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2009.04.13
沿革
1968年 | 栃木県那須で藤和不動産サッカー部として創部 栃木県リーグ1部優勝 |
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1969年 | 栃木県リーグ1部優勝 入れ替え戦に出場し、関東社会人リーグ昇格を勝ち取る |
1970年 | 関東社会人リーグ1部2位 全国社会人サッカー選手権大会3位 |
1971年 | 関東社会人リーグ1部優勝 全国社会人サッカー選手権大会優勝 日本サッカーリーグ入れ替え戦に出場し、1部昇格を勝ち取る |
1972年 | 下村幸男監督就任(~74年) 日本サッカーリーグ1部8位(全8チーム) |
1973年 | 日本サッカーリーグ1部4位(全10チーム) セルジオ越後と中村勤がJSLベストイレブンに選出 |
1974年 | 日本サッカーリーグ1部8位(全10チーム) セルジオ越後がJSLベストイレブンに選出 |
1975年 | 藤和不動産からフジタ工業へチームを移管 チーム名をフジタ工業サッカー部に改称し、練習グラウンドを平塚市大神に移転 石井義信監督就任(~80年) 日本サッカーリーグ1部7位(全10チーム) 第55回天皇杯準優勝 |
1976年 | 日本サッカーリーグ1部3位(全10チーム) 古前田充がJSLベストイレブンに選出 |
1977年 | 日本サッカーリーグ1部優勝(全10チーム) チームとしてJSL歴代シーズン最多得点記録となる64得点を挙げる カルバリオがJSL歴代シーズン最多得点記録となる23得点で得点王を獲得 古前田充と比嘉セイハンが7アシストでJSLアシスト王を獲得 園部勉がJSL新人王を獲得 脇裕司、今井敬三、古前田充、マリーニョ、カルバリオがJSLベストイレブンに選出 第57回天皇杯優勝 カルバリオが全国のサッカー担当記者が選ぶ年間最優秀選手に選出 |
1978年 | 日本サッカーリーグ3位(全10チーム) カルバリオが15ゴールでJSL得点王を獲得 園部勉、今井敬三、カルバリオがJSLベストイレブンに選出 |
1979年 | 日本サッカーリーグ1部優勝(全10チーム) 園部勉、今井敬三、古前田充、マリーニョ、カルバリオがJSLベストイレブンに選出 第58回天皇杯優勝 今井敬三が全国のサッカー担当記者が選ぶ年間最優秀選手を獲得 |
1980年 | 日本サッカーリーグ1部2位(全10チーム) 今井敬三、古前田充、カルバリオがJSLベストイレブンに選出 |
1981年 | 中村勤監督就任(~84年) 日本サッカーリーグ1部優勝(全10チーム) 池内豊が新人王を獲得 野村貢、古前田充、カルバリオがJSLベストイレブンに選出 |
1982年 | 日本サッカーリーグ1部4位(全10チーム) 第62回天皇杯準優勝 |
1983年 | 日本サッカーリーグ1部3位(全10チーム) |
1984年 | 日本サッカーリーグ1部6位(全10チーム) |
1985年 | 花岡英光監督就任(~87年) 日本サッカーリーグ1部4位(全10チーム) 第65回天皇杯準優勝 |
1986年 | 日本サッカーリーグ1部8位(全12チーム) |
1987年 | 日本サッカーリーグ1部9位(全12チーム) |
1988年 | 石井義信総監督、ジレットヘッドコーチ就任(~89年) 日本サッカーリーグ1部4位(全12チーム) 第68回天皇杯準優勝 |
1989年 | 日本サッカーリーグ1部11位(全12チーム) 日本サッカーリーグ2部へ降格 |
1990年 | チーム名をフジタサッカークラブに改称 古前田充監督就任(~95年) 日本サッカーリーグ2部3位(全16チーム) |
1991年 | ニカノールヘッドコーチ就任 日本サッカーリーグ2部優勝(全16チーム) ピッタが18アシストでアシスト王を獲得 |
1992年 | 10月、株式会社フジタスポーツクラブ設立 Jリーグに準会員加盟 ジャパンフットボールリーグ1部3位(全10チーム) |
