ボイス

【ボイス:2021年12月2日】畑大雅選手


ライバル心を超えて築く信頼関係、
仲間との日々が成長の糧に

サッカー選手であれば誰もが
公式戦のピッチに90分間フルタイムで立ちたいもの。
そのために自分だけの武器を磨き、厳しいポジション争いに挑む。
プロ2年目のシーズンを過ごす畑大雅選手も自らの成長を期する一人。
今シーズン気づいたのは、負けられないライバルは、
同時に支え合い、刺激し合う仲間だということ。
チームメイトとの切磋琢磨の時間に充実を噛み締めている。

プロへの道を拓いた
サイドへのコンバート
 サイドを駆け上がる走力と、相手ディフェンダーに競わせる隙を与えない縦への突破力。持ち味の違う選手がポジションを争うサイドにおいて、力強い推進力とスピードを武器に戦う畑大雅選手。プロ2年目の今シーズンもシーズンの深まりと共に存在感を増している。 スピードに乗ったドリブルを武器に縦への仕掛けを得意とするプレースタイルは、サイドの申し子のよう。しかし、このポジションを担うようになったのは、実は高校生から。中学生までは地域のクラブチームでフォワードの選手として活躍し、点を取ることこそ自分に合った仕事と信じていた。

「高校の入学前に監督と面談があって、『お前は絶対サイドの選手だ』っていう話をされて。でも、そう言われてもサイドバックは『バック』じゃないですか。守備はやりたくないし、あんまり好きじゃないから正直『嫌だな』って気持ちがありました。でも、実際にやってみたらウイング的な感じで守備より『どんどん攻撃に出ていけ』っていう感じだった。やってみたら意外とすんなりやれたなっていう感じがあります」

畑選手自身が「サイドをやっていなかったらプロにはなれなかったと思う」というほど、このコンバートはサッカー人生における転機となった。畑選手が在校時、指揮を執った恩師・朝岡隆蔵監督(現・ジェフユナイテッド市原・千葉 U-18A監督)と出会ったのが市立船橋高校だった。

「プロになるならJクラブのユースかなと思っていたんですけど。クラブチームの先輩の原輝綺くん(現・清水エスパルス)が市船に行っていて。輝綺くんが2年生のときの高校選手権を観に行って、いいサッカーしてるなと思った。その後にプレミア(高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ)の市船の試合も観に行って、Jユースに負けてないし、順位も良かったので、ここなら成長できるなと考えて市船に決めました」

Jクラブのユースから練習参加の声もかかっていたが、高校選手権で観た市船のサッカーに魅了されたあとは、練習に参加することもなく高校サッカーを選んだ。

「市船は、3-4-3だったり、サイドバックでも基本ウイングのような使い方をするシステムが多くて。チームの形としてウイングがボールを持ったら近寄るなっていう決まりがあるんですけど、それはウイングの選手に1対1をやらせるため。ウイングには突破力のある選手を置いて、そういう形を作ってくれる。もちろんワンツーとか、後ろのサポートはありますけど、基本的にウイングは1対1に専念させてくれる形が多かったので、僕にとってはそれがすごく良かった。僕の特徴を活かすシステムだったなと思います」

朝岡監督が指導したのはプレー面だけではない。考えてサッカーをするための基礎の部分を築くサポートもしてくれた。

「クラブチームでは、ボールをどう動かしたらどうスペースが作れるといった戦術的にサッカーを理解する指導や、チームとしての約束や決まりごとはそんなになかった。だから高校に行って初めていろいろな決まりごとや、相手がこう動いてここが空くんだよとか、本当に1から教わりました。理解するのは苦労しましたけど、そこで学んだことは今でも生きていると思う。年代別の代表に行かせてもらったり、プロになれたのも朝岡さんに尽力していただいたおかげだと思う。一番影響を受けた人かなと思います」

プロになりたいという漠然とした思いはあったが高校まではただの夢だった。しかし、高校で自分の特徴を活かすポジションと出会い、個人戦術を身につけることで夢の実現に向けた手応えを感じるようになる。

「1年生の頃からプレミアとかインターハイとか選手権とか出て、そこらへんから(年代別)代表にも呼ばれるようになった。見てもらえる機会が増えるのは自分のプレーが評価されている証拠だし、自信を持てるきっかけにもなって、自分の中でプロというものがようやく現実味を帯びてきたなという感じがありました」

高校卒業後の進路に向けて、プロになるためのオファーは複数のJクラブから届いた。

「ベルマーレは高校の先輩でもある杉さん(杉岡大暉選手)が試合に出ているのを見ていて、市船のサッカーともシステム的に似ているから行けたらいいなと思っていたんですけど、練習参加の打診もなかなかなくて。夏が終わったくらいに声をかけてもらって練習参加して決まったという感じです。決め手はやっぱりやり方が市船のサッカーに似ているというのが僕の中では一番大きい。ビッグクラブに行くという選択肢もありましたけど、慣れない戦術をまず理解するところから入るのは、それこそプロ1年目はいろいろやることがあるし、でも試合にはどんどん絡みたいしと考えて、自分の中で理解がしやすいチームでやるのがベストかなと思って、ベルマーレを選びました」

プロへの道は、高校時代に迎えた転機によって拓かれたもの。今は、その道を力強く走っている。

>ケガの期間に頭を育てて復帰後はプレーに余裕が持てるように