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【ボイス:8月2日】菅野哲也選手の声

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 サッカークラブのもっとも華やかな舞台といえばリーグ戦だが、その闘いの裏では同時にいくつものプロジェクトが進行している。その中でももっとも重要なミッションを担っているのが若手の育成だ。
 湘南ベルマーレでは、下部組織から上がってきた選手がJFLのチームに期限付きで移籍し、生活面まで含めた経験を積ませているのをはじめ、今年は選手の育成・強化において提携している南米パラグアイの全国リーグ4部に籍を置く日系ベルマーレ(NIKKEI BELLMARE)に菅野哲也選手を短期留学させるなど、新しい試みにもチャレンジしている。
 今回は、強化の狙いに触れると同時に、菅野選手に話を聞き、どんな成果が得られたのかを紹介する。

voice_090802_02練習、スペイン語、食事して寝る!
サッカーばっかりのパラグアイ留学。

 菅野選手は、今年3月中旬から3ヶ月に渡って南米パラグアイにある日系ベルマーレに短期留学した。留学というとお客さま扱いのようだが、事実は日本での選手登録を抹消し、日系ベルマーレに選手登録をする、いわゆる期限付き移籍だ。
 この目的は、若手の育成・強化にある。
 パラグアイといえば、屈強なフィジカルを最大限に活かしたディフェンスの強さに定評がある。強い守備の中で力を磨いてほしいという考えから攻撃的なポジションを担う選手をピックアップ、中でもセンターフォワードで将来を嘱望される菅野選手に白羽の矢がたつこととなった。
 パラグアイ4部リーグを日本に置き換えるなら、JFLの中位相当のレベルが妥当であろう。つまりサッカーのレベルだけをとれば、今まで通り日本にいた方が高いレベルで練習はできる。ベルマーレの方が周りを囲む選手の技術も、コーチングスタッフの指導力も高い。
 しかし、例えばベルマーレのトップチームと真剣勝負をしたら、どちらが勝つかわからないのがパラグアイの選手のメンタリティだ。真剣勝負になった時の勝負強さや局面局面の球際の強さなどは、日本の比ではない。こういった点を育成という観点から見たとき、サッカーの原点が南米にはあり、本当のハングリー精神を持っている選手たちの仲間として、外国人でありながら移籍・登録することの意味は計り知れない。
 今回の留学には、そんな強化の思惑があったが、では、実際はどうなのか、どうだったのか?本人にまずは移籍の経緯から話を聞いた。

「今年になって出場機会もなかったので、経験値を増やすためにも行ってみるのも良いかなという気持ちになりました。話があった時には、スタッフや先輩選手にいろいろ聞いて。
 先輩からは行った方が良いって言われました。自分でもそうだなと思って。行った時の良い部分を考え、将来自分がどうなりたいのかを考え、そのためにどうしたら良いのかを考え、行って試合に出た方が良いなと考えて、自分で決めました」

 パラグアイでの生活は、コーチの家の1室に、一緒に留学した徳島ヴォルティスの選手を含め、日本人3人が同居。食事は日系パラグアイの選手が生活をしている寮でとっていた。日本語で会話もできたので、ホームシックになることは全くなかったという。
 毎日のタイムスケジュールはというと、

「朝は8時半から筋トレとかボールを使った練習をちょっとやって、そのあと週に3回10時からスペイン語の勉強がありました。昼ご飯を食べたら寝て、で、3時からまた練習。夜終わったら、寮に戻って夕飯食べて寝る、みたいな感じで。サッカーばっかり。
 楽しみは、寮だったのでその人たちとのコミュニケーションだったり、バスに乗ってちょっとどこかに行ったりとか。でも近くにはスーパーしかないんですよ。そのスーパーに行くか、ちょっと離れた街に行って観光したりとか。そのくらいで、とりあえず何もないんですよね」

voice_090802_05 本当に何もなかったのであろうことは、菅野選手のため息まじりの話し振りからも伝わってきた。とにかく3ヶ月間、サッカーに集中する環境にいたのは間違いない。
 言葉については、自己紹介を覚えたくらいでパラグアイへ飛び、語学学校へ通うと同時にスペイン語を話せる日本人選手がいたので、日常会話はその人にも教えてもらいながら勉強していった。そんな状況でもサッカーをやるのには支障はなかった。ボールがあれば、意志は通じる。

