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【ボイス:1月2日】坂本紘司選手の声・後編


 
 
サッカー選手としての成長と
人間的な成長は一致しているもの

 選手としてのリスタートを切った2001年から2012年まで、数えてみれば7人の監督のもとで過ごした。

「2002年は4バックになって、よりオフェンシブな、ワイドっていうよりオフェンシブハーフという感じで、2列目から飛び出していったりするプレーをしていましたね。2001年、2002年は結構、点も取れていたんで、なんていうのかな、ゴールのにおいのするところっていうか、かぎ分ける力はまだ健在だったかなと。そういう得点感覚的なものは衰えていなかったと思います(笑)」

 フォワードから中盤の選手へ。この頃の坂本選手は、監督から指示されるさまざまなタスクをどんどんと自分のものにし、タッチライン際を運動量豊富に上下動する、完全な攻撃的ミッドフィルダーに成長していた。

「2005年あたりは、少しロングボールが多かった。ボールをつなぎたいと思っても、ボールが自分を越えて行っちゃうような感じ。だから試合には出ているんだけど、戦術の中ですごくフィットしているっていう感覚はなかった。自分の『もっとこうしていきたいんだ』っていうのと、少しロングボールが多かったりしたギャップっていうのに、苦しんだ時期だと思いますね」

 ポジションが変わることによってゲームへの関わり方が変わり、サッカーに対する考え方が変わっていった。また、2005年には、現在U-15平塚で監督を務める加藤望コーチが、2006年にはアジエル選手(現・武漢卓爾足球倶楽部)がチームに加わった。攻撃的ミッドフィルダーのお手本のような2人の選手の加入は、さらに刺激となった。

「単純に、アジエルも望さんも、チームの中心としてクオリティの高さを見せていたんだけど、なんていうか、みんながみんな個人個人で好きなことをやっているような感じのところもあって、なかなか成績が出なかった時期だったと思う。でも、アジエルや望さんが入ってきた頃から僕は、チームが勝たないと自分も評価されないし、良い選手が揃っているのに『ベルマーレ、弱いな』って、周りから見られるのもすごく悔しいと思うようになった。自分の中で『もっとこうしなきゃ勝てないだろう』っていうのが、芽生え始めてきたんです。
 それで、勝つためには、自分が良いプレーをするだけじゃないプラスアルファ、もっと何かやらなければいけないんじゃないかって考えるようになりました。人がやりたがらないことを誰かがやっていかないと勝てないなと。だから、2005年とか2006年は得点は減ったんですけど、目に見えないところにある大事なもの、そう感じていたことをなんとかプレーで表現しようと思い始めた時期でした」

 そんな変化をキャッチして、さらにより良い方向へ導いてくれたのが、2006年シーズンの途中から指揮を執った菅野将晃元監督だ。ボランチへコンバートされた。

「そういう自分の気持ちは、ボランチのほうが生きるんじゃないかって。最初は、ボランチなんてやったことがなかったので、うまくいかないこともあったと思うけど、菅野さんはハードワークをテーマに掲げて、僕も僕らみたいなチームは、ほかのチームより走って汗かかないと、勝てないよって思っていたので、菅野さんの気持ちと、自分の気持ちがすごくマッチした。ボランチで守備に汗かいたり、攻守に走る選手が必要だなって。ほかの選手が走ってないっていう意味じゃなくてね、『ああ、俺がやんなきゃなぁ』って、思ったんですね。菅野さんも信頼して使ってくれたし、僕もそれを意気に感じて、すごく頑張れた。
 今年のチームも走りきって勝つ、ハードワークしてナンボだっていうのをずっと引き継いで来てると思う。あの頃からベルマーレってそういうチームだよねっていうのができてきたと思います」

 思いとプレーが一致するという、サッカー選手としてこれほど充実する経験はない。そういう時間を積み重ねて、自身もチームも成長した。実際、J2リーグの下位グループから抜け出し、上位に顔を出せるようになっていく。昇格という言葉を現実の目標とするのにふさわしいチームになった。

「やっぱり勝てないと楽しくない。勝つ味を覚え始めたのが2007年くらいから。勝っても、連勝しても『まだ勝ちたい、まだ勝ちたい』『もっとやれる、もっとやれる』と思った。それまでは、良いゲームをしても、その次のゲームで『なんだ、このゲーム』みたいな感じで落としてという具合に、良いゲームをしたら次悪い、と波がすごかった。でも、やっぱりひたむきにやれば、結果が出るっていうことを実感できた」

 2009年は、また新しい指導者の元での切磋琢磨が始まった。

「ハードワークができるチームになってきたところにソリさん(反町康治現・松本山雅FC監督)が肉付けしてくれた。
 いつ走るか? いかに走ってどう点を取るか? どう有効に守るか? っていうのをすごくわかりやすく、焦点を絞って指導してくれた。ベルマーレに移籍してきて10年目くらいの時だったと思うんですけど、ミーティングとかを聞いていても『はぁ~、なるほどなぁ』って思うことがいっぱいあって(笑)。僕が18歳の時には、ソリさんも違うサッカーしていたと思うけど、18の時に聞いていたらと(笑)。
 ソリさんの言うことをまじめに聞いて、まじめに練習して、本当にそれを実行したらあれよあれよと点が取れたっていう感じでしたね」

