ONLY ONE STORY presented by FUJITA

50MF FUJII TOMOYA

MY STORY

逆に甘さになっていた

親が中田英寿さんが好きで、7番をつけてほしいという理由からサッカーを始めました。
中学時代は試合に出られず、高校でいちからという気持ちで、進学校のなかではいちばんスポーツが強い長良高校を選びました。
高校時代はわりと順風満帆だったと思います。

ただ、岐阜県しか知らなかったので、自分がどのくらいやれるのか知りたくて、1個上の先輩が通っていた立命館大学にスポーツ推薦で入りました。
3年生のとき、天皇杯で横浜F・マリノスに1-2で負けたんですけど、自分のスピードが通用し、アシストして、「あれ、いけるんじゃないかな」と思った。
それでいくつか練習参加して、広島から特別指定で来ないかとお話をいただきました。

広島では、自分がうまくいかないときから城福(浩)さんが辛抱強く使ってくれました。
カシくん(柏好文)というウイングバックのお手本もいたので、一緒に試合に出て学びながら成功体験が増えていった。

その後移籍した鹿島ではゲームチェンジャーの役割が多くて悔しさはありましたけど、成長した部分はたくさんありました。
とくに去年、ポポさん(ランコポポヴィッチ前監督)が来てからの成長は大きかったと思います。
ポポさんは、チームのタスクをいちばん中心に置いたうえで自分のよさを出すことの大切さを教えてくれた。
僕はオンリーワンの部分だけでなにかを残さなければいけないという想いが強く、それが逆に甘さになっていたんです。

MY ASPIRATION 2025

大卒1年目のような気持ち

鹿島に行ってほんとによかったと思っています。
ただ、自分はこのままでいいのかなと考えたときに、1年間やりきったという感覚がありませんでした。
年齢的に「藤井智也」という選手を確立するラストチャンスだと思ったし、これから自分が生き残っていく道を考えたときに、湘南は上下動とスプリントで輝けるチームだと思った。
なにより、鹿島では僕の弱点を周りのみんなが消してくれて、ある意味、逃げ道が多かったと思うので、監督やチームの厳しさを僕は求めていました。
湘南からオファーをもらい、(キム)ミンテさんに連絡したときに、「若手が生き生きやっていて、厳しいなかにも愛がある」と背中を押してくれた。
それは実際に入ってからも感じていることです。

智さん(山口監督)は厳しいです。
でも図星すぎて反論する言葉はまったく見つからない(笑)。
練習試合で攻撃の立ち位置の取り方が分からなくて、言ってもらったことを練習で意識したら、立ち位置が変わるだけでこんなに楽なんだって、確実に景色が変わりました。

いまは大卒1年目のような気持ちでやっています。
これまでの経歴とか関係なく、もう1回向き合ってみようと、自分の成長に全振りして吸収しようと決めました。
監督が自分の特徴の活かし方を教えてくださるので、新しく変化を加えられる1年になるんじゃないかなと自分に期待しています。

……でもほんとに厳しいです。
もう少し甘やかしてよって思いますけど(笑)誰に対してもフラットなので、だからいいんですよね。

飛躍の1年にしたい気持ちは強くありますけど、ポポさんが言っていたように、チームを勝たせるために自分がやれることをやるシーズンにしたい。
そうしたら自ずと数字も出場時間も増えると思う。
スタメンで90分走り、「やりきったな」と思える感覚をもう1回味わいたいです。

鹿島はうまくいってない試合でも勝点を取りきる勝負強いチームです。
そういう相手に隙を見せてはいけない。
アウェイでもサポーターを含めて良い雰囲気に持っていくはず。
開幕戦では、懐かしく思いながら逆にそれを力に変えたいと思います。