1993年 | Jリーグ正会員加盟が決定 チーム名をベルマーレ平塚に改称し、社名を株式会社ベルマーレ平塚に変更 ジャパンフットボールリーグ1部優勝(全10チーム) |
1994年 | Jリーグサントリーシリーズ11位、ニコスシリーズ2位、年間総合5位(全12チーム) 田坂和昭がJリーグ新人王を獲得 名塚善寛、ベッチーニョがJリーグベストイレブンに選出 第74回天皇杯優勝 |
1995年 | Jリーグサントリーシリーズ7位、ニコスシリーズ14位、年間総合11位(全14チーム) 第6回アジア・カップウィナーズカップ選手権優勝 |
1996年 | トニーニョ・モウラ監督就任 9月、植木繁晴に監督交代(~98年) Jリーグ11位(全16チーム) アジア・スーパーカップ準優勝 |
1997年 | Jリーグ1stステージ4位、2ndステージ9位、年間総合8位(全17チーム) 中田英寿がJリーグベストイレブンに選出 中田英寿がAFC年間最優秀選手、全国のサッカー担当記者が選ぶ年間最優秀選手に選出 |
1998年 | 11月、フジタが撤退を表明 Jリーグ1stステージ12位、2ndステージ12位、年間総合11位(全18チーム) 都並敏史が功労選手賞を受賞 中田英寿がAFC年間最優秀選手に選出 |
1999年 | 上田栄治監督就任 8月、古前田充に監督交代 12月、株式会社ベルマーレ平塚からチーム経営を引き継ぎ、株式会社湘南ベルマーレ発足 Jリーグ1stステージ16位、2ndステージ16位、年間総合16位(全16チーム) Jリーグ2部へ降格 サポーターと地域の方々による存続運動が展開された |
2000年 | チーム名を湘南ベルマーレに改称し、ホームタウンを平塚市から7市3町(厚木・伊勢原・小田原・茅ヶ崎・秦野・平塚・藤沢・大磯・寒川・二宮)に拡大 加藤久監督就任 J2リーグ8位(全11チーム) |
2001年 | 6月、湘南ベルマーレビーチバレーボールチームが発足 田中孝司監督就任(~02年) J2リーグ8位(全12チーム) |
2002年 | 4月、Jリーグクラブ初のNPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブが誕生 湘南ベルマーレトライアスロンチームが発足 12月、山田松一に監督交代 J2リーグ5位(全12チーム) |
2003年 | サミア監督就任 5月、山田松一に監督交代(~04年7月) J2リーグ10位(全12チーム) |
2004年 | 1月、産業能率大学と提携 6月、スペイン、リーガ・エスパニョーラのC.Aオサスナと提携 7月、望月達也に監督交代(代行) 9月、上田栄治に監督交代 J2リーグ10位(全12チーム) |
2005年 | 2月、湘南ベルマーレソフトボールチームが誕生 3月、国際支援NGO団体ピースウィンズ・ジャパンと提携 J2リーグ7位(全12チーム) |
2006年 | 4月、湘南ベルマーレフットサルコートが藤沢駅前にオープン 6月、菅野将晃に監督交代 7月、パラグアイに日系ベルマーレが誕生 10月、フジタ時代から30年余りを過ごした大神からクラブの拠点を馬入に移転 10月、現役引退を発表したクラブOBの中田英寿氏がジュニアユースのユニフォームをデザイン 12月、平塚競技場がJリーグアウォーズにてベストピッチ賞を受賞 J2リーグ11位(全12チーム) |
2007年 | 1月、「湘南ベルマーレスポーツマスコミ塾」が開校 7月、「湘南ベルマーレフットサルクラブ」が発足。小田原を拠点に9月よりFリーグ参戦 7月、オフィシャルフリーペーパー「MARE」創刊 9月、台風の影響で馬入グラウンドが冠水したが、多くのサポーターの手によってグラウンドが救われた ユース、Jr.ユース、ジュニアと全カテゴリーで全国大会出場 J2リーグ6位(全13チーム) |
2008年 | 藤和不動産サッカー部創部から数え、クラブ創設40周年を迎える 7月、菊池大介がJ2最年少ゴールを記録(17歳3ヶ月15日) 7月、坂本紘司がJ通算300試合出場を達成。1つのクラブで300試合出場達成はJ2初 8月、ビーチバレーチームの白鳥勝浩、楠原千秋が悲願の北京五輪出場 ベルマーレサッカースクール生が1,000人を突破 J2リーグ5位(全15チーム) |