ニュース
【リアル】山本脩斗
サッカーができる喜び
ピッチに立てば、どんな状況にも動じずにやるべきことを粛々とまっとうする。その語り口は穏やかで、あるがままを受け入れるような、フラットな印象が清しい。現在36歳、ベテランの域にじゅうぶん達しながら、つねにいまがキャリアのピークと思わせるプレーと存在感の背景を探る。
■ポジショニングの大切さ
――開幕からなかなか結果が出ていませんが、現状をどのように捉えていますか?
山本 チームとして、少しずつではありますけど、キャンプからやってきたことを試合で出せるようになっていることはポジティブに捉えています。そのうえで、自分たちのやりたいことを失点してからではなく、試合の最初から攻守において表現する必要がある。継続してやっていけば必ず結果は付いてくると思うので、信じて取り組んでいます。
――山本選手自身、開幕から6試合先発出場を続けてきましたが、感触はいかがですか?
山本 キャンプから怪我なくやれているのでコンディションはいいですし、良い状態でプレーできていると思います。
――ひとつ印象に残っているのが第3節浦和レッズ戦です。チームとしてなかなか縦パスが入らないなかで、山本選手が鋭く縦に入れて最終的にシュートに持ち込んだシーンがあった。自分たちのやるべきことをプレーで示しているように感じました。
山本 すぐには思い出せないですけど(笑)、でも選手個々のポジショニングが少しずつ遅れていて、チームがよくないときの流れだと感じていました。外だけでパスを回していても相手は怖くないし、自分がボールをもらったときにはまずFWを見ることを意識しているので、前の選手が空いていたから出したのだと思います。
――いまのシーン然り、山本選手はやるべきことを粛々と体現している印象があります。
山本 そうですね、自分としても、いま言われたようなタイプだと思います。去年などはとくにそうだったと思いますが、チームが劣勢のときに自分も同じようにバタバタしていたらチームがよくない方向に行くだけ。そういったところはいままで少しは経験してきたので、時間をつくることや後ろで回すことなどを考えながらプレーしています。また守備では、まずいいポジショニングを取り、周りに声をかけながら連係するのが自分の持ち味。スピードがそんなにあるほうではないので、味方を活かし、動かしながら守備したいとつねに思っています。
――ポジショニングは山口智監督も常々強調しているところだと思います。
山本 正しいポジショニングがあってこそ連動した守備ができると思うし、逆にベースとなるポジショニングがよくなかったら距離感が遠くなり、ハマるものもハマらない。智さんが練習からやられていることを、自分は「そうだよな」と思いながらやっています。ただ、自分ひとりができていても仕方ないですし、意識が足りない選手はまだいるので、チーム全体で合わせたい。ほんとうにちょっとしたところですが、守備がハマるかハマらないかはその数メートルでものすごく大きな違いになる。自分たちの持ち味は積極的な守備から始まると思うし、さらに意識を高めることでもっともっとよくしていけると思っています。
■新しいポジションへの挑戦
――もともと攻撃的なポジションを担っていた山本選手がDFになったきっかけは?
山本 ジュビロ磐田に最初は中盤で入りましたが、1年目の最後の天皇杯でヤンツーさん(柳下正明監督)に「サイドバックをやってみろ」と試合の週に言われました。高校時代はボールを持ったらドリブルを開始するような、それでやりすぎて監督に怒られていたぐらいなので、最初は「いやあ、守備か」という感覚でしたね。でも試合に出ないとダメだし、まずは結果を残すしかないと思って必死にやった。そこから1、2年ぐらいは守備の勉強という感じで、やりながら少しずつ覚えていきました。
――柳下監督はなにかを見通していたのでしょうか。
山本 どうなんですかね。聞いたことはないですけど、自分としては大きなターニングポイントだったかなと思います。
――守備力を磨いたのはどのタイミングになりますか?
