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【リアル】ソンボムグン
韓国代表GKの横顔
リーグ屈指のセーブ数がその活躍を裏付ける。だが自身のサッカー人生を振り返れば、最初はGKをやりたくなかったのだという。それでも若くして台頭すると、K1リーグの全北現代モータースでプロとなり、カタールワールドカップでは韓国代表に名を連ね、そうして今季ベルマーレに加入した。そんなGKソンボムグンの歩みと思考をひもといていく。
■憧れは安貞桓
――ソン選手は身長196cmと大柄ですが、ご両親も背が高いのですか?
ソン はい。父が187cm、母は167cmです。
――なにかスポーツをされていたのでしょうか。
ソン やっていないですね。2人の姉もスポーツをやっていないので、家族では僕だけです。
――サッカーを始めたきっかけを教えてください。
ソン 両親から聞いたところでは、5歳ぐらいからつねにボールを蹴っていたみたいです。サッカーが好きだったし、体も大きかったので、その頃から自分より年上の小学1年生の子たちに混ざって一緒にプレーしていました。小学生になると、チャボングンという韓国のレジェンドのサッカー教室に入りました。その教室には、趣味でサッカーを楽しむクラスとプロを目指すエリートクラスがあり、当時フィールドでプレーしていた僕は上手いほうだったので、エリートクラスに入りました。
――その時点でプロになりたいと思っていたのですか?
ソン プロになりたいというより、韓国代表のサッカー選手になりたいという気持ちが強かったですね。小さいときに観た2002年の日韓ワールドカップの影響が大きいと思います。
――憧れの選手はいましたか?
ソン 小さい頃は安貞桓選手が好きでした。僕もFWをやっていたので、彼が背負っていた19番をどのチームでも付けるようにしていました。
――小学生の頃はずっとFWだったのですか?
ソン FWでしたが、背が大きいのでDFも守備的MFもやりました。
――GKを始めたのはいつですか?
ソン 小学5年生のときです。6年生のチームにGKがいなくて、監督から「背が大きいからGKをやりなさい」と言われてやることになりました。自分としては絶対やりたくなかったので、泣きながら「やめてください」と言ったんですけど(笑)。
――でも受け入れることができた。
ソン やってみると楽しかったですし、周りから称賛されて、自分のプレーがひとに認められる喜びを感じられたことも大きかったですね。近所の友だちとサッカーをやるときに、攻撃よりGKをやる回数のほうが多かったことも影響していると思います。
――GKのおもしろさはどんなところに感じますか?
ソン シュートストップはもちろん、自分がセービングしてチームが勝つこと、チームのピンチを救うところがGKの醍醐味かなと思いますね。FWはゴールを決める、GKはゴールを守るという点で共通しているところがあるのかなと思います。
■努力に対する考え方
――中学や高校時代はどのような環境でサッカーをやっていたのですか?
ソン 中学は学校の部活動で、高校時代はK2リーグに所属している軍隊チームのユースに通っていました。いまはそのユースからトップチームに上がる道があるんですけど、当時はトップに昇格するシステムがなかったので、大学に進学してプロを目指す道を選びました。
――そうして大学を経て、強豪の全北現代モータースに加入しました。
ソン 高校のときはKリーグが自分の目標ではありませんでした。当時は海外に行きたかった。でもU-20ワールドカップでの僕のパフォーマンスを見て、全北が熱烈なオファーをくれた。全北以外にもいろんなチームからオファーをいただき、そのなかには名古屋グランパスもありました。でも当時全北はリーグ1位でしたし、話も進んでいたので、大学を中退して22歳(*韓国では数え年が使われているので、日本での21歳に相当)で入りました。
――海外はどこに行きたかったのですか?
ソン ドイツですね。ドイツはGKの育成に優れていますし、これまで欧州のリーグに出場した韓国人GKはいないので、海外で試合に出たいという気持ちもありました。
――全北ではルーキーイヤーから5年間出場を続けました。簡単なことではないと思いますが、どんな努力をしましたか?
ソン 一生懸命頑張ればすぐに結果が出るという感覚は自分にはありません。学生時代に地道な努力を積み重ねてプロになれたように、変わらず努力を続けた結果、試合に出場するチャンスを得られたのだと思います。
――そういう自身の考え方に影響を与えた存在はいますか?
