ボイス
【ボイス:7月27日】高山薫選手の声
開幕戦に勝利して、幸先の良いスタートを切った今シーズン。ところが、9試合負けなしの後は一転、8試合勝ち星なしと苦しい時を過ごした。あらためてその1ヶ月半を振り返ると、突破口を模索する選手たちの姿が浮かび上がる。
シーズンを折り返し、再び浮上するきっかけは掴んだ。今、リーグ戦のピッチでは、勝敗にかかわらず、たくましさを増した力強い戦いぶりが繰り広げられている。高山薫選手が3試合連続で重ねたゴールは、迷いを振り切ったことの証明だろうか? 新たな次元へ、ステップアップの兆しが見える。
高山薫はもっとできる!
そう思ってもらえるプレーがしたい
守備も攻撃もより多くの時間、相手陣内で展開することを目指す湘南スタイル。攻守に渡って、その最前線に位置を取るサイドハーフは試合の主導権争いのカギを握る。高山選手は、開幕からほぼ全試合、左サイドのそのポジションを譲らずに走り続けてきた。
「フォワードとディフェンスって感じです。攻撃する時は点を取りに行ってるのでフォワードの気持ちで、守備してる時は、ディフェンダーくらいの気持ちでやって。間、みたいな感じ。でも、中盤らしい中盤のプレーができるわけじゃないので、中盤って意識はないですね」
右サイドを担う古林選手は、サイドのスペシャリストらしいゴールに繋がるクロスへのこだわりが魅力、一方の高山選手は自らゴールを狙う姿勢で左サイドを駆け上がる。この組み合わせが、湘南スタイルの攻撃に厚みを加える。
「コバショウがクロスを上げる時は、絶対中に入ります。攻撃に人数をかけたいから3バックにしているわけだから、そのタイミングに入らなかったら意味がない。入らないとだめなんです。監督からしても、入って行けって感じじゃないですか」
今季は25試合に出場して4得点。昨年のチームトップスコアラーという実績を考えると、勝ち星も得点も多い今シーズンの出来としては、やや物足りなさを感じる。が、シーズンが中盤に差し掛かった今、得点が少なかった理由とそれについての精神的な変化を実感している。
「今年、何点取るとか聞かれても、『去年と違ってサイドハーフだから、そんな取れないっすよ』みたいな、変に弱気な自分が、ちょっといたかもしれない。それで監督にゴール前とかのプレーを、『もっと勇気を持ってやれ』って言われた。『勇気を持ってやらないのは、もったいない』って。そこからですね、完全に、なんていうか、変な逃げ道を作らないでやらなきゃいけないって思ったのは」
気持ちの変化がもたらしたのは、高山選手本来の前への意識が強い果敢なプレー。サイドの駆け引きもアグレッシブになって、よりゴールに近いエリアでプレーすることが多くなった。結果、勘を取り戻したかのように3試合連続のゴールが生まれた。
「もともと点を取りたいという気持ちはあったんだけど、ちょっとしたところが違ったのかなと、思います。本当に点は取りたかったけど、どこかで『けど、俺サイドだし、しょうがないだろう』って、自分で逃げ道を作っていたかも。『何で、点取れねぇんだ!』って、本気でその気持ちに向き合ってなかったかもしれない。貪欲さ、大事ですね」
弱気な言い訳を自分に言い聞かせている間は、ゴール前まで行ってもチャンスはあっても得点には至らなかった。実は、プロ2年目の今シーズンの今年は、具体的な目標を立てていなかった。
「『とりあえず頑張る』みたいな感じだった。去年よりも今年の方が良いプレーができるようにしよう、という感じ。だから、今取っている4得点はなしにして、2桁得点を取って、J1昇格に貢献するくらいをこれからの目標にします。『高山薫はもっとできるんだ』っていうところを試合で見せられるように頑張る。『スタジアムに来て良かったな』って思ってもらえるようなプレーをしたいと思います」
少し手探りなところもあったプロ2年目のシーズン。気持ちとプレー、そして結果は一致することを経験した。この先のシーズンは、加速度のついた追い上げとさらなる進化が見られるはずだ。
やるべきことはいつも同じ
ボールを持ったら縦へ!
