PARTNERパートナーとの取り組み

SHODAN -湘談-

「ひとつでも星を付けられるように」
オフィシャルチームバスにこめられた想い

今年最初の湘南対談企画「SHODAN-湘談-」。第10回目となる今回は、神田交通株式会社代表取締役の井上雅己さんをお迎えし、坂本絋司代表取締役副社長GMと対談を行ないました。今季より運行を開始した新しいオフィシャルチームバス製作の裏話をはじめ、コロナ禍のご苦労や先代の思い出、そして湘南地域に対する想いなど、歴史と地元愛がにじむ内容となりました。 以下敬称略

――新しいオフィシャルチームバスの御礼セレモニーがホーム開幕戦の試合前に行なわれ、多くのファン・サポーターが集まりました。どんなことを感じましたか?

井上 あんなにたくさんの方に集まってもらえると思っていなかったというのが正直なところで、皆さんを見て、すごいことをやってしまったのかなと思いました(笑)。ありがとうというお声をいただいて、うれしかったです。

――坂本さんは新しいチームバスを見てどんなことを思いましたか?

坂本 乗る人がうらやましいという気持ちが最初に来ましたね(笑)。でもJ1に長くいさせてもらうようになり、相手チームの立派なバスを目にするなかで、自分たちもいつかは、と思っていたので、こうして実現していただいて、一つひとつ階段を上っているという感慨深い気持ちです。

――坂本さんが現役時代はチームのロゴがラッピングされたバスではなかったですか?

坂本 なかったですね。

井上 2014年に大倉(智)さんが社長に就任された際にお話をいただいて、弊社がベルマーレカラーのバスを製作しましたが、坂本さんは乗られていないですか?

坂本 そのときはもう引退していましたね。私が現役の頃はバスにマグネットのようなものを貼っていたと記憶しています。

井上 ああ、そうですね。マグネットを貼っていましたね。

坂本 そうですよね。それで大倉が社長になったときにラッピングバスになりました。

――立派なバスができると選手の士気は上がるものですか?

坂本 間違いないと思います。車内の仕様も普通のバスとは違いますし、僕も正式に走るまえになかを見させていただいて、めちゃくちゃテンションが上がりました(笑)。施設がよくなると自分がワンランク上の選手になったような感覚を抱くのと同じで、バスも年間を通じてたくさん使うので、間違いなく選手の士気は上がると思います。

――今回このバスを製作することになった経緯をあらためて教えてください。

井上 コロナ禍になり、観光バスの需要がなくなって、会社に飾るようにバスが並んでいたなかで、送迎の仕事をやれたらと思っていたところでした。また、じつは最初にベルマーレさんのマスコットのバスをつくったときにも、今回のようなバスをつくりたいねと大倉さんと話していたんですよね。そういった経緯があったことと、あとは営業の雲出(哲也)さんの勢いも……(笑)。

坂本 想像がつきます(笑)。

井上 昔からクラブにいらっしゃる雲出さんに熱く想いを語られて、せっかくいただいたお話ですし、経営のことも考えて、お引き受けしました。

――聞くところによると、ベルマーレからは3年越しのお願いだったとか。

井上 そうですね、ちょうど3年ぐらいになるのかな。そう、コロナが拡大した2020年が、ちょうど弊社の創業50周年だったんですよ。だから記念という気持ちもあったし、でもコロナになって延びていたところもありました。

――コロナ禍の厳しい状況下、難しい決断ではなかったですか?

井上 でも振り返ると、「つくりたいな」と自分も心のどこかで思っていたんだろうなと思いますね。じつは私も以前ちょっとサッカーをやっていて、フジタと日産自動車の試合を観に行ったりもしていたので、応援したい気持ちは昔からありました。

