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【ボイス:3月3日】曺貴裁監督の声
1年でのJ1復帰が、かなわなかった2011年。想像を遥かに超えた厳しさを味わったが、その経験も糧にしようと、誰もが強い決意を持って2012年を迎えた。
仕切り直しともなる今季指揮を執るのは、べルマーレでの指導歴が8年を数える曺貴裁監督。下部組織から始まり、トップチームが激動した昨年までの3年間をヘッドコーチとして支えた、ベルマーレというクラブをよく知る人物だ。
あらためて、監督を引き受けた理由やめざすサッカーを明かしながら、その人となりに触れてみよう。
チームと選手を生き生きさせたい
クラブと自分の思いが一致
2011年シーズンのリーグ戦は、J1復帰には遠い結果であったが、天皇杯は名残を惜しむかのように準々決勝まで勝ち進み、新監督の発表は年末ぎりぎりとなった。
「監督のオファーをもらって一番最初の反応は、『わかりました、やります』という感じではなかった。『クラブは、なぜそういう決断をしたのか?』ということを先に考えました。『なぜ、自分なんだろう?』と」
強面で率直な話しぶりから、豪快な印象の曺監督。しかし、目配り、気配り、何より物事を捉える感性が繊細。常に相対する相手の視点から物事を眺めることを忘れない。
「自分へのオファーについてクラブ側にあるいろいろな理由をポジティブに考えた時、最大の理由は、やっぱりここにいる選手を伸ばしていかなければいけないということ。選手を成長させたい、選手やスタッフ、クラブのフロントスタッフたちと同じ感動を共有したい、その気持ちが一番あるのは僕だなと思ったんです。
そこから考えた。それで、『やってみようかな』という気持ちになった」
反町前監督(現松本山雅FC監督)の退任にあたって、自分もトップチームからは手を引いたほうがいいと考えていた。ベルマーレ内で再び育成に携わるか、もしくは新天地を求めることも考えたという。「3年間、他の監督の元でコーチをやっていた僕が居たら、新しい監督もやりにくいかもしれない」というのが、その理由だ。その思いを覆して、オファーを受けた。
「責任の在り方とか重さは違うけど、ユースの監督をやっていたので、監督の孤独感というのは、理解できる。ただ、このチームの現状、選手たち、何をしたら生き生きするのかなっていうことは、多分一番僕が見ているし、感じている。それを自然体でやってほしいというクラブのメッセージかなと、感じました」
いろいろな立場でクラブに携わり、昇格のよろこびと降格の悔しさを、監督を支える立場で経験した、その思いがどんな花を咲かせるのか、曺監督の思いのゆくえを見届ける1年となる。
27人全員が戦力
選手自身がその自覚を持てるよう指導
15人の選手を見送り、10人の新加入選手と、復帰組3名を迎え、27名となったチームもまた、まったく新しく生まれかわった。この選手たちが今、開幕スタメン奪取に向けて練習に励んでいる。
「補強というのは、基本的にクラブが主導して行なうもの。監督に決まったのも遅かったから、12月の末にはすでに選手は全部決まっていました。もちろん、コーチの立場だった時に、選手の誰々を知っているとか、こういう選手がいるねという話はして、その段階で僕なりの意見はしたけど。でも、補強で来た選手たちを、僕も知らないわけじゃないし、今いる選手と融合して、おもしろいメンバーが集まったなと思いました」
監督が替わるということは、選択する目が変わるということ。選手に何を求め、何を選択の基準とするのか? 新加入選手も含めて、全員同じスタートラインに立っている。
「平等に見るといった限りは、平等に見る。1年目の選手も10年目の選手も僕には関係ない。だから練習試合の出場時間も全員ほぼ一緒。いろんな組み合わせを試しているし、より適正なポジションの見極めも大切にしています。
そういう意味では、選手一人ひとりに対して、どういうモチベーションで、どういう意欲があって、どういうコンディションで何ができるかということを見ているつもり。みんなすごく頑張っていると感じます」
開幕に向けて、馬入グラウンドで練習が行なわれているが、水曜日と日曜日には必ずと言っていいほど練習試合が組まれている。それも、通常の1試合分ではなく、30分もしくは45分単位で3本、4本と正味2試合分の時間が費やされ、けが人以外全員の選手が出場している。
