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【ボイス:10月18日】遠藤航選手の声


チーム最年少ながら、天皇杯も含め、今のところ公式戦のすべての試合でフル出場を果たしているルーキー、遠藤航選手。アカデミー(下部組織)出身であり、高校3年生の昨年は、2種登録でJ1の舞台も経験している。そのプレーは、18歳らしからぬ落ち着きと、ディフェンダーながら攻守に渡ってゲームの流れを読み、ゴールに繋がるプレーにチャレンジする、強気のハートが光る。今回のボイスは、そのプレーに潜む、思いを紐解いていく。

センターバックからのフィードこそチャンスに
試合の流れを引き寄せる起点になる

 一番記憶に新しいところでは、天皇杯2回戦、1点ビハインドではじまった後半の早い時間帯、巻選手に送ったロングフィードだろうか。最終ラインから最前線へ送られたパスに、オフサイドのラインをぎりぎりで抜け出した巻選手が追いつき、怪我明け、そして今季初のゴールを決めた。遠藤選手のプレーの魅力を象徴するシーンだ。

「前半も1本、ああいうシーンがあって、後半も続けていくっていう話はハーフタイムにしていたし、相手のディフェンスラインは付いてこないっていうのも知っていたので、決めてくれてよかったです。あれは、巻さんがうまかった。センターバックがアシストすることはなかなかないので、うれしいゴールでした」

 4人のディフェンダーが並ぶフォーメーションの中央、リーグ戦では大井選手をパートナーにセンターバックとして最終ラインを担う。身長は公称176cm、センターバックとしてはフィジカルに恵まれているとはいいがたい。しかし、読みの良いポジショニングと身体の使い方のうまさを武器に、クレバーなプレーで今季スタメン定着を果たしている。大量失点の試合も経験したが、大井選手とのセンターバックコンビは、今季のベルマーレの守備の要として、なくてはならない存在感を放つ。
 その信頼を得た要素のひとつが、このふたりが、ともに試合を読む力に長けているところ。最終ラインにいながら、中盤が手詰まりになってくると、積極的にロングボールを前線へ送り、ラインを上げるなど、攻撃への糸口をチームにもたらしている。特に、季節が深まるにつれ、遠藤選手が起点となった攻撃のシーンが増えてきているのは、誰もが気づいているところだ。

「ディフェンスとしては、まずチームをしっかり守備でコントロールするというのが仕事。バランスはしっかりとっています。
 そういう中でもビルドアップは、自分の持ち味。まずはしっかりと攻撃に、ゴールに一番近い選択肢を持つことが大事だと思ってプレーしている。そういうことを考えながらプレーしているとビルドアップというのも、普通に中盤につなぐだけじゃなくて、ロングボールとかサイドチェンジとかも入れていかないと、というのがある」

 守備に重きを置きながらも、得点へのこだわりは、強い。サッカーは、ゴールを奪い合うゲーム。無失点に抑えれば、負けることはないが、ゴールを挙げなければ勝つことはできない。

「センターバックだから周りを見なくていいってことじゃなくて、センターバックだからこそ、結構フリーでボールを持てて、時間に余裕があるので、そこからのフィードがチャンスになるかならないかっていうことで試合の流れが変わってくるなって、自分はすごく思っている。常に周りを見ることは意識しています」

 天皇杯の得点について巻選手は、「航が前を見ているのは、上(スタンド)から見ていて、わかっていた。航に感謝したい」と、怪我の間、チームをスタンドから見守ってきた成果を語った。
 ともに感謝しあえる得点。巻選手の復帰とともに、選手同士の阿吽の呼吸が生む得点に、残りのシーズンの期待がかかる。

巡り合わせで拓けたプロへの道
ユースの仲間がいればこそ

 遠藤選手がゴールに繋がるパスを意識するようになったのは、それぞれの年代で指導にあたった指導者の影響が大きい。特に記憶に残るのは、センターバックにコンバートされた中学時代。

「小学校の頃はフォワードで、その後はトップ下とかボランチとか。中学のときは、中盤で中心になってボールをまわしてラストパスを出す、みたいな。その中学校のチームがあまり強くなくて、センターバックがいなかったので、中2の終わりくらいに初めてセンターバックをやりました」

 中学時代の監督は、守備を固めたいという意図を持って遠藤選手をセンターバックに据えたが、その位置からも攻撃を意識したパスを出すことを求め、遠藤選手はその要求に応えた。その結果、当時、ユースの監督だった現アシスタントコーチの曺コーチの目に止まり、ベルマーレの下部組織に入ることになる。遠藤選手は、こういう人とのめぐり合わせも自分は運が良いという。
 実は、中学年代は学校の部活動を選んだが、クラブチームでプレーをしたいという思いも持っていたし、実際にチャレンジもしていた。