――クラブにとって、このような立派なチームバスがあることの意義は何でしょうか。

坂本 我々は今年Jリーグ加盟30周年を迎え、ここから次のステージへ行こうと、水谷(尚人・前代表取締役社長)も話していたなかで、そのためにはサッカーはもちろん、チームを取り巻く環境も含めて、J1で戦うにふさわしいクラブへと変わっていかなければならない。そういう大切な年にチームバスをつくっていただいたことは願ってもないタイミングだったと思いますし、「次のステージ」を具現化してくれるもののひとつだと考えています。数年前から雲出が社内の会議で折に触れバスの話をしていて、そのとき私はまだ代表取締役ではなかったし、ほんとにそんな日が来るのかなという感覚もあったんですけど、そうやって強い想いを持ち続けて実行していくのはベルマーレらしいですし、我々が言葉にしている「次のステージ」に繋がっていると感じます。

――バスの製作秘話などあれば教えてください。

井上 当初予定していたシートがコロナ禍になってつくれないという話になったんですね。でもせっかくだから3列独立シートにしたかったので、メーカーに問い合わせて今回のものになりました。オットマンが付いていますし、良いシートだったので、結果的によかったかなと思っています。

坂本 すごくいいと思います。

井上 あとボディーの色は最初、「え、黒?」と思いました(笑)。ベルマーレさんだからグリーンがいいのかなという気がしていたんですけど、どうしても黒がいいという話で。

坂本 そうですね、社内では黒でいこうという話になっていました。

井上 黒は洗車機にかけると白く線が入ってしまうので、じつは扱いが大変なところがあるんですね。なので雲出さんに、濃い緑はどうかと話していたんですけど、いや、と言われて(笑)。

坂本 黒は強そうなんですよね。

井上 そうみたいですね。

坂本 他クラブさんのバスも見比べたりして、最終的にはみんな……。

井上 黒のほうがいいと。

坂本 はい。やるからには強そうでないと、ということで。

井上 そうして黒に決まったんですけど、じつはラッピングは一度やり直しています。最初はグレーっぽい黒というか、漆黒ではなかったんですよ。ラッピングを担当している会社の方も、あらためて印刷して貼り直してくれた。やっぱりプロなんですよね。彼らにも納得のいくものをつくりたいという想いがあったと思います。

――今回は「30周年記念仕様」ということで、今年限りのデザインになるのですか?

井上 そうですね。って、言っていいんですよね?

坂本 いいと思います。来年も同じロゴではおかしいですもんね。

井上 はい。いまのデザインは今シーズン限りで、来年はまた変える予定です。

――30年前に運行していた初代のチームバスは神奈川中央交通さんが手掛けていました。

井上 はい。当時うちはまだ大型バスをそんなに持っていなくて、高校生の送迎の仕事をけっこうやっていました。とくにサッカー部の送迎が多くて、会社としても「YOU.BUSサッカー大会」という神奈川県内の高校生を集めたサッカー大会を群馬のバラギ高原で10年間(2002~2011年)開催していたんですよ。

坂本 そうなんですか。きっかけは何だったんですか?

井上 うちはとにかくスポーツ関係の送迎をたくさんやっていたので、たしか学校の先生からサッカー大会をやってみないかという打診があったんですよね。当時はいろんなところでそういう大会が開催されていましたから、じゃあやってみようと先代が始めました。当時は仕事も多かったですし、いい時代だったのかなと思いますね。

――地元の企業にとってベルマーレはどのような存在ですか?

井上 サッカーは昔より盛り上がってきているじゃないですか。そういうチームが地元にあるのはすごいことだと思いますね。

坂本 いま言っていただいたように、地元にクラブがあることの喜びを感じてもらいたいと思って我々は仕事をしていますし、30年間いろんな紆余曲折がありつつ、少しずつですけど地元に浸透してきたのかなと感じます。近年はJ1にいますが、J2にいた時代から地域との繋がりを我々は大事にしてきました。いま井上さんにすごくうれしいお言葉をいただいて、その歴史や積み重ね、クラブとしての方向性は間違っていないとあらためて思えましたし、これからも変わらず地域に根差してやっていくことが大事だと思っています。

――神田交通さんは今年創業53年を迎えます。井上さんはずっと平塚ですか?