山本 やはり(鹿島)アントラーズですかね。ジュビロのときは、ラスト10分に守備固めで中盤に入ったり、練習でもサイドバックだけでなく中盤もやったりしましたし、経験値もなかったので自分のなかでは必死にやっている感覚がすごくありました。でもアントラーズに移籍し、試合に出ていろんな経験を重ねるなかで、勝つためにどうプレーをしなければいけないか、勝っている状況や負けている状況でどうしなければいけないかを肌で感じた。それは大きかったと思います。
――誰かの指導を受けたからというよりも、鹿島というクラブのおかげで会得した。
間違いないと思います。アントラーズでプレーしながら学んでいった感じですね。僕はクロスがあるわけでもないし、技術がすごくあるわけでもない。運動量や高さが自分の持ち味だと思っているので、最初のポジショニングとカバーリングの意識と運動量で、攻守において顔を出すことをつねに意識していた。自分の生きる道はそこかなと思っていたので、攻撃参加してもピンチになればまたいるよ、みたいな、誰かが抜かれてもカバーしたり、そういったところは意識でどうにでもなると思っているので、ポジショニングはずっと意識してやってきました。
――守備の一方で、サイドチェンジや縦パスなど攻撃面での役割も大きいと思います。
山本 去年ベルマーレに来て、3バックの左右という、いままでやったことのないポジションでプレーするなかで、サイドバックとは違い、基本的に自分たちのところから(ビルドアップが)始まるし、視野やボールを持つ回数も違う。はじめのうちは試行錯誤しながらやっていました。後ろの3枚が縦パスを狙わないと相手は絶対怖くない。僕らがゴールに近い位置を見ることによって相手はなかを締めるし、そうしたら外も空いてくる。その意識はつねに持ちながらやっています。守備については基本的にはやることは変わらないと思うので、そこまで戸惑いはなかったですね。
■根底にある想い
――先ほど、やるべきことを粛々と体現するという話がありましたが、その最たるものが昨季の第33節横浜FC戦だと思います。残留を争う相手との大一番に、リーグ戦では2カ月半のブランクを経て抜擢されて勝利に貢献しました。あのときもメンタルは普段と変わらなかったのでしょうか。
山本 そうですね。もちろん久しぶりにリーグ戦のチャンスが来たなと思いましたし、チームとしても個人としても結果を残さなければいけない大事な試合だと位置付けていましたけど、やることは変わりません。練習からやっていることや自分の経験をチームのために出すだけだと思っていたので、いつも通りプレーしましたね。
――それまで長らくリーグ戦の出場機会に恵まれなかった状況はどのように受け止めていましたか?
山本 チームが変わり、ポジションも変わったなかで、なかなかリーグ戦に絡めず、難しさはありましたし、悔しい気持ちはもちろん持っていました。ただそのなかで自分がなにをしなければいけないかと考えたときに、試合に出るためには普段のトレーニングや練習試合を通してアピールするしかないし、そこが足りないから出られていないんだという想いがあったので、まずはやるべきことをやってアピールするしかないと感じていました。ルヴァンカップでも自分のできるアピールをつねに意識してプレーしていましたが、それでもなかなかチャンスは回ってこなかった。「ここは耐え時だな」と心のなかではつねに葛藤していました。でも、いままでジュビロやアントラーズでいろんな先輩を見て、振る舞いも学んできましたし、自分がなにをやらなければいけないかをつねに考えながら、そのときにできるベストを意識して、日頃から取り組んでいました。
――昨季も、また鹿島での最後のシーズンとなった2020年も、終盤戦でスタメンを掴んでいます。まさにそれは、変わらずに取り組む日々の答えに思えます。
山本 この世界、誰にも1年に数回はチャンスが来るじゃないですか。そこを活かせるか活かせないか、そういう世界だと思うし、チャンスが来たときに結果を残せるか残せないかは、普段サッカーに対してどういう気持ちで取り組んでいるか、どういう態度で練習しているか、そういったところが大きいのかなと自分では思っています。日頃の練習で手を抜いていたらそういうときに力は出ないと思うし、鹿島のときも去年も、いつ来てもいいように自分は練習を続けていた。ただ、普段やってないことはできないですし、自分がやれることを出そうと思って試合には臨みました。
――プロ1年目に同じ状況が訪れたら、同じスタンスでできましたか?
山本 ああ、無理ですね(笑)。たぶんそんなことは考えらなかったと思いますし、アントラーズやジュビロでいろんな経験をして、自信が付いたことも大きいのかな。それがあるから、自分がやってきたことを出せば結果は出ると信じている。ある程度の自信があるからできるというところもあるかもしれないですね。
――なにかのせいにせず、つねに自分に矢印を向けられるのはなぜでしょう?