走力が不可欠な湘南スタイルは、どのポジションも運動量が求められる。中でもサイドハーフは、もっともハードワークが要求されている。
「攻撃の時はめちゃめちゃや厚みが出るし、守備の時はもうがんばって帰る。いろいろ細かいことはありますけど、大まかに言えばその繰り返し。
体力は無いわけじゃないけど、スバ抜けてあるわけでもないので、走れているのは気持ちです。サイドでボール蹴るのは好きだから、今のポジション、好きっすね」
走力勝負のスタイルで今シーズンを戦ってきて、自分でもわかってきたことがある。
「やっぱり走れるのって、大事だと思います。走れる選手はやっかいですもん。(松本)山雅の選手はすごく走れた。
相手のシステムに関係なく、サイドはマッチアップする選手との駆け引きだと思うけど、自分がめっちゃ上がったりしながら1試合通して駆け引きしていると、時間が経って疲れてくると明らかについてこなかったりするチームもあるんですよ。でも、山雅の選手は遅れてもがんばってついてきて、イヤだった。山雅は、同じ3バックのシステムで、全部のポジションがかぶるから、負けたくない気持ちでやったんですけど。
でも、だからこそ湘南が走れるサッカーができるっていうのは、相手にとってすごくイヤなことなんだと思います」
同じように走力を武器に挑んでくるチームとのマッチアップで、走れる選手の強みを肌で感じた。それは、自分にとっても自信にもなる経験だった。
この松本戦でシーズンを折り返し、各チームとの対戦は2巡目に入った。同じ相手と戦うと、自分たちの成長も見えてくる。
「個人的には仕掛ける姿勢とか、ゴールに対する意欲とかが出てきていると思います。守備に関しても、前よりは出来てると思う。
僕たちは、『相手は引いてくる』からどうだじゃなくて、自分たちのサッカーをすることが大切。特に自分はそう。敵はあっても、相手のことばっかり考えていると相手に合わせちゃって、よくない。だからなんていうんだろう、『相手がマーク・ミリガンだ』とか、『だから負けちゃいけない』とか、そんなことを考えるんじゃなく、ボールを持ったら仕掛けて、縦を突破してシュートを打って。やるべきことは相手が誰であっても同じなので、今はそういう感じでやってます」
混戦のJ2リーグは、折り返しを過ぎても、プレーオフに参加できる6位までですら、わずかな勝ち点差の違いの中でひしめき合っている。
「順位だけ見たら、開幕前のサッカー雑誌とかの予想順位は十何位とか下の方だったけど、自分は、開幕前からこのチームはやれると思っていました。練習してても、みんなまじめだし。自分は去年、結構試合に出させてもらったけど、いつ出られなくなるかわからないっていう雰囲気でやれている。だから、たとえ強いチームと戦っても、がんばれば勝てるだろうという感じはしてました。
最初に調子が良くて、その後に勝てない時期もあって、最近徐々にまた良くなってきたって考えたら、開幕のことは忘れて、折り返しの今からまた開幕っていう気持ちで、自分は結構そういうリフレッシュした気持ちでいきたいと思っている。
それには、今の順位はちょっとハンデもらった位置からスタートできる、くらいの感覚です」
常に目指すのは目の前の勝ち点3。その積み重ねがシーズンの終わりに何をもたらすか、自覚は充分にある。
挫折も糧に
子どもの頃からの夢を貫いてプロに
ホームタウンへの貢献活動のひとつとして、選手会が主体となって行なっているのが「ベルせん」。選手自身が先生となって、小学校の教壇に立つ。高山選手は、第2回目の訪問で先生役を担当した。そこで語ったのは、夢について。
「こういう生い立ちで、こういうふうにサッカー選手になって、今、感じている教訓みたいなことを話しました」
子どもたちに話した、プロサッカー選手になって感じた教訓とは
「小学生の時って、『もっとやっておかないと、後悔するよ』みたいなことを大人に言われたりする。『なんで?』って思うかもしれないけど、自分はホント、今になって『やっときゃ良かったな』と思っているから、やっておいた方が良いと思うよ、みたいなことですね」
もっとやっておけば良かったという思いが心によぎるのは、やっぱりサッカーのこと。
