ボイス

【ボイス:2023年5月11日】平岡大陽選手

スポーツで感動を体験
2018年ロシアW杯が転機
 サッカーを始めたのは2歳年上のお兄さんの影響。当時4歳のお兄さんを追いかけて、ボールを蹴り始めた。

「年中(4歳)にならないとサッカースクールに入れないから、『早く入りたい、早く入りたい』と思いながらボール、蹴ってました」

 小学生時代は地域の少年団での活動を中心にしながらセレッソ大阪が平岡選手の地元近くで開校していたサッカースクールにも通った。中学が上がるときには、再びお兄さんの後を追ってセレッソ大阪西のジュニアユースのセレクションを受ける。

「お兄ちゃんが行っていたのでJクラブの下部組織の存在は理解していました。自分も『行きたいなー』と思いながら、『でも今じゃ無理かな』とか、小学生なりにいろいろストレス抱えて。結局行けましたけど、セレクションでギリ、滑り込んだ感じです。ほんまにうまい子たちはセレクションを受けなくても入っていくんです。僕はそこに入れんくて、セレクションを受けて最後の1、2枠に入った感じです」

 光るものはあっても、抜きん出た存在ではなかった。特に成長期はフィジカルの差も大きく出やすい時期。中学時代もまだまだ小柄だった平岡選手には、技術や気持ちだけでは超えられないものもあった。

「地元の少年団の中では、うまかったんですよ。でも学年が上がるにつれて、上には上がいることを知るじゃないですか。県の大会に出れば『こんなうまいヤツ、おるんや』とか、県のトレセンに落ちたりとか。いろいろあったりして」

 プロ選手になりたいという夢は、サッカーを始めた頃から持っていた。でも、それはあくまでも希望。「なれたらいいな」という程度。特に中学時代は、熱くサッカーに取り組んではいたものの、身体が小さかったこともあってプロを実現する目標として感じられる状況ではなかった。中学卒業後は、サッカーの強豪校の一つとして数えられる履正社高校へ進学し、高校サッカー選手権を目指す。

「でも、家から近くてサッカーが強いところ、という感覚。高校サッカーはあまり知らなかったし、選手権に対しても憧れを持っていたかと言われたら案外そんなこともなかったんで。寮生活は考えてなかったから、身近で一番強そうなところという感じで入りました」

 さほど大きな期待も抱かず選んだはずだったが、ここが転機となった。

「中学のときは試合には出させてもらってたけど、『自分ムリなんちゃうんかな』と思っていたところがありました。でも、高校は1年生からAチームの試合に出られたり。背も伸びて、身体もついてきたというのもあって、自分でも『行けるんちゃうか』っていう思いがだんだん出てきて」

 履正社高校での経験がサッカーに対しての気持ちをより前向きなものにした。その思いと重なるように、平岡選手が高校1年のときに開催された2018FIFAワールドカップ ロシア大会の日本戦を観て、これまでにない体験をする。

「それまでは『うまくいったらプロになれるかも』、みたいな感じだった。それがあのW杯の初戦のコロンビア戦を観て、初めて感動して、鳥肌が立った。劣勢で、もう絶対負けるやろみたいなところから全員で協力してひっくり返したところで、『うわーっ』と。『スポーツって本当に感動するんやな』って歓喜した。セレッソのアカデミーにいたから、ヤンマースタジアム(長居)で選手がプレーしているのを観ていたし、『本当にすごいな』『いつかこんなところでできたらな』と思っていたけど、W杯のコロンビア戦は、サッカーを観て、初めて心を動かされた。『こんな舞台に立てたら最高やな』と思いましたね」

 Jクラブのアカデミーから高校サッカーへ。環境を変えた中で自身の評価が変わり、プロ選手になる夢に対する思いも変わっていく。

「それでも途中までは無理だと思ってました。セレッソのジュニアユースから僕は履正社に行ってるけど、セレッソやガンバ(大阪)のユースに行った選手は本当にうまい。対戦しても『おお、うまいな』みたいな感じだし、その中でトップチームに上がれるのは1人か2人。高校サッカーに行った俺がプロになれるんかなみたいな思いはありました。でもそこは『考えても仕方がないから、プロになれるかはわからんけど毎日手を抜かずにがんばろうや』みたいな感じでやってましたけど」

 プロへの本気度が上がったところで出会いがあり、ベルマーレの練習に参加することとなる。

「履正社のグラウンドでやっていたリーグ戦の試合をたまたま見に来ていた福島ユナイテッド(FC)の方から湘南に話が行って、スカウトの方が僕が2年のときの大阪の選手権予選を見に来てくれたんです。そこで2年の最後の1月2月に練習に呼ばれました」

 その縁がプロへのオファーにつながった。

「そのときは、『え、セレッソのジュニアユースに入るの、あんなにムズかったのに、プロになるのはこんなにすんなり行くんだ』という感じで、びっくりしました。三笘(薫)選手や旗手(怜央)選手みたいな選手もいるから、大学経由でプロになれたらと考えて、ちょうど大学を探し始めた時期にオファーをいただいたので。戸惑いもありましたけど、家族といろいろ考えて、こんなチャンスはないだろうということで決めました。いろんな道があると思いますけど、選んだ道でやるしかないですし」

 高校を卒業して3シーズン目。スタメンに名を連ねることも多くなり、コンスタントに試合出場の経験を重ねられていることを思えば、この選択は間違ってなかったと言えるのではないだろうか。

>球際の強さが武器 気づきをくれたスカウトの言葉