「開幕までのタームを3週間、2週間、2週間と分けて、最初はベース作り。次の2週間が積み上げていく段階。この2週間にも練習試合を4試合入れて、練習と練習試合の中で自分たちがどれだけできるのかということを確認した。その中で、開幕に向けてメンバーを絞り出すという機会も増えてきたと思う。でも、2週間前にがっちりこのメンバーで行くっていうふうに決めるかというと、そうではない。直前まで、目の前の選手の動きや状態を確認した上でメンバーを決めていく。
だから開幕に選ばれなかったからといって、人生が終わったみたいな顔をする必要はまったくない。そこからまたスタートして、自分にチャンスが来た時に頑張る準備をしておいてくれと、その繰り返しだよと言っています。
スタメンの11人、控えを入れての18人ではなくて、27人全員で戦っているんだと、試合に出たものは代表なんだという意識を持ってくれと。選んだメンバーは、責任を持って頑張ってほしいと思う」
そうは言っても、新しいシーズンを迎えた選手の誰もが開幕スタメンを目標にする。練習中の選手たちは、目の色が変わるとはこのことかというくらい、真剣に取り組んでいる。
「選手は、必死だと思います。僕は、選手に『曺さんに見られているな』って思っていてほしいんですよ。『見られている』って思うと、人間って絶対頑張れる。でも、『見られてない』と思うと、手を抜くというところがある。
変な言い方かもしれないけど、だから僕は、見なければいけない。選手も働くスタッフのことも。僕の最大の仕事は、やっぱりそれ。
サッカーの戦術的なものは、必ず賛否両論ある。オシムさんのサッカーも、岡田さんのサッカーも、みんなが良いというわけではない。賛否あるからサッカーなんです。それより、戦術を構成して体現する選手や、それをサポートするスタッフが何を考えているか、それを僕が感じなければいけない。そうでなければ、戦術なんて無形もの、生き物にならない」
サッカーに命を吹き込むのは、実際にプレーする選手たち。選手がピッチの上で放つ輝きが監督の仕事の評価なのかもしれない。
貫かれる湘南スタイル
めざすのは、“攻守ともに敵陣でサッカーをする”
「ボールを奪ったらゴールに向かうだとか、攻守の切替で数的優位を早く作るとか、ソリさん(反町前監督)がやってきた湘南のスタイルを変えているつもりは、全然ないですよ。そのコンセプトは、変わってない。
だって、ソリさんの求めるそういうことに僕が共感してなかったり、違うことを考えてコーチをやっていたら、それこそ監督にも選手にも失礼な話。僕は、ソリさんのめざすものがいいと思ってやってきた。
ただ、アプローチの仕方とか、サッカーの持っていき方は、人によって違うから、そういう意味で枝葉の変化はあるかもしれない。でも、幹のところは変わらないですね」
監督や戦術が代わっても、選手が替わっても、変わらないものがスタイル。反町前監督は、“湘南スタイル”にこだわり、掘り起こすようにより明確にしてきた。そのバトンを受けた曺監督もまた、湘南スタイルにこだわっている。
「サッカーって、攻撃と守備と、切り替えのところしかない。相手がボールを持っている時、自分たちがボールを持っている時、どっちのボールかわからない時。すべての状況で主導権を握る。ひと言で言ったら、“敵陣でサッカーをする”。
守備も敵陣から圧力をかけていく。守備も攻撃も敵陣でパワーをかけていこうというのが、僕がめざす湘南スタイル。スタイルを貫くということは、システム論じゃないんです」
スタイルを具現化するために採用するのがシステム。そこに監督の個性が出る。曺監督は、選手たちがより輝く適正を見極めて、戦術を構築している。
「3バックにこだわっているわけじゃない。ただ、選手の特性を見ると、練習試合でやってるような形がいいのかなと思っています。相手とか状況によって4バックにした方がいい試合もあるだろうし。それも受動的に変えさせられるのではなくて、能動的に変わっていかなければいけない部分もあると思っている。
ただ、うちの選手にとってはおもしろいシステムだと思ってますよ。決定機も多く作れているし」
敵陣でいかにボールを速く動かすか、そのトライの積み重ねが決定機に繋がっていく。その先にあるものを手に入れるために。
「目標をあえて言うなら、勝ち点126ですよ。おごった話でもなく。1試合負けたら目標は勝ち点123になるだけ。そのための1試合1試合だから。