「小学生の時でも、もっと本気で取り組めた練習って多分たくさんあったと思う。そういう積み重ねを時間で計算したら、頑張れた時間がどれだけあるんだろうって。その時間を、もっと頑張れていたら、もっと良くなっていたんじゃないか、とか。そういうのは思いますね」
6歳でサッカーを始めて以来、小さい頃からプロになりたいという思いは、ずっと持ち続けていたが、同時に大半の子どもが感じるようなことを高山選手も普通に経験していた。それはやっぱり、他のことに気が散ったり、一番好きなことなのに、なんとなくやらされているような、そんな気持ちに陥ったり。
「サッカーは好きだし、プロになりたいっていう思いもあるけど、なんかもうコーチは怖いし、監督は怖いし。中学の時も高校の時も、『言われるから、やらなきゃ』みたいな。そういう時期はありました」
中学・高校と川崎フロンターレの下部組織で育った。
「小学生の時は、小学校のチームに入ってたんですけど、フロンターレのスクールにも通っていて、選抜のスペシャルクラスでずっとやってました。そこでジュニアユースに決まって、そのクラスの友達はみんなジュニアユースに上がるっていうし、仲も良かったので、何も考えずに入りました。
ユースは、そのまま上がったっていう感じ。ジュニアユースからユースには上がれなかった友達もいたから、当たり前ってわけじゃないけど」
プロを身近に感じられるJリーグに加盟するクラブの下部組織で育ち、ユースまで躓くことなく、プロ選手になる夢を当たり前のように抱き続けていた。ところが最後の一歩、いざトップチームへ、というところで挫折を経験した。ユースからトップに上がることは、かなわなかった。
「暗かったっすよ。『俺の人生、終わったな』、『プロになれなくて、今までずっとサッカーやってきた意味ないな』っていう気持ちだった。大学サッカーのことも全然知らなかったから、大学でもう一度プロを目指すって言うよりは、サッカーもするけど、『ちゃんと大学行って、ちゃんと大学出なきゃ』みたいな気持ちが半分だった。
でも、大学サッカーっていうものをちゃんと知ったら、『あ、こんなにしっかりしてるんだ。ちゃんとプロを目指せるんだ』っていうことがわかった。それで、もう1回頑張ろうと思いました」
この挫折も今になれば「結果オーライ」だと笑う。なぜなら、
「高校から上がっても、絶対通用しなかった。確実に。だから」
進んだのは専修大学。高山選手が在籍した4年の間、専修大学は関東大学サッカーリーグの1部と2部を行き来したが、最終学年の時に2部で優勝し、1部昇格を置き土産に卒業した。その1部昇格に貢献した実績が評価され、プロへの道が拓けた。ベルマーレを選んだのは、
「一番は、永木亮太と曺さんがいたから。だって、中高一緒にサッカーやっていたヤツが、違う大学に行ってプロになるなんて、ないじゃないですか。中学で監督だった曺さんがいることもあり得ない。ホント、『こんなこと、ないな』と思って。しかも神奈川県のチームだし。それも大きいですね」
永木選手は、大学4年の時にすでにJリーグ特別指定選手制度によってベルマーレに所属し、リーグ戦へも出場していた。
「知ってました。『アイツはもうプロ決まったな』みたいな感じ。こういうのは、仲がいいヤツほどむかつきますね(笑)。でも、そのおかげで頑張れました。『あー、まじむかつくわー』って思って、頑張ってました(笑)」
永木選手が半歩先を行っていたこの年、高山選手は、関東大学リーグ2部のトップスコアラーとなり、ベストイレブンにも名を連ねている。
子どもの頃から一緒にサッカーをしてきた仲間が夢に手をかけるのを目の当たりにして、自分も頑張れば出来るんじゃないかという勇気と刺激をもらった。その気持ちを支えに、プロへの道を拓く結果に繋げた。
「中高と別に特別仲が良かったわけじゃなかったし、大学の時もそんなに連絡を取ってなかった。けど、中高一緒って、結構いろんなこと、知ってるじゃないですか(笑)。もう腐れ縁っていうか。大学時代の空白の時間が良かったのかもしれないし。今、仲良くしてますね」
湘南スタイルは、ピッチのさまざまなエリアで展開される、冴えたコンビネーションプレーも見所のひとつ。パスが出てくることを信じてゴールに向かって走る高山選手に、永木選手が送るのは、そのスピードを活かすパス。このあと、いくつのゴールシーンを生むか、期待したい。
取材・文 小西なおみ
協力 森朝美、藤井聡行