「マリノスは、普通に落ちて(笑)、Jクラブ以外のクラブチームは何チームか受かったんですけど、小学校時代のコーチが、僕が進学する中学に『良い指導者の方が顧問としてくるから、中学で続けるのもいいんじゃないか』とアドバイスをくれたので、中学は学校の部活を選びました。
 高校は、高校サッカーも考えていたけど、Jのクラブの下部組織からオファーがきたのは初めてだったし、Jのチームにも挑戦したいなと思っていた。ベルマーレは、練習会に行った早い時期からチョウさんも『来ないか』と言ってくれたので。
 今考えると、高校に行っていたら、プロになってなかったんじゃないかとちょっと思っています。高校は、『蹴るサッカー』が多いっていうイメージがあるし、僕は背もあまり高くない。センターバックでもつなぐっていうのを特長としているし、そういう特長を出していかなければならなかったので、高校のサッカーとは合ってなかったかなぁと思うから」

 高校サッカーもチーム戦術やゲーム戦術に重きを置き、ボールを動かす頭脳的なスタイルを志向する指導者も多くなっているので、一概には言えないが、少なくともJのクラブの下部組織の指導はトップチームに順ずるものであり、戦術が重視されているのは間違いない。
 また、学校以外の仲間とプロに近い場所でプレーするというのは、誰もができる経験ではないもの。そういった仲間との経験も思い出に残っている。
 
「ユースであっても、毎年1人プロに上がれるか上がれないかという世界。最初は、トップの練習会に呼ばれることがユースの目標で、そこが第一段階。それに行くだけでもみんなが『頑張って来いよ』って言ってくれる。大さん(菊池)は、高2からトップの試合に出たりしていたんで、『すごいなぁ、あの人』って感じで見ていて、正直、ユースの頃は結構遠い存在でした。今、ユースの後輩が、どういう目で見てくれてるかはわからないですけど、自分に対する目もそうであってほしいです(笑)」

 ちなみに菊池選手に対して今は、「あんまり先輩って感じはしないです(笑)」とのこと。共に2種登録を経て昇格した数少ない選手。卒業していった仲間たちへ、共有する思いはある。

何もできなかったデビュー戦
その悔しさが成長の糧に

 プロデビューは、J1の舞台。2010年6月5日アウェイ山形のNDスタジアムで行われたナビスコカップのモンテディオ山形戦。

「試合の前の1週間でトップの練習に行く時間が多くて、3日前くらいかな? 紅白戦をやって、出られるチャンスがあるのかなっていうのはちょっと感じてた。だから結構、準備はできていたっていうか。試合自体も落ち着いて、あまり緊張もせずに入れたんですけど、思い通りのプレーができなかったっていうのが正直なところでした」

 その時のポジションは、4-3-3のアンカー。見せ場もなく、前半で交代となった。

「ちょっとしたパスのずれとかが、いつもどおりにいかなかった。自分自身もパスミスが多かったし、守備においても、山形もポゼッションとかも速いし、そういうスピード感とか、そういう部分についていけなかったのかなと思いました」

 デビュー戦の思い出はほろ苦く。さらにリーグ戦のデビューとなった2010年9月にホーム平塚で迎えた川崎フロンターレ戦も大敗した。

「きつかったですね、なかなか。3-4-3をやったんですよ。ボランチで出て、中盤が僕と雄三さん(田村・現強化部)で、相手に押し込まれて前半から5バックみたいになってしまった。相手の中村憲剛選手とか、稲本選手とか、ジュニーニョ選手に好きなように回されたっていう。そういうイメージしかない試合ですね。
 日本を代表する選手とやれたというのは、自分にとってはいい経験だったし、成長にも繋がったと思う。でも、相手がうまかったっていうだけ。自分自身は、何もできなかった。やろうとはしていたんですけど。
 相手は、本当にプレッシャーが速くて、自分は判断も遅くて、力不足はあったと思います」

 それでも昨年、J1リーグで6試合出場している。

「フロンターレ戦の後、ちょっと出られない時期が続いて、その後、大宮戦(11月10日開催)で今度は3バックの真ん中で出たんですけど、そのときは自分のなかでは結構良いプレーができたって思えた。そのときに初めてセンターバックで試合に出て、そしたらちょっと手応えがあって。それは少し成長できたかなっていうことを感じられたときでした。そこからは、全部出場できました」