最後の、シーズンが終わる1分1秒まで、その試合にハードワークをして全力を尽くす。プロとして、勝ち点3を取るという姿勢を絶対に失ってはいけない。
そういう1試合1試合へのこだわりがJ1に近づいたり、順位を上げることに繋がると思っている。自分たちが勝つことだけ、それしかできないんだから」
昇格を目標にすると、シーズンの途中で目標を全うした時、あるいはなくなった時に、闘う心の拠り所がなくなってしまう。また、勝ち点の当確ラインも、必ずしも確実なものではない。
「わからないものは考えない。
それよりも、自分が、この選手たちとやったら、『絶対、こうできるはずだ』っていうものにトライしたい。だって、監督として『やれる』って確信しているんだから。『しつこいくらいにボールを取りにくるな』『切り替え速くて、疲れるな』『取られたらすぐゴールに向かってくるな』『すっごくイヤなところでボールを動かされるな』とか、相手に思わせることができるはずだから。そういうチームにしたい」
湘南スタイルの進化の先にあるものは? 1試合1試合、選手が見せるハードワークとともに、その結果にも期待をしたい。
全員がキャプテンであり副キャプテン
選手とチームの成長が狙い
曺監督の指名で、坂本紘司選手がキャプテンになった。
「紘司は、うちのチームに長く在籍しているということもあるけど、そのことよりも、チームでキャプテンというのをやったことがない。僕は、それがちょっと意外だったんだけど、紘司自身の成長と、チームにとっての良い影響、その2つがあると考えて指名した。
紘司には、キャプテンだからって、絶対に試合に出られるわけじゃないと言ってある。それは副キャプテンも同じ。そういうことではなくて、集団をまとめていくなかで、紘司ができることはまだあるんじゃないかと。自分が試合に出る努力をしていたり、みんなを引っぱる努力をしていたり、そういうことを見せていく。
キャラクターとして、その人のあるがままで良いけど、紘司がキャプテンという立場のもとで、表に出なきゃいけないとなった時に自分の足りたいところや良さに気づくと思うんですよ。もっと表でエネルギーを発信することで、成長する」
その立場に立つことによって選手自身が成長すると同時に、チームにも良い影響を与えてチームが成長する。この2点が、曺監督のキャプテン、副キャプテンを選ぶ、基準。
「ちょうど疲れが溜まってきた頃の練習試合で、紘司がすごく良いことを言った。その試合の1本目、みんなミスが多いし、ボールをもらう時も予備動作なしでもらおうとしたり、ボールを奪うのも1回でなんとかしようとしていた。出ている声も、ミスを責めたり、勝手な要求ばかり。ハーフタイムに『身体が動かないのは、わかるけど、みんなラクをし過ぎだ。そんなんじゃ、チームはまとまらないよ』という話はしたんだけど、そこで後半に入っていく時に紘司が、『みんな文句が多いぞ。ちゃんとポジティブな声がけをしていこう』っていう話をしたんです。
アイツは負けず嫌いなところもあるし、もっとうまくなりたいと思っていると思う。物事をネガティブに捉えていたら、この年まで選手をやっていない。もしネガティブな感情をもったとしても、表に出さずに自分の中で処理している。そういうポジティブさがチームにも良い影響になると思った」
副キャプテンのふたりも同じ理由で選ばれている。
「猪狩(佑貴)は、まぁ僕の中では永基(金)や祐也(中村)もそうだけど、長い間怪我をしていて、フィールドに戻ってきたら、やっぱりそういう人の痛みがわかるんじゃないかと。試合に出る、出ない。そういう痛みがわかる選手。永基も同じだけど、そういう選手にひとり、副キャプテンをやってもらいたいなという想いがあった。猪狩も在籍でいったら紘司の次くらいですし。
航(遠藤)は、紘司が前で、猪狩が中盤でという意味で言うと、後ろの選手じゃないですか。航が育ってきた経緯もよく知っているし、リーダーシップを与えることによってさらに良い選手になってくれるんじゃないかと。それに航が副キャプテンをやることで、翔雅(鎌田)やヤマ(山口)、そういう年代の選手たちにサポートしようという気持ちが生まれて、チームやグループに相乗効果が生まれるんじゃないかなと思ってます」
結果として今のところ、うまくいっているというのが曺監督の評価。
「気持ちは、みんながキャプテンでいてほしいし、副キャプテンでいてほしい。お互いに、それは理解してやってくれているなって思います」。