ソン 父と母の影響がいちばん大きいですね。良く言えば教えですが、悪く言えばお節介に感じてしまい、若い頃はあまり聞きたくなかったんですけど、でも振り返ってみると、父と母の言葉はいつも正しいし、それがすべてだと思っています。
中学の頃は正直、自分は努力する選手ではありませんでした。でも当時チームにもう一人GKがいて、僕は勝負運は強かったけど、どちらが試合に出るか分からなかった。そのときに競争心が芽生え、勝ちたいという気持ちが強くなりました。試合に出るために頑張ろうと思い、努力するようになって、成長し発展することができた。その経験があったので、以降ももっと頑張ろうという気持ちになりました。
■コミュニケーションの意味
――全北ではリーグ優勝4回、FAカップ優勝2回と、数多くのタイトルを手にしました。
ソン こういう言い方はよくないかもしれませんが、1年目はあまり苦労することなく6試合を残して優勝することができました。翌年と翌々年は難しいシーズンでしたが、それでも優勝できた。全北はつねに勝つチームで、選手同士信頼がありましたし、どう準備すれば勝てるのかも分かっていました。選手たちは皆、能力が高いのはもちろんですが、メンタルも強かった。球際も、勝利に対する欲も、強かったですね。能力が高いだけではないところが全北の強さだったと思います。
――ベルマーレは厳しい状況が続いていますが、つねに勝つチームにいたからこそ思うところはありますか?
ソン たしかに結果だけを見れば厳しいですが、ベルマーレには良い選手がたくさんいます。勝てていない要因には、怪我を含めていろんな要素があると思う。いま最も大事なのは、振り返ることより、これからどうしていくのかを探求し、諦めないことだと思います。自分たちはいま最下位で、失うものはないと思うので、もっとチャレンジしなければならないと僕は思います。
――対戦相手も一巡しました。Jリーグに感じていることを教えてください。
ソン ボールを保有することやボールタッチの質も含めて、Jリーグは選手の技術が高いと感じます。また、ゲーム展開が早く、見ていて面白いですし、楽しい。ただ、日本人選手は外国籍選手に当たり負けするなどフィジカル的に少し劣っている部分がある。そこが韓国人選手とは違うところかなと思います。
――先日、キムミンテ選手が加入しました。母国語でコミュニケーションを取れる選手がDFにいるのは心強いのでは?
ソン コミュニケーションというのは、話して、聞いてもらい、お互いを理解すること。その意味では、既存の選手たちともコミュニケーションを取れていますし、言葉が通じるかどうかより、こちらの意図を相手が受け取れていることが重要だと思っています。ミンテさんはJリーグが長いので、経験を聞きながら、お互いサポートし合って良い関係を築ければと思います。
■失うものはない
――ここから巻き返すうえでなにが必要でしょうか。
ソン これまでとは違う心構えで臨むことが大事ですし、いままでやってきたものを継続するのはもちろん、新しいトライもしていかなければいけないと思います。僕らは失うものはなにもないし、失うものがないという状況は相手にとって最も怖いはず。ボクシングに例えるなら、ずっとパンチを受け続けてやられるより、1回でもパンチを当てるチャレンジをしたほうがいい。自分も含めて、もっと自信を持ってやっていくべきだと思います。
――今季、自身の成長を感じたプレーはありますか?
ソン Jリーグに来てからの僕のプレーは、全北にいたときとは全然違います。ここではビルドアップに加担する場面が多いですし、ディフェンスラインが高いので、背後をケアするために活動範囲も広くなりました。あとシュートもたくさん飛んで来る(笑)。というのも、全北にいたときは決定的なピンチは試合中2,3回ぐらいで、それを防ぐことができればほぼ勝っていました。それに比べるとピンチの数は多いですし、そうしたさまざまな経験を通じて自分の成長を感じます。
――ベルマーレというチームにどんな印象を抱いていますか?
ソン いま状況はよくないですが、選手たちは現状を打破しようとしていますし、強い気持ちを持っていて、雰囲気も下がっていない。それはこのチームの良いところだと思います。
――最後に、思い描く自身の今後について教えてください。
ソン 2026年の北中米ワールドカップ本大会はもちろん、ワールドカップ予選やアジアカップも見据えています。経験をたくさん積んで上を目指したいです。
TEXT 隈元大吾
PHOTO 木村善仁(8PHOTO)