 ベルマーレで過ごしたシーズンの中で、最も多く得点したシーズンであり、今シーズンとはまた違った楽しさを表現していたチームだった。

「指導ってすごいなって思いました。自分が『あ、そうか』って理解して取り組めば、年齢とか関係なく伸びていくんだなっていうのを実感しました。
 練習も楽しかったですよ、すごくほめてくれる監督でした。30歳になってもほめてもらえるとうれしいもんで。良いプレーに対して、『今のは良いプレーだ』って、明確に言ってくれるから、今ので良いんだって思えるし、ほめられるともっともっとやってやろうって思いますし」

 ここで再び、新しいポジションへの挑戦が始まる。反町前監督は、坂本選手の前への推進力を最も評価し、攻撃的な位置に置いた。

「ボランチとオフェンシブハーフの間くらい。ちょうど今までやってきたすべての経験が活きるっていうポジションでしたね。だから、オフェンシブだけの経験でも、ボランチだけの経験でも、あのポジションはできなかったと思う。自分が今までいろんなポジションをやってきたのが、ちょうどあのポジションではまったというか。周りの選手もやりやすい選手ばかりで、自分の中でもすごくすべてがうまく進んでいた。急に実力が伸びたわけではなくて、ソリさんにうまく引き出してもらったという感じ」

 13年間の変遷を駆け足で追ったが、その変化は、かつて、ペナルティエリアの中で、エゴイスティックにゴールを決めていた選手だった頃からは想像もつかない。

「昔からの知り合いは笑いますけどね。
 僕もフォワードだったんで、めちゃくちゃ自己中心的な人間だったって、自分でも記憶しているし、まぁみんなもそう言うんですよ(笑)。ホントに、自分さえ良ければ良い、みたいな選手だったらしくて。私生活も自己中心的な姿勢だったらしいし、自分でもそうだったなと思いますけど、そういう意味でもサッカーを通じてすごく変わったと思います。
 昔は、ファンの方の前でもあんまり笑えなかった。それが、いろんなことを感じながら、学びながら、本当にベルマーレに教えてもらったり、ベルマーレを通じて学んだりした。やっと少しはまともな人間になれたかなって思います。そういう意味でもこのクラブに思い入れが強いのかなと思います」

 最初は、自分のためだった。それがいつしか自分とチームがイコールになって、今では、昔を振り返っては、その変わりようを本人が一番笑うほどになった。しかし、変化するには、何よりも強い意志が必要だ。だからこそ、バンディエラとまで呼ばれる選手に成長できたのだろう。

サッカー選手として充実していたことを
改めて感じた2012年シーズン

 13シーズンをベルマーレで過ごしたが、プロ生活の最初の4年間、試合出場の機会に恵まれなかったこともあってか、坂本選手にシーズンの目標を尋ねると、まずゲームに出ることという答えが常に返ってきた。今シーズンもまた、その目標は、変わらなかった。それに加えてもうひとつ、今シーズンは、強く願っていたことがある。

「目標は、いつもと一緒でしっかりゲームに出られるように、プレーが向上するように。それとやっぱり自分は今年34歳になるんで、もう一度、J1のピッチに立ちたいというのがモチベーションだった。
 今年は、選手が若くなって、またチームを作り直すという感じはあったけど、今年上がらないとどんどん年をとっていくから。同年代の選手がほとんどいなくなって、ラストチャンスになるなという気持ちではいましたけどね。そういう意味では、本当に今年決めないとという気持ちは、ほかの選手よりあったんじゃないかなと思います」

 監督が変わった最初のシーズンは、得てしてチーム作りが中心となることが多く、大きな目標は達成しづらい。曺監督は、ヘッドコーチからの昇格とはいえ、平均年齢がぐっと下がったチームを見れば、誰もが2012年は育成の年になると思って不思議はない。しかし、そういった状況の中でも坂本選手のJ1への思いは強かった。

「曺さんなら、ベルマーレを知らない人が監督としてくるより、ユースの指導をしていたり、トップで3年間一緒にやって、若い選手のことも自分のこともよく知っていてくれる。それに、湘南の良さっていうのをソリさんの頃から継承した部分もあると思った。だから、自分にとってすごく良い監督と一緒にできるなと感じていました。
 選手が若くなったのは、サッカー界的に、若くて動ける選手という流れはあると思う。それにうちは、すごくお金のあるクラブではないので、ユースから育てた自前の選手や高校・大学を卒業したばかりの若い選手を育ててチーム作りをしていくのは、理にかなっていること。そういうスタイルで生き残っていかなければいけないクラブだと思うので、理解できたし、チームの方向性として間違っていないし、結果的にうまくいったと思う。
 ただ、アジエルや幸平(臼井選手・2012シーズンをもって引退)がいなくなった中で、僕がもう1年チャンスをもらえたっていうのは、若い選手だけでも、ベテランだけでも勝てないっていうこととか、いろいろな意味が込められていると思った。その中で、自分の役割をしっかり考えながら過ごそうと思った」

