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沿革

1968年 栃木県那須で藤和不動産サッカー部として創部
栃木県リーグ1部優勝
1969年 栃木県リーグ1部優勝
入れ替え戦に出場し、関東社会人リーグ昇格を勝ち取る
1970年 関東社会人リーグ1部2位
全国社会人サッカー選手権大会3位
1971年 関東社会人リーグ1部優勝
全国社会人サッカー選手権大会優勝
日本サッカーリーグ入れ替え戦に出場し、1部昇格を勝ち取る
1972年 下村幸男監督就任(~74年)
日本サッカーリーグ1部8位(全8チーム)
1973年 日本サッカーリーグ1部4位(