 今季は,J2に舞台を移すこととなったが、J1とJ2の違いも経験の中で身体で理解しているのは、後々生きてくる糧となるはず。

「J2は、どのチームもレベルの差はないということをすごく感じている。球際とかも前線からすごいプレッシャーに来るチームが多いので、気持ちと気持ちのぶつかり合い。J1に上がるっていう気持ちが強いチームが勝っていくというところがあると思う。
 昇格に向けては、あまり良い状況ではないので、本当に練習をしなくてはいけない。僕も、1試合1試合勝ち点3を取らなきゃいけないという気持ちでいるし、選手みんなも昇格はあきらめていない。一致団結して頑張っていると思います」

 “何もできなかった”試合から1年。舞台は違うが、熾烈さではJ1リーグを上回るJ2で、切磋琢磨し成長してきた遠藤選手。どんな結果の試合であろうと、毅然と顔を上げて、前を見据える姿が印象的だ。残りのリーグ戦も,その強い気持ちで戦い抜く。

ビルドアップの能力を活かして
フル代表入りと海外での活躍が夢

 トップチームへの昇格が発表された時、そのコメントもまた、気持ちの強さを表していた。それは、「プロになることができて嬉しく思います。ただ、今の自分にとってはプロは夢というよりも目標に近いものでした」というもの。

「小さい頃の夢は、サッカー選手で、でも結構遠い、全然手の届かない世界で、そういうのが夢。でも、ユースに入ってトップの練習に行くようになったら、だんだん現実的にプロサッカー選手っていうのが見えるようになってきた。そこからは、夢というより,到達点、目標というような感じになった。
 今は、A代表に入ったり、海外でも活躍するような選手になるのが、夢。でもこれもちょっと目標に見えてる。まぁ、まだまだ遠いかな。夢と目標の間です(笑)」

 プロ1年目。その年にここまでの公式戦全試合に出場し、年代別の代表には常に名を連ね、「AFC U-19選手権2012予選」のメンバーにも選出されるなど、試合に出ることが何よりの成長の糧となる年代に、これ以上ないほどの経験を積んでいる。フル代表を目標にするのも、当然だろう。そういったことから、憧れを持って、他のプロ選手を見ることもなくなってきた。

「一人ひとり個人の特徴が全然違うし、自分には自分の特長があると思うから、この人をめざすというのは、考えないようにしようと思ったこともあって、最近は、あんまりいなくなっちゃった。でもやっぱり同じくらいの身長で代表に入っている今野選手(FC東京)は、自分とタイプが多少似ているので、目標というのではないけど、ちょっと意識して試合を観ています」

 理想とするのは、自分の持ち味を活かすサッカー。

「主導権を握って、自分たちでボールを動かしながら隙を突いていくっていうのがやっぱり理想。自分の中にそういうのはあります」

 理想のサッカーを描きながら、そこで自分の目標を達成することを考えた時に、課題となるのは、ポジションのこと。

「自分が185cmとか身長があって、今の状況であればセンターバックでずっと勝負していくというのは、手段としてあると思うけど、そんなに身長があるわけではないし、J1になった時に、そういうところで差が生まれてくることもあるかもしれないので、そういうことを考えるとオールマイティにいろんなポジションができて、柔軟性のある選手でいるほうが、自分には合っていると思う」

 ビルドアップの能力を磨くことにこだわる理由は、ここにある。昨年のデビュー戦で担ったアンカーには、苦い思い出があるが、同時に自分を活かす可能性も感じている。さらに、

「4-4-2のボランチっていうのもいい。攻めたいので、僕も。攻撃したい。センターバックでも攻撃参加を担っている、そういう気持ちでいつもいるし。
 サイドバックもいいです。僕の中の選択肢としては、普通にあります、サイドバック」

 意外なポジションが挙がってきたが、サイドバックを選択肢に入れているのも、攻撃参加というよりゲームを作るポジションと言うところに魅力を感じているのが理由。

「ディフェンスのなかでもセンターバックよりビルドアップの能力が必要なポジション。だから、そういう自分の特長を考えると、サイドバックもやってみたいなと」

 武器にしているのは技術と頭脳。自分自身をいかに活かしていくか? 常に考えている。
 描いた夢を目標に変え、未来へつながる通過点として道を拓く。試合ごとの成長とともに、選手として大きく育つ未来にも期待がかかる。

取材・文 小西なおみ
協力 森朝美、藤井聡行