 曺監督は、選手全員が戦力であると、ことあるごとに語っていた。実際、どの選手もゲームに出たときには、今持てる力の最大値であろうパフォーマンスを披露した。そこには、曺監督のマネジメントの手腕もあるが、最年長の選手の、最も選手らしい姿勢の影響は少なからずあったはずだ。

「自分の役割というのは、ベテランだからってコーチのような振る舞いをするとか、そういうことは考えていない。まず、ゲームに出るために全力で取り組むことが一番だし、実際にみんなと一緒になって、まずは全力で『絶対にゲームに出るんだ』っていう気持ちを前面に押し出してきた。それは、最後まで貫けたと思う」

 ここ5、6シーズン、試合に出場するときは、常にスターティングイレブンに名を連ねてきた。途中で退くことはあっても、ベンチでスタートし、試合の流れを変えるために途中で投入されるという役割は、あまり経験がない。その坂本選手が今シーズン、初めてスタートから登場したのは、開幕戦から約1ヶ月半を経た4月22日に行われた第9節だった。

「今季は、ベンチに座ったりっていうことも、もしかしたらあるのかなっていうのは、ちょっとは予測していたんですけど、ゲームをベンチから見るという経験がほとんどなかったので、最初はもう、思った以上に苦しかったですね。練習でも調子が悪かったっていう感覚はなかったし、自分は動けるのに出られないなんて。今思うと、本当に3月~4月っていうのは、我を忘れるくらい苦しかった。外から試合を観るのは、こんなに苦しいのかっていうくらいだった」

 誰に言うこともなく、練習には全力で取り組み、ただただその苦しさと向き合った。

「そこで、いろんなことを、めちゃくちゃ考えた。今まで僕が試合に出ていた時に、僕と同じポジションで出られなかった選手がいっぱいいただろうし、それでチームを去った選手もいる。そういう選手はもしかしたら俺のことを『なんだ、あいつ』『おもしろくないな』って思いながらも我慢して、自分のために練習をして、チームのためにプレーして。活躍して目立った選手何人かだけでサッカーをやっているわけじゃない、いろんな選手がいてチームが成り立っているっていうのを思った。苦しいなと思う反面、今まで、自分がどれだけ良い思いをさせてもらっていたかっていうのを、今までこんなにゲームに出させてもらってすごく充実した時間を過ごしてきたんだなっていうのを改めて感じた。
 練習では、一緒にベンチに座って出番がなかった選手とか、メンバーに入れなかった選手と練習試合に出て、正直、そういう経験もあんまりなかったですけど、みんなゲームに出たくて必死にやっている選手ばかりだったので、逆にそういう選手たちに勇気をもらった。『俺もやんなきゃな』って、すごく思った。それに、やっぱりそういう試合に出られない選手のモチベーションっていうのは、チームを支える上ですごく大事。昇格した年や成績の良かったシーズンというのは、本当にみんなが一生懸命やる集団だからこそ結果が出た。今まで一緒にやってきた選手たちのありがたみをすごく感じた時期でした。それを感じた後からは、なんか本当に何も怖くなくなったっていうか、いろんなものを悟ったような(笑)。
 悔しいという気持ちもありながら、その中で自分の存在意義とか、自分の立場とか、そういうものも含めて考えながら振る舞えるようになった。それが選手としてどうだったかはわからないけど、シーズンが終わって昇格できたっていう結果は得られたので、今年自分がいたのも無駄じゃなかったかなって最後に思いました」

 2012年シーズンは、自分自身に問い続けた役割を果たして、何より手に入れたかったJ1昇格という結果を出した。

「そういうことをまったく感じられないまま選手を終わるより、チーム全体、過去を含めて見渡せたっていうのは、すごく自分にとって重要な時期だったんだなと思います。今年のシーズンは、自分の人生においても、これからサッカーに携わっていく人生においても、非常に意義のある、重要な1年だったと、終わってみてそう感じます」

 今後、どういった道を選ぶにしても、サッカーに携わっていくのは間違いのないこと。

「指導者にも興味があるし、裏方の仕事にも興味があります。ただ、グラウンドの上で16年間過ごしてきたので、コーチとかではなくて、一度違う面からサッカーを見たいと思う。サッカーしかやってこなくて、普通に会社に勤めている34歳とは、全然違うと思うし、そういう意味では、社会人としての経験が不足してるので(笑)。
 もちろん、サッカーに携わっていくのには、ベルマーレの坂本っていうアドバンテージはあると思うけど、その逆にできない事も多いから、人としてトータルにいろんなことをできるように成長したい。今の自分のままではまだまだ通用しないので、しっかり力をつけて、指導者なのか、裏方なのかはわからないけど、そこから目標を持っていきたい。そして将来、ベルマーレで何かができるように、というふうに考えています」

 選手は、誰もがクラブの宝。その宝が選手を卒業し、今度は自ら選んで違う輝きを身につけていくのがセカンドキャリア。選手でいた期間よりも長いこれからの人生において、坂本選手が素晴らしい輝きを放つことを願っている。

取材・文 小西尚美
協力 森朝美、藤井聡行