「ジェスチャーでやっちゃう。あとは単語と単語でやりとりして。生活の方は言葉がわからないと大変でしたけど」

 言葉がわからなくてもサッカーはできる。が、環境や練習のやり方に戸惑いがなかったわけではない。

「日本は、4対4とか、5対5とか。サッカーテニスをやったり戦術練習をやったり、結構ハードというか、細かい。それに日本だとスタッフがたくさんいて、ここはこうした方が良いよというアドバイスを結構言ってもらえる。こういう角度でこうボールをもらえ、とか。
 向こうは、基本は紅白戦なんです。しかも、個人に対してはあまり言わない。例えばアバウトにそこは走れみたいなことは言われるんですけど、どう走れとは言われない。言われないから良いわけじゃなくて、自分の良いところや悪いところは自分で見つける。紅白戦の中で自分の課題に気づいて、自分で考えて動いて。今日はここがダメだったから、とかそういうことをしっかり考えてやっていかないと次に繋がらない。
 それは練習より試合で気づきました。やらなかったら出しませんよという感じだから、やるしかない」

 そんな気づきを得る機会をつかめたのは、最初に出た試合で2得点を挙げられたのも大きかった。そこでトップチームに上がり、チャンスを広げて信頼も獲得し、滞在期間中に行われた試合にはほとんど出場した。おかげでサッカースタイルの違いも真剣勝負の中で体験できた。

「あっちは、ゆっくりとしたスローなサッカー。でも、ディフェンダーは身体が大きくて結構ガツガツ来る。日本のJ2みたいにレベルは高くないんですけど、特に球際は厳しくくるので、強い相手に対してどう自分で耐えるかとか、しっかりボールをキープするだとか。自分は身体はそんなに大きくないので、なるべく裏を取ったり、フリーになった状態でプレーして、ディフェンダーを背負った時には簡単にはたいて、という風にやっていました」

 自分の特徴を活かすことで信頼は厚みを増し、帰国の時には引き止められた。

「日本でやりたかったので帰ってきましたけど、残ってくれって言われたことはやっぱり自信になりました」

 わずか3ヶ月。その短い時間の中でも移籍先から必要な選手として認められ、自分の中には自信が芽生えた。これも、サッカーに真摯に取り組む姿勢があればこそ、の成果だ。

voice_090802_04トップスピードに乗った仕掛けでアピール。
ガツガツ行ってます!

 反町監督の指導を約2ヶ月ほど受け、リーグ戦の開幕を見届けた後、ほどなくしてパラグアイへ旅立った菅野選手。パラグアイに滞在していた間もインターネットを通じて、チームの様子や闘いぶり、リーグ戦の成績などは確認していた。

「シーズンの最初はチームにいたので、戦術面でそんなに変化がなかったこともあって、そこは大丈夫でした。ただ、日本はすごく速いサッカーなので、パラグアイにいるときは帰ってから自分はできるのかな?とちょっと心配だったんですけど。でもやってみたら、思ったよりは浮いてる感じじゃなかったのでよかった」

 インタビューを行ったのは、帰国して気持ちの面でも一段落した頃。サッカーも生活面も日本でのペースをだいぶ取り戻していた。

「思ったよりは、ですよ。パラグアイの方が球際はきつくくるので、そういう面では余裕がでたし、前よりはそこは良くなったなと。日本の選手はやっぱり技術がある。ちゃんと周りを見て状況判断しているから対応がうまい。向こうはなりふり構わず突っ込んでくるから。脚を引っ掛けられたり、かっさらわれたり、うまくやっていかないと大けがに繋がるし。そういう心配がないので落ち着いてボールを蹴れるというか。そういうところで余裕があります」

 リーグ戦を約1/2消化したところで首位に立つチームになっていたことについては、

「ずっとインターネットで見てたので情報は知っていたし、調子いいなと思っていました。チームが良い状況を続けて行けば自分も上のレベルでやっていける。逆に言えば、どこの順位にいようと自分がメンバーに入って自分がやらなきゃいけない。焦りはありましたけど、自分がやろうという決心で、戻ることも自分で決めたので」

 『自分がやる』という言葉が何度もでてくる。状況や立場に流されない強さ、そんなものが身に付いたように感じられる。

「行く前は、なにか切羽詰まった感じでやっていたかもしれない。帰ってきて多少は余裕がでました」

 現在、どこのポジションを争っているかというと、

「今はフォワードですね、センターはあまりないです。横のポジションが多いですね」

 取って代わることを狙っているのは、アジエル選手や中村選手、阿部選手がレギュラーを固めるポジションだ。

「そうですね、アピールはガツガツいきたいですね。選手は監督が決めることなので、わからないですけど、自分のやれることをやって特徴を生かしていきたい。やっぱり自分で仕掛けていくのが得意なので、トップスピードに乗ったドリブルで仕掛けていく、そういうプレーを出してアピールしたい。
 守備は、戦術の中でやっていくのでそれをしっかりやりつつ。やっぱりフォワードなので攻撃の結果を出していかないとリーグ戦にはでられないと思うので、点を取らないと。練習試合で点が取れてないので、そこをもっとどん欲にいきたいなと。頑張ってる途中ですね」

