
その選手の意識が高いかどうかはわからないですけど、自分でやろうとしている時点で良いんじゃないですか。
早く来たからって試合に出られるわけではないしね。それは日頃の積み重ねだからちょっとずつですけどね、良いことがあるんじゃないかな?と思いながら。それに僕はもう、習慣になってますから。特に意識はしないですね」
この練習前のストレッチ以外、意識して何かをするということはないという。
「やってないと不安になったりするのがイヤなんで、普段の生活も特に気を遣ったりはしません。特にゲンを担ぐこともしないし。食事も出されたものを食べる。太れないのは、体質ですね。筋肉も筋トレをやれば多少はつきますけど、俺みたいなタイプはガンガンやってもどうかな?と思ったんで、必要最低限はやりますけど、それ以上はやらない」
細い身体に長い手足を少し持て余したように、するりするりと相手選手をかわしながら、中盤を縦横無尽に駆け回る、そんな姿が印象的だ。
「接触プレーは、負けそうな時はいかないです(笑)。特に大きい選手と当たる時は、自分のタイミングだけ。自分が良い体制の時だけ当たって、相手が倒れたら、『俺、強いやろ』みたいな(笑)」
実は、今でも試合の前は緊張するという。
「基本的に緊張しいなんでね、試合に入る前は結構緊張します。前の日に、眠れないとか、シミュレーションしたりとかはないんですけど、漠然と試合のことを考えてしまう。当日、ピッチに出て円陣まで行ってしまえば大丈夫だし、試合に入ってしまえば、長くやってきた分、緊張ってのはないんですけどね」
この緊張感は、常に新鮮な気持ちでサッカーに取り組んできた証だろう。そしてチャレンジ精神はいまだに旺盛だ。
「試合後の勝利のダンスは、やったことがなかったんでね、でも新しいチームになったんでトライしました。最初はどうも違和感があったんですけどね。今は全然、俺が最初に足出す方向を引っ張ってる、みたいな。いや、そんなことはないですが(笑)」
言葉数が多いわけではないのに、つい引き込まれてしまう寺川選手の話。順風満帆な人生にこしたことはないけれど、つまづきを乗り越えると、人間性に味も出てくる、好例のようだ。
そんな味のあるおとなになった今、20代で果たせなかった反町監督のもとでのJ1昇格を、今度はベルマーレでめざす。
「サポーターの人たちもね、すごく期待して試合を見に来てくれてると思うしね、僕らはそれに応えられるように、本当に必死で戦わないと。サポーターの皆さんも、大きな声を出して、応援してもらえればうれしいと思います」
声は届いている、選手のもとへ。特に聞こえるのは、やはり試合が止まった時だという。そういった時こそ、応援の言葉で、気持ちでうめつくしたい。今度の試合も思いを声にのせて届けよう。
取材・文 小西なおみ
協力 森朝美、藤井聡行