24DF HONDA KOTARO
MY STORY
「なりたい」から「なる」に
チームスポーツを習わせたいという親の勧めで地元のクラブの体験に行って、「サッカー楽しい」って思ったのがきっかけですね。
小5で横浜市トレセンに入り、神奈川県トレセンの監督がいまベルマーレユースの監督の平塚次郎さんだったんです。
次郎さんに誘って頂いてベルマーレに行くことを決めました。
もともと僕、小3から町田ゼルビアのスペシャルクラスに通っていたんです。
だからゼルビアに行くものだと思っていたんですけど、次郎さんと面談してベルマーレに惹かれました。
というのも、遠藤航選手をはじめ、齊藤未月選手や石原広教選手というすごい先輩がいて、1個上にはツグ(石井久継)も入った。
ベルマーレは育成に力を入れていると聞き、ここならいちばん自分を伸ばしてもらえると思いました。
実際、ジュニアユースに入り、チームメイトにも恵まれてすごく楽しかった。
1個上には、ツグをはじめ、小杉啓太や秋山虎之亮など、その世代のトップレベルの選手がいる。
そういうレベルの高いチームメイトと練習したことで、自分の基準をひとつ上げてもらった感覚がありました。
U-15日本代表に入ったのもそのおかげだと思います。
当時U-15日本代表監督だったゴリさん(森山佳郎)には、17歳でプロになり、20歳で海外に行って、A代表に絡んで、という明確な目標を口酸っぱく言われました。
だから自分もプロになれると思ったわけじゃないですよ。
でも、こんなに高いレベルでやらせてもらっているんだから、プロにならなきゃいけないと思った。
そのとき、「なりたい」から「なる」に変わりました。
U-17アジアカップはほんとに楽しかったですね。
チームとしてどんどん強くなっていったし、個人としても成長を感じられた。
優勝もできて、いい思い出として心に残っています。
もちろんU-17ワールドカップでも成長は感じたんですけど、やっぱり負けた悔しさのほうが強かったですね。
ちなみにニックネームの「ジジ」は、小学生時代の地元のクラブの友だちがきっかけです。
語呂とノリで、ジャイアントゴリラ、略して「GG」と言い出し、それが気に入って僕はスパイクに刺繡を入れました。
すると市トレで「ジージー」と呼ばれるようになり、中1のときの監督が可愛く「ジジ」と縮めて、いまは「JiJi」と表記しています。
MY ASPIRATION 2025
一つひとつの練習から
トップチームに上がるのは夢だったので、昇格はうれしかったです。
親としては大学に行ってほしかったと思う。
でも、いざ昇格の話をもらったら理解してくれて、応援すると言ってくれた。
親にはほんとに感謝しています。
始動してから技術やフィジカルの差をすごく感じているんですけど、いちばんは考えるスピードです。
攻撃も守備も90分間ずっと頭を働かせ続けなければならない。
頭を使う労力がいままでとは違います。
ボールを奪うところは遠藤航選手を参考にしています。
ACミランのカイルウォーカーの対人能力もすごいと思う。
センターバックなら、もちろん冨安健洋選手のようになりたい。
今年はとにかく教えてもらったことを吸収し、考えて、一つひとつの練習から成長していく、積み上げていくことをテーマに取り組みたいと思っています。
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