 目標は、

「試合に出ることがそうですけど、レベルアップを目指しているし、チームにも貢献したい。試合に出られない状況でもチームには貢献できると思う。例えば、試合に出られていない選手からどんどん競争をしていけば、みんなもレベルアップしていくと思うから。自分が一生懸命やっていればベンチに入ったり、試合に出たりという結果に繋がると思うので、とりあえずは自分のことをしっかりやる。目標はずっと同じ、試合に出て活躍して上に行く」

 試合出場のメンバーに指定席はない。リーグ戦出場に向けて、“ガツガツ”アピールする毎日を過ごしている。
 
voice_090802_03フレンドリーな握手効果?
もうひとつの収穫は、ポジティブさ。

 3ヶ月の留学から帰国し再び馬入グラウンドに立った時、感じたのは

「やっぱりグラウンドがきれいだし、ボールはたくさんあるし、みんな一人ひとり技術がしっかりしているし…」

 パラグアイでの経験で忘れられないことがもうひとつ、それは環境面だ。

「ボールも少なかった。全部で10個もないくらい。それでびっくりして。筋トレルームもあるわけない。だから最初は、『ああ、こういうところか…』と思ったんですけど、そういう環境でもやっていかなければならない。やるうちに慣れましたけど」

 馬入の練習グラウンドでは、一人の選手にひとつボールが行き渡るぐらいにふんだんにある。でも、パラグアイにいたときは発想を変えた。みんなで仲良く使えば良いのだ。

「それはそれで楽しいですね。勉強になりました」

 環境面は厳しいけれど、それを吹き飛ばす南米特有の明るさ、陽気さ、フレンドリーさは菅野選手のメンタル面に大きな影響を与えたようだ。

「パラグアイでは初対面の人には絶対握手をするんですよ。絶対に、一人ひとりに。知らない人でも通りすがりに『アディオス!』とか言葉をかけたり。結構、親密な感じなんです。練習のときも、朝来たらチームメイト一人ひとりに握手していく。最初はめんどくさいなと思いましたけど(笑)、そういうことが大切なんだなと思ってやってました」

 生活面でも違いを感じた。

「自分でできることはやっていかないといけないと思った。自分はコーチの家で洗濯機を使えたけど、寮の人たちは手洗いで洗濯をしていた。すごいなぁと思った。生活していく上で細かいところから、掃除や洗濯といったところからしっかりやっていかなきゃなと思いましたね」

 日本に帰っても、そこは変わらず意識しているという。

「ちゃんと掃除をするとか。あとはスペイン語の勉強も続けて。チームにブラジル人選手がいるから、スペイン語とポルトガル語は似ているので会話していこうかなと。英語だともう分からないですけど(笑)、チームにいるのがブラジル人で良かった」

 こういった経験が菅野選手の中で血となり肉となり、表に表れることをすぐに期待するのは、急ぎすぎだろう。それでも菅野選手から何度も出てくる、『自分がやる』という言葉には、成長の証を感じる。

「いきなり厳しい環境の中に行って、『なんだ、こんなところか』となるのではなくて、そこでどうやっていくかを考えていかないと。結局は自分のためだから。こういう恵まれた環境の中でもやらなきゃいけないし、厳しい環境に行ってもやらなきゃいけない。どっちの環境にいても、自分がやるのは同じ。自分がやらなければ上には行けないってことですね」

 何もかも自分次第。だったら自分がやれば良い、自分に対して責任を持つベーシックな心構えがしっかりとできた。菅野選手にとって、ポジティブなメンタリティを身につけたのが一番の収穫かもしれない。

「もともとは、ネガティブな方でした。例えば練習でうまく行かないことがあると、その日の午後はそれが気になっているという感じでストレスも引きずってました。でも今は、気になるけど、じゃあどうすれば良いのかな?と考えるようになった。
 握手が効きましたね。パラグアイの人はポジティブなので、それも影響あるのかなと思います」

 一回りたくましくなったメンタリティ。アスリートにとって折れない心は何よりの武器だ。まずはリーグ戦の舞台へ。スタジアムでその勇姿を見られる日を心待ちにしている。

取材・文 小西なおみ
協力 森朝美、藤井聡行