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【リアル】永木亮太

変わったことと、変わらないもの

かつて湘南ベルマーレでは若くしてキャプテンを担い、主軸としてチームを引っ張った。さらに鹿島アントラーズではタイトルを獲得し、勝利に対する姿勢を育んだ。そうして昨季ベルマーレに復帰すると、今季は開幕からスタメン出場を重ねている。プロ13年目、苦しみや喜び、数多の経験を携えて、永木亮太はいまも進化を続けている。

■反町監督から受けた薫陶

――永木選手が湘南ベルマーレで最初にプレーしたのは、特別指定選手となった2010年にさかのぼります。当時のことは覚えていますか?

永木 鮮明に覚えています。大学4年生のときに特別指定になって初めてJ1の舞台に立てた。外から入ってきて急に試合に出るようになったので、いろんなプレッシャーを感じていましたし、変なプレーはできないという緊張感もあって、ほんとにがむしゃらにやっていましたね。

――川崎フロンターレのアカデミーからトップチームには上がれませんでした。進学した中央大学ではどのように過ごしましたか?

永木 プロになることは全然諦めていなかったので、4年間をどう過ごせばプロになれるかということだけを考えていました。4年生になってオファーをいただき、やれる自信もあったし、なによりうれしかった。まずは夢が叶ったという気持ちでした。

――当時、J1の舞台でプレーして、どんなことを感じていましたか?

永木 当然ですけど、大学とはまったくレベルが違いました。そのなかで、当時の湘南は相手にほとんどボールを握られる展開というか、なかなかパスを繋げない状況で、守備に追われる時間が多かった。相手チームと自分たちとの差を感じていました。ただ、僕はボランチをやっていたので、J1のレベルのなかでボールに多く触るポジションでプレーできたことは、経験としてすごくよかったですね。

――特別指定を経て、翌2011年にプロとなりました。この2年間に指揮を執った反町康治監督からはどんな薫陶を受けましたか?

永木 この世界でお金をもらう責任というか、「サッカー選手としてお金をもらってプレーするとはこういうことなんだ」ということが反さんの指導からすごく伝わってきました。まず、緻密さが大学とはまったく違った。セットプレーひとつからほんとに細かかったので、こんなにも違うんだと感じました。でもそれってプロの世界でやらなければいけない当たり前のこと。その教訓はいまも活きていますね。

――細かいというのは、たとえば?

永木 例を挙げるなら、相手の分析がいちばん分かりやすいのかな。たぶん反さんはものすごくたくさん試合を見ていたと思うんですよね。だから次の試合の相手に関する分析は、僕がいままで経験してきたなかでもいちばん緻密なんじゃないかなと思うぐらい細かかった。勝つためにやらなければいけないことだと捉えて反さんはやっていたと思うんですけど、相手の特徴を把握したうえで自分たちにいろいろ落とし込んでくれたので、すごいなと思います。その緻密さはいまもチームに受け継がれていると思いますね。

■キャプテンの重圧

――2012年には、永木選手がフロンターレのジュニアユース時代に指導を仰いだ曺貴裁監督が就任し、メンバーも若返りました。

永木 曺さんが初めてトップチームの監督になり、メンバーもガラッと一新して、初めてだらけのスタートというか、気持ちもリフレッシュして、「やってやるぞ」という想いはすごく強かったと思います。曺さんになってサッカーが変わり、湘南スタイルもあの頃から始まったと思うんですけど、やっていくうちに結果が出て、自信も付いてきて、ほんとにおもしろかったですね。

――これまでさまざまな経験を積んできたなかで、あのシーズンの昇格はどのように記憶していますか?

永木 曺さんの監督1年目で、自分の恩師でもあったので、昇格させたいという気持ちがあったし、自分もすごく昇格したかったので、ほんとにうれしかったですね。最後3連勝したのかな。他力だったし追い込まれていたんですけど、最終節に京都が引き分けて逆境をひっくり返した。あのとき曺さんがずっと、「人事を尽くして天命を待つ」と話していたんですよね。それがすごく印象に残っています。

――当時、曺監督は永木選手について、「後ろにチームがあることを考えられるようになった」と話していました。

永木 ああ……たしかにそうかもしれないですね。プロ1年目はどちらかというと自分をアピールしたい、自分の評価を上げたいという感じでした。でもあのシーズンぐらいから、チームがあっての自分だと考えるようになってきたのではないかと思います。

――そうして2013年はチームの主力としてJ1に臨みました。

永木 あのシーズンはチームとしてまだJ1のレベルではなかったように思います。歯が立たない試合が多かった印象だし、勝った試合もギリギリという感じでした。

――永木選手が人生初のキャプテンを任されたシーズンでもありました。

永木 覚えています。シーズン序盤の勝てなかった時期がいちばん記憶に残っている。開幕して6試合ぐらい勝てなかったんですよ。キャプテンになった重圧も、勝てないプレッシャーも感じていました。

――永木選手自身はどんな状態でしたか?

