21GK NAGAI TATSUNARI
MY STORY
やめて後悔するぐらいなら
日韓ワールドカップの決勝でドイツがブラジルに負け、GKオリバーカーンがゴールポストにもたれかかっている姿を見て「かっこいい」と思い、小2の頃にサッカーを始めました。
最初はフィールドプレーヤーで、本格的にGKをやったのは中学からですね。
中3で進路に迷っていたとき、G大阪に声をかけてもらいました。
ただ、鹿児島実業で高校サッカー選手権に3年連続で出場していた従兄に僕は憧れていたので、その年ちょうど選手権に出ていた京都橘を選びました。
といっても一般入学だったので、学費の免除はなく、親にはものすごく迷惑をかけた。
「自分のやりたいようにやりなさい」と言ってくれた両親には感謝しています。
選手権の決勝まで行った高2のときに、テレビを観ながら応援してくれていた近所の子が、「永井くんみたいなGKになりたい」と言ってサッカーを始めました。
そのときに、選手権でもそんなふうに子どもに思ってもらえるなら、プロになってもっといろんなひとに夢を届けられる人間になりたいと思うようになった。
そうして熊本でプロになり、京都を経て、その後は社会人リーグのいわきと飛鳥、枚方、FC大阪の1年目も仕事をしながらプレーしていました。
枚方で契約満了になったときには、サッカーをやめてセカンドキャリアを考えるようにとチームのひとに言われた。
そのとき25歳。
自分的にはまだまだやりたいし、できると思っていたんですけど、そう言われて自信がなくなってしまい、プライドも傷つけられた。
それで「もうサッカーやめようかな」「知り合いのバーで働こうかな」って当時付き合っていたいまの奥さんに話したら、めちゃめちゃ怒られた。
「やめて後悔するぐらいなら最後までちゃんとやり切ったら」と言われ、もう少し頑張ろうと思いました。
FC大阪から声をかけてもらったのは、その1週間後ぐらいのことです。
そこから3年間ずっと試合に出続けたので、FC大阪にはものすごく感謝していますし、あのとき止めてくれた奥さんにも感謝しています。
MY ASPIRATION 2025
毎日が刺激的
湘南からオファーをいただいたときは、ついにJ1かと、うれしかったですけど、実感は全然湧かなかったです。
でも始動して、やっと自分の目標だったところに辿り着いたなと、ようやくスタートラインに立てたなって思いました。
このチームは若いですけど、一人ひとりの技術の高さを感じます。
カミくん(上福元直人)もめちゃめちゃ憧れるGK像やし、だから毎日が刺激的で、この歳になってもまだまだ自分は成長できるとあらためて感じたので、いますごく楽しいですね。
僕、意外に昇格請負人なんです。
いわきも飛鳥も枚方もFC大阪も入った年に昇格しているので、湘南も優勝に導けたらなって思っています(笑)。
個人としては、今年の目標はJ1デビューすることです。
絶対的な守護神がいるなかで難しいとは思うんですけど、試合に出られるように日々いい準備をして、チャンスが来たら無失点に抑えてチームを勝たせるGKになっていけたらなと思っています。