井上 そうですね、生まれも育ちも平塚です。高校から外へ出て、都内で仕事をして、また戻ってきました。自分が就職する頃は、神田交通としてはまだ大型バスを始めていなかったんです。小さいマイクロの送迎ぐらいだったのかな。その後、先代の想いもあり、大型バスをやることになって、私は帰ってきました。自分は当時コンピューター関係の仕事をしていて、まったくの畑違いでしたけど、今後うちの会社にもコンピューターは必要になるだろうと思っていたので、いろいろ勉強しながら仕事をしていて、帰ってきてからはバスの配車システムや日報を入力して給料まで計算できるようなシステムをつくるのを手伝っていました。

――先代の背中をどのように見ていましたか?

坂本 聞きたいですね。

井上 神田交通は整備工場とタクシーから始まっているので、親父は修理とか得意なんですよね。運転も上手でした。また地元に対して熱心で、遊んでいなかったし、投資もギャンブルも一切やっていない。浮かれないというのかな。そういうところはすごいなと思っていましたね。

――子どもの頃に遊んでもらった記憶はありますか?

井上 全然。親父と遊んだことなんかないですよ。

坂本 そうなんですね。

井上 たとえばお正月に家族で泊りに出かけるじゃないですか。そんなときも親父は必ず1回会社に行くんですよ。それで行ったっきり帰ってこないんです。

坂本 家族は出発しているのに?

井上 いえ、親父が帰ってくるまで僕らは家で待っているんですよ。

坂本 あ、そうなんですね。

井上 最終的にはみんなで行ったと思うんだけど、いつまで経っても帰ってこないから、いつ行くんだろうみたいな(笑)。

坂本 すごいなあ。

井上 そんなことがありましたね。

――2020年1月に先代から引き継いで代表取締役に就任されました。けれど直後にコロナが拡大した。

井上 そうです。まさかって感じで(笑)。

坂本 そうですよね。

井上 それこそ創業50周年を迎えるから意気揚々となにかやろうと……そうだ、ベルマーレさんの冠試合もやろうとしていたんです。50周年だから1回ぐらいやりたいねという話をしていました。でもコロナ禍になり、いろんなものを切ったというか、出さないようにしましたからね。

――実際、コロナによって厳しい経営を強いられたと思います。どのように乗り越えたのでしょうか。

井上 先ほど少しお話しししたように、大型バスはほんとに動かなかったので、企業のマイクロの送迎を急にお願いされてやるようになったりもしましたけど、いま思えば、じっと耐えていたところもあったのかな。正直バスも何台か減らしたんですね。あと雇用関係は助成金で補填しましたが、貸し切りバスってレジャー目的が多いので、国の補助金はほとんど出ないんですよね。だから先代が貯めていたものから補填してなんとか……という感じですかね。

坂本 厳しい時期をじっと耐えていまがあり、今回のバスもあるんですね。

井上 そうですね、ほんとに。

――代表取締役として、いまどんな想いを持っていますか?

井上 まずはこの先もずっと続けられるように会社を維持していければと思っています。新しいことはなかなか厳しいのかなと思うので、他社と差別化できるように、地に足をつけて地道に、派手ではなく地道にやっていければと思っています。

――ともに湘南地域に根付く存在として今後どのように関わっていきたいか、展望を聞かせてください。

井上 神田交通としては、引き続きスポンサーをやりながらバスも使っていただければと思っています。先日のセレモニーの際にも言いましたが、そのあいだにベルマーレさんがひとつでも星を付けられるようになるとうれしいですね。バスに星を入れたいです。

坂本 そうですね。いま星の話をしていただきましたけど、我々が次になにをしなければいけないかというと、応援していただいている方に勝利を届けることがいちばんの貢献だと思っています。選手もスタッフも勝利を届けたいという想いをこれまで以上に強く抱いていますし、地元やパートナーの皆さまに結果という目に見える形でもしっかり恩返しをしていきたい。神田交通さんが次の周年を迎えられる頃には、トップチームに新しい星が付いて、アカデミーにもバスがあるようなクラブになっていたい。ほんとに少しずつですけど、いろんなものを整備していきながらチームを強くしていきたいと思っています。

――冠試合の可能性は今後ありますか?

井上 そうですね、周年のときに1回ぐらいはやってみたいと思いますね。

坂本 ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。