山本 なんでですかね……。やっぱりプロサッカー選手になりたいという夢があったなかで、病気になってこの先どうなるか分からないという状況に直面し、それでもサッカーを続けることができた。サッカーができているだけでもありがたいと最初に思えたことが大きいのかなと思います。サッカー選手であれば、試合に出られなかったり、怪我したりすることもありますが、それで悩んでもしょうがないなと。なにかあって悩んでやる気がなくなり、練習で態度に出したところでなにもプラスにならないですし、それで上手くなるのかと。自分は試合に出たいですし、優勝したい。そのためになにをやらなければいけないかを考えてやっている。だったら練習からやるしかないと、そういう考えがつねに自分のなかにありますね。
――いまのお話は、2008年に磐田に入団する際、発覚した原発性左鎖骨下静脈血栓症のことですね。
山本 はい。ジュビロの仮契約のときに病気が見つかり、はじめは社員契約という形で結んでいただいて、半年後の6月に正式に契約していただきました。その後、普通にサッカーをやっていたんですけど、翌年の10月に再発してしまった。このときお医者さんに、「薬を飲んでサッカーをやめるという選択肢もあります」と言われたんですね。それで北海道や東京へセカンドオピニオンを聞きに行って、幸い有名な先生に「そのままやっていて大丈夫だよ」と言っていただいた。そのときにまたサッカーができる喜びも感じましたし、当たり前じゃないんだなと思いました。だったら楽しむしかないというか、自分の目標に向かって、ちょっとしたことでへこたれもしょうがねえなって。
――つまり再発したのは、左サイドバックでレギュラーを掴んでいるとき。
山本 そうです。試合に出られているなというときにまた再発した感じですね。
――穏やかに話していますが、すごくシビアな話だと思います。
山本 いや、最初先生に言われたときは、「あ、俺サッカーやめなきゃいけないのかな」って頭が真っ白になりました。
――そういった話も含めて、あるがままを受け入れるようなフラットな印象が山本選手にはあります。
山本 そうですね。病気もそうだし、アントラーズでいろんな経験をして、昔にはなかった考えを得て、いまに至るのかなと感じています。
■もっともっと成長できる
――ちなみに名前の「脩」の字は珍しいと思いますが、由来を聞いたことはありますか?
山本 父には何回か聞いたことがあります。細く長くみたいな意味があるらしくて、なんか自分もそういう感じになっているのかなと思うときもあります(笑)。
――細くではなく、太く長くではないでしょうか。32歳で初めてA代表に選出されたことなどにも、山本選手の人生とリンクしているものを感じます。
山本 ありがとうございます(笑)。あのときはものすごくコンディションがよかったですし、自信もあったので、続けてきてよかったなと思いましたね。
――チームではいま最年長ですが、どういう立ち位置ですか?
山本 自分としてはそんなに意識してないんですよ。みんなを引っ張っていくタイプではないので、試合を通して自分のプレーを見て、少しでも感じてもらえるものがあればというスタンスですかね。でも守備に関してはいろいろ経験してきて伝えられることはあると思うので、なにか気付いたことがあれば話しています。去年は(平岡)大陽や(畑)大雅と同じサイドでプレーすることが多かったので、ほんと1メートル2メートルのところの意識を持ってもらいたいと思い、気付いたことを伝えていた。最初にこうポジショニングしてこのスピード感で行けばボールを奪えるなとか、ダメだったらちょっと引こうとか、試合を通して経験していけば感覚が掴めて立ち位置も変わってきますし、実際、初めの頃よりよくなっていると感じますね。
――山本選手の現在の活躍を見ると、つねにいまが全盛期ではないかと感じます。自分としてはいかがですか?
山本 そうですね、いろいろ経験してきたなかで、去年から新しいポジションをやって、いままでにないプレーもあるので、楽しみながら吸収しながら勉強しながら、少しずつ去年の自分より成長していると自分でも感じます。だからいまがすごく楽しいですね。冗談で歳のことは言われますけど、自分のなかではとくに意識してないですし、もっともっと成長できると思っています。
――チームは苦しいスタートとなっていますが、ここから逆襲に向けて大事なことを最後に聞かせてください。
山本 自分たちのやっていることを信じなければいけないし、そこがブレたらダメだと思うので、練習から続けていくことが大事だと思います。自信を持ってやれている部分は増えているし、いい部分は間違いなく出てきていると思うので、さらに肉付けしていけば、守備も攻撃ももっともっとよくしていけるし、勝てるチームになれるはず。
1勝すれば自信ももっと出てきますし、いい方向に行くと思うので、まずは勝てるようにみんなでしっかりやっていきたいなと思います。
TEXT 隈元大吾
PHOTO 木村善仁(8PHOTO)