あるがままを受け入れていく
自分に誠実であることが両親の教え
ニュートラルな目を持ちながら、判断基準が明確。良い悪いもはっきり口にしていく。それが“曺監督らしさ”。どんな指導者像を描いているのか、気になる。
「日本代表監督になりたいとか、立場に対するめざす理想は全然ない。
だけど、一緒にやった選手や頑張ってきたスタッフに、少なくとも記憶に残る指導者になりたいなと思う。『あの時代、こういうことやったな、僕ら』『良かったな』『難しかったな』っていうことも含めて、関わった人たちのその後の人生にプラスになるような、そういう指導者でいたいと思います」
コーチ時代、ユースの監督時代、Jr.ユースの監督時代、さまざまな立場を経験してきた曺監督。その折々に関わった選手の誰もが、曺監督とのエピソードを語る。監督によっては、選手と距離をとる指導法を採用する場合もあるが、曺監督はコーチ時代と変わらず、選手と密度濃く関わっている。
「『そんなことあたりまえじゃん』っていうことも含めて、自分が関わった人を大事にしたいじゃないですか。自分が関わった選手は、全員成長してほしいから、そのためには言いたいことは言うっていうスタンス。子どもから大人まで、その時々によって指導する選手の胸に刻まれていく指導者でいたい。別に話をしなくても、『曺さん、あそこで頑張ってるんだ』というようにみんなが思ってくれるような。もしかしたら、僕とは会話をしたくなくなって、去っていく選手もいるかもしれない。でも、後で考えたら、僕が言っていたことが『そういうことなんだ』とわかるような。
ただ、選手に成長してほしいという思いから言ってるということが、少なくとも相手に伝わらないといけない。そういった指導者でいたいと思うし、なりたいと思う」
相手の年齢に関係なく、人を尊重し、関わりを大切にする。その関わり方も、真っすぐで率直。そういう曺監督の人となりに影響を与えたのは、今まで関わった指導者であり、先輩、後輩、選手たちのすべて。中でも最も大きく影響したのは、両親だと監督自身が語る。
「僕はずっと本名で生きてきたんですけど、在日韓国人が本名で生きるというのは、まだまだ難しいんですよ」
在日韓国人3世の曺監督。現在のサッカー界は、在日韓国人・朝鮮人ともに本名を名のる選手が多く、国籍も、あえて母国である日本を選ぶ選手もいる。しかし、そういったことがオープンに語られるようになったのは、つい最近のこと。曺監督が子どもの頃は、まだそういった時代ではなかった。在日韓国人の多くが民族学校に通うか、あるいは日本人の学校に通う子どもたちは、日本名を名のることが多かった。ところが、曺監督は父が民族学校の要職のポストでいながら、幼い頃から日本の学校を選び、本名を通してきた。
「小学校4年生でサッカーを始めたんですよ。サッカー部がちゃんとなかったから、日本人の学校に行った。それが優先で、それが理由。僕は、自然体で生きてきたけど、でも在日でそうやって本名を名のって日本の学校でずっと生きていける人が少ない現実もある。
親が与えたメッセージというのは、自分のあるがままをしっかり受け入れて生きなさいっていうことですよね。そこに良いも悪いもないということ。
だから僕は、経歴やバックボーンで判断をしない。そういうことを両親の姿勢から学んだと思います。それは、傲慢に生きていいとか、自分勝手で良いということではない。あるがままを受け入れることがちゃんとわかっていれば、人にも思いやりが持てるだろうということですね」
まず自分自身に対して誠実であることを大切にしなさいという教え。自分に不誠実な人間が、他人に誠実になることはできない。
「すごく大事なこと。選手にとっても。
選手は、自分が一番わかっているんですよ。『僕、今日できなかったな』とか『今日はできた』とか。それを口に出して言われるから、腹が立ったりする。でも、自分自身に矢印を向けて考えれば、絶対にわかっている。そこをごまかしたり、その場を取り繕ったりせず、しっかり受け入れていく。それが成長に繋がると思うから、そこを指導していきたい」
サッカーに導かれて、たどり着いた今。揺るぎないアイデンティティから生まれた指導をする上での信条。2012シーズン、どんな成長がチームに見られるか、1試合1試合、すべてのシーンで確かめながら楽しみたい。
取材・文 小西なおみ
協力 森朝美、藤井聡行