僕が湘南ベルマーレに入ったのは、2005年シーズンから。当時は、大倉智さんが強化部長で、上田栄治さんが監督。J2で結果が出ない中、チームの変革期にありました。
しっかりとしたフィロソフィーがあって「チームを変えたい、強くしたい」とのことで、上田さんと大倉さんが大阪にいた僕の所まで一緒に来てくれて、「ぜひ、一緒にやろう」と声を掛けてもらい湘南入団に至りました。
フジタが撤退し、市民クラブとなってなかなか結果が出ない中、2人からは「力を貸してくれ」とも言われました。
自分自身も前チームの中で燻っていた感があり、年齢的にも30歳前で「自分も変わらなくてはいけない」ということも重なり、湘南入団を決めたのです。
チームに入ってみると、若い選手が多く、「自分がこのチームを引っ張らなくてはいけない」という思いが沸きました。
上手い選手はいるけど、もう少し何かが足りないという印象で、大倉さんからは「プロ意識、勝ちへのこだわりを示してほしい」と言われたことを覚えています。
若い選手よりプロとしての経験値もあったので、柏から移籍してきた加藤望さん(現・柏ヘッドコーチ)とチームを引っ張ってもらいたいということも告げられました。
移籍1年目の2005年、横浜FCとの開幕戦は、色んなプレッシャーや不安を抱えながら迎えたので、とても印象深く残っています。
また、それまでオフェンシブな選手だった僕が、上田監督から「ボランチをやれ」と言われ、初めてボランチというポジションに就いた試合でもありました。
その後もボランチとして試合に出続けたのですが、自分の心中は水を得た魚のような状況となり、「もっと早くボランチをやりたかった」という気持ちがどんどんどんどん沸き上がってきたのです。
それだけに、ボランチとして第一歩を踏み出した2005年の横浜FCとの開幕戦は忘れられません。
僕は、たくさんボールに触りたい選手だったので、ボランチで使ってくれたことで、それまでとは違った角度からサッカーの楽しさを知ることができました。
だから、ひとつの試合というよりも、2005年シーズンの全てのゲームが楽しかった。
勉強しながら若手に何かを示さなくてはいけないなど、良い意味でのプレッシャーを日々感じながら、色んなものを背負って戦ったシーズンだったなと思っています。
もっと早くボランチをやっていたら、僕のサッカー人生も違っていたものになっていたかもしれない。引退した時には、「もっと早くボランチで勝負していればなぁ」とも思いましたよ(笑)
僕は平塚という町が大好きです。
今、解説者として平塚で仕事する機会がある時は必ず宿泊し、「メゾン・ド・アッシュエム」というフランス料理のお店に立ち寄っています。
そのお店は、平塚駅の南口にあるのですが、僕もベルマーレ在籍時の2年間は南口に住んでいて、海沿いの街並みの空気感が自分にはとても合い、本当に好きな町です。
サッカーに関することでは、加藤望さんと過ごせたことが印象深いですね。
どうしたら勝てるのかなど、サッカーの相談ができる選手は加藤さんだけだったので、その存在はとても大きく、経験豊富な加藤さんがいてくれたから乗り切れた2年間だったかなと感じています。
試合では、湘南へ移籍してきての初ゴールがFKだったことを鮮明に覚えています。
確か、2005年6月18日、4-3で勝利したホームでの鳥栖戦でした。
以前からFKは自分の武器だったので、「早く結果がほしいな」という思いを抱えた中、FKで初得点を決め、しかも決勝ゴールとなったことで、気持ち的にも落ち着けた部分がありました。うれしくて、上田監督に抱きついたことも覚えています。
2006年には主将をやらせてもらいました。しかし、チームとして結果が出なかったことで、シーズン途中で上田監督が辞することとなってしまい、その点については、凄く責任を感じています。上田さんをシーズンの最後までピッチに立たせてあげられなかったことに関しては、今でも後悔があります。自分の力のなさから、上田さんが目指すサッカーを体現できなかったことは、ちょっと苦い思い出であり、人としても考えさせられた一年でした。
ベルマーレが歩んだ50年というのは本当に長いと思いますし、それだけの歴史を持つというのは素晴らしいことではないでしょうか。
また、現役引退して時が経過した中で、湘南ベルマーレというチームから改めてメッセージを求められた時、栃木SCで現役の最後を迎えた自分が、栃木県で発足した藤和不動産サッカー部を前身とする湘南に在籍していたということをとても奇遇に感じました。湘南在籍時には、「栃木」のことは全く意識していなかったけれど、今、栃木に居を構えてサッカーに関わり続けていることに運命みたいなことも感じています。
だから、50周年を迎えた湘南ベルマーレに対して、微力ではありますがお手伝いできることがあればとてもうれしいことです。
湘南の試合を解説できるのも湘南に在籍していたからこそだし、湘南に関わる全てに人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、これからもずっと応援するチームでもあります。
僕のことを覚えている方がどれだけいるかは分かりませんが、本当に温かく、熱いサポーターだったことは脳裏に焼き付いています。
僕の在籍時、変革期でもあったチームはなかなか勝てない時期で、湘南のサポーター席がギッシリと埋まるような状況ではなかったけれど、応援してくれるサポーターは僕の背中を押してくれていました。どこのチームであってもサポーターというのは特別な存在でもあり、心から「ありがとう」との思いでいっぱいです。
今、解説者として湘南のホーム試合会場に行く機会があり、ギッシリと埋まったゴール裏のサポーター席を見ると、すごくうれしい気持ちになります。僕の在籍時には想像できなかったシーンで、チームが発展してきたこと、素晴らしいサポーターに囲まれてプレーできる選手は幸せだなということを感じます。そして、自分もそのサポーターの応援を受けてプレーできたことは大きな誇りです。これからも、チーム、選手をサポートして行ってくれればうれしいです。
OBとして、ますますチームが発展していくことも期待していきたいと思います。
【About SATO YUSUKE】
2005年に加入し、変革期にあったチームにたくさんの刺激をもたらした佐藤悠介さん。ベルマーレでは特別な背番号7を背負い、キャプテンも任されるなど責任感強く2年間を駆け抜けました。佐藤さんの左足から繰り出されるキックには痺れる瞬間が幾度もありました。
湘南の前に名古屋、神戸、大宮、山形、C大阪と4クラブに、湘南の後に東京V、栃木と2クラブに所属。多くのチームでプレーした経験を生かし、そして選手時代同様にクレバーさを存分に発揮し、現在解説などで幅広く活躍されています。