ベルマーレ50周年おめでとうございます。
Jリーグよりも長いその歴史の中では、良いときもそうでない時もあっただろうと思います。
何よりも“続けること”が如何に尊いことかを証明しながら走り続けるクラブに敬意を表します。またそのようなクラブに選手として在籍させていただいたことに改めて感謝の思いがこみ上げています。
僕が在籍したのは日韓W杯イヤーだった2002年と2003年という決して長くはない期間でしたが、選手キャリアの中で最も充実した、そして最も自分を表現できたシーズンのひとつです。
その時の監督であった田中孝司さんは僕が高校を卒業した時に当時のNKK(日本鋼管)に拾っていただいた恩師であり、そんな恩師が必要としてくれたこと、しかもベルマーレであることに心踊る気持ちだったことを鮮明に覚えています。
チームは20歳前後の選手が多く、28歳の僕がベテラン扱いされるほど若いチームでした。若いチーム特有の“ノリと勢い”は、当時胸スポンサーだったリズメディア社長の谷川さんの後押しを受けたりしながら“湘南の暴れん坊”の名をほしいままにしていたような気もします(笑)
ただこの流れは“湘南スタイル”の源流となっているのでは、と感じることも。そういう意味では50年の流れの一端を担えたのでは?という思いもしています。
当時は、クリ(栗原圭介)や(伊藤)ユウジさん、シラ(白井博之)、チャカ(パラシオス)らが抜群の安定感と人間性で非常にバランスの良い一体感が生まれ、新たな歴史を作っている実感がありました。
特にCBチャカの圧倒的な存在感は僕のプレーを自由にしてくれました。“4バックの右肩上がり”はとても居心地がよく心からサッカーを楽しむことができました。
トレンドが目まぐるしく移り変わるサッカーにおいて、あるいはスポーツやスポーツクラブのあり方も変化していく中で、ベルマーレが50年もの歴史を積み重ねて来られたのは、関わる全ての人を愛するクラブ、そのクラブを愛するスタッフ・選手・OB・関わる全ての人たちの愛なんだなと、今こうして書いていて気づきました。
そういえば、僕が愛を誓ったのも平塚のチャペルでした(笑)
「夢づくり 人づくり」という目的のために「たのしめてるか。」という柔軟で純粋、それでいて強い意志とクラブを取り巻く愛に、改めて敬意を表します。
【About UMEYAMA OSAMU】
高校を卒業後、NKKを皮切りに多くのクラブでプレーした梅山修さん。ベルマーレには、まだクラブが存続危機を乗り越えたばかりの2002年に加入し2年間チームの中心としてプレーしました。ピッチの中では豊富な経験に裏打ちされたプレーで存在感を発揮し、ピッチ外でも常に人を想う姿勢を持ち、プロの厳しさと時に冗談を交えながらチームメイトを盛り上げるムードメーカーでした。
新潟市議会議員などを経て、2018年から北海道十勝スカイアースの監督として采配を振るっています。