永木 もうずっと考えていましたね。僕はどちらかというとプラス思考でポジティブなんですけど、あのときはずっと、「なんでだろう、なんでだろう」って考え込んでいた。でも自分ひとりの力ではどうにもできないし、みたいな感じだったと思います。

――キャプテンになると、チームの状態が自分自身に直結するような感覚でしょうか。

永木 選手は自分の調子の良し悪しでメンタル的に浮き沈みするものですけど、キャプテンはそれだけではなくて、自分の調子が良くてもチームの状態が悪ければ喜べない。言葉にするのは難しいんですけど、チームのことを真っ先に考えるようになるので、自分を中心にフォーカスしづらいんですよね。でもそれは、キャプテンをやっているひとの特権だと思う。日本でJ1のキャプテンマークを巻ける選手は18人しかいないですからね。そう思って僕はやっていました。そのぶん責任があるし、でも勝ったときは喜びが倍増するし、そこはいいところだと思いますね。

■曺監督に言われ続けた自分のよさ

――降格してふたたびJ2に臨んだ2014年は、圧倒的な成績でリーグ優勝を果たしました。

永木 選手のクオリティが上がり、チームとしてもレベルアップして、戦っていて手応えがありました。途中からは「J1ではそのプレーは通用しないよ」といった言葉がチームのなかで飛び交うようになり、J1を基準に練習していました。開幕14連勝や史上最速のJ1昇格など歴史も塗り替えた。また個人的にはプロに入って初めて筋肉系の怪我をして、2カ月ぐらい離脱を経験しました。そういうのもすごく思い出に残っていますね。

――晴れてJ1に復帰した2015年は、湘南になって最高順位となる8位でフィニッシュしました。2013年とは違いましたか?

永木 まったく違いました。ギリギリで勝つのではなく、内容的にも相手を上回って勝てた試合がすごく増えた。ほんとに成長を感じられましたね。

――自身の成長についてはどう捉えていましたか?

永木 自分としてもレベルアップを感じました。その頃から日本代表も考えるようになり、行けるんじゃないかという気持ちも増してきたシーズンでした。

――曺監督から得た学びや、いまも活きている教えなどあれば聞かせてください。

永木 言葉にするのは難しいですね。中学生のときに出会って、もう形成されているので……。でも振り返ると、曺さんはつねに僕のよさを引き出してくれました。ボールを奪うことや球際のところは中学生の頃からずっと言われ続けていたし、僕が忘れがちになったときも、「そこがおまえのいちばんの武器だよ」「なくしてはダメだよ」とつねに言ってくれていた。ゴール前に出て行くことや運動量も褒めてくれました。だから僕はそれが良さだと自覚しているし、ありがたかったですね。

――永木選手の活躍とシンクロするように、「ボックス・トゥ・ボックス」という表現がよく聞かれるようになった印象があります。

永木 ああ、そうですね。当時ちょっと流行っていましたよね(笑)。

――3年間キャプテンを務めたことで、その後の人生も含めてなにか変わりましたか?

永木 毎年30人から35人ぐらい選手が在籍するプロの集団のなかでキャプテンを3年間やれたことはすごく自信になったし、そのなかで自分も成長できました。自分のことだけでなく、周りに気を配らなければいけないポジションだし、そういう経験はなかなかできないから、いまも活きていると思うし、今後社会に出たときも活きるのではないかと思います。

■常勝軍団で得た学び

――2015年のシーズンを終えて鹿島アントラーズに移籍しました。決断に至った経緯をあらためて教えてください。

永木 鹿島からは前年にもオファーをもらっていました。ただそのときは、このチームでJ1を戦いたいと思ったので、行きたい気持ちもありましたけど残りました。翌2015年はチームとして結果を残し、自分も良いパフォーマンスができたと感じて、そこで鹿島がふたたびオファーをくれた。鹿島はすごく好きなチームだったし、(小笠原)満男さんもいる。行くなら鹿島だと思っていたなかで、2年連続でオファーをもらえることはなかなかないので、行こうと決断しました。

――昔から憧れの選手だった小笠原さんと一緒にプレーして得たものは?

永木 最初は憧れから入って、話すだけで楽しかったし、緊張もしました。試合ではほんとに頼りになるし、人間的にも魅力的で、「こういうひとになりたいな」と思うことがすごく多かった。一緒にやったのは3年間でしたけど、ほんとにたくさんのことを教わりました。いまは苦しいときによくあのひとのことを想像しますね。

――鹿島では6年間プレーしました。

永木 移籍1年目は苦しいシーズンでしたが、タイトルを2つ(リーグ、天皇杯)取ることができました。タイトルが欲しくて移籍したところもあったので、それはいまでも財産ですし、行ってよかったなと思います。鹿島って雰囲気が独特で、会社のみんなが勝ちに執着しているんですよね。それが選手に伝わってきて、選手もそういう発言をするようになる。それってたぶん鹿島しかないと思うので、そのなかの一員でいられたことは、サッカー選手としても、今後人生を生きていくうえでも、よかったなって思いますね。

――つねに勝利にこだわる。

永木 はい。会社全体がそういう雰囲気だし、4位、5位でもサポーターに厳しく言われる。そうやって全体的に勝たなければいけないという雰囲気をつくり出してくれるので、その環境はすごく楽しかったですね。

――そして昨季、ベルマーレに7年ぶりに復帰しました。この移籍の決断についてもあらためて聞かせてください。

永木 まず、鹿島で試合に出るのが難しくなってきて、環境を変えたいという想いが自分のなかで芽生えていました。そのなかで湘南から話をもらった。悩みましたが、プロとして最初に入ったチームだし、恩返しをしたいという気持ちもあった。動けない状態ではなく、体が元気なうちに、チームに貢献できる自信があるときに帰って来たかったので、タイミング的にいまかなと思いました。

――昨季はしかし、苦しいシーズンだったと思います。チームを勝たせなければいけないという責任感が強すぎるほどににじみ出ていました。

永木 最初はそうでしたね。その後怪我もあり、試合に出られなくなってからは、チームを勝たせるというレベルの話ではなかった。自分がチームの戦術にフィットしていないことのほうがウェイトは大きかったです。

――山口智監督が求める戦術の難しさはどこにありましたか?

永木 良いポジショニングが良い攻撃を生むという考え方で、いままで僕は、以前湘南でやっていたときも、鹿島でも、こんなにポジショニングのことを考えてプレーしたことがなかった。ボールをもらう前の準備やポジショニング、体の向きなど、いままで経験してきたなかではいちばん細かいと思います。だから新しい発見というか、去年はそれが自分のなかでうまくかみ合わなかった。でも今年は、去年言われていたことがベースにあるので、整理されている。智さんの言うことも理解できているし、自分のなかで腑に落ちるようになった。そこは去年と今年の大きな違いだと思っています。

■山口監督のもとで

――髙橋直也選手が特別指定選手になったり、奥野耕平選手が加入したりと、アンカーを含めて層が厚くなっていますが、競争に対する受け止めは若い頃と変わったか、それともいまもギラギラしていますか?

永木 どうだろうなあ……。ギラギラはしています。やっぱり試合に出たいし、試合に出ていないとムカつくし、その気持ちは変わってないですけど、同じポジションのひとに対する接し方は変わってきているかもしれないです。一緒にうまくやっていきたいというか、一緒に成長しながらやっていきたい。でも試合には出たい、みたいな(笑)。やはり歳を重ねると、普段の接し方を含めて、一緒に良いメンタルでやっていきたいという感覚はありますね。そのうえで、自分で自分の評価を上げてポジションを勝ち取りたいという気持ちです。

――サッカー人生のターニングポイントを挙げるとしたらいつになりますか?

永木 いやあ、まだ終わってないので分からないです(笑)。……でもそれを言ったら、最初に湘南を選んだときじゃないですかね。当時フロンターレからも話があったんですよ。ベルマーレは特別指定付きのオファーで、たしかフロンターレは特別指定はなかったのかな。アカデミーで6年間育ててもらったチームだし、すごく悩みました。ただ、右サイドバックでも考えているって言われたんですよ。それは嫌だと思って(笑)。あとやはり曺さんが湘南にいたことが大きかったですね。だからいま振り返ると、フロンターレに行ってたらどうなっていたのかなと思う。このサッカー人生を歩めたのかなとも思うし、分からないですけど、良い選択をしたなと思っています。

――名古屋グランパスへの半年間の期限付き移籍を経て、今季は開幕から先発出場を続けています。手応えを聞かせてください。

永木 去年は戦術の部分で苦しんだところもあったんですけど、今年は帰ってきて一度頭をクリアにして、自分に足りていないところや求められていることを整理して入ることができました。ここまで怪我もなく、フィジカル的にも徐々に上がってきて、試合にも使ってもらっている。やはり試合に出ることがいちばんなので、そういった意味では手応えというか、すごく充実感を持ちながらやれています。

――球際の強さをはじめ、年齢を感じさせないプレーが印象的です。

永木 20代の頃と比べてしまうと、たぶん一瞬のスピードだったりは落ちているんですけど、でもいまは頭を使ったりポジショニングだったりでそこを補えるようになってきているかなと思う。いままでより確実に頭を使っています(笑)。準備やポジショニングはチームとして求められているし、自分に必要なことなので、すごく意識してやっていますね。

――開幕戦に勝利して以降、勝てない時期が続きました。今後の展望について、最後に聞かせてください。

永木 試合ごとに良い悪いはありましたけど、攻撃の仕方など、みんな手応えを感じていると思うし、自分たちが目指す方向はこの序盤戦で定まったと思います。結果が出なかったことについては、自分もずっとスタメンで出ているのですごく責任を感じている。自分たちが目指すサッカーをしながら結果が付いてくるように戦わなければいけないと思っています。

TEXT 隈元大吾
PHOTO 木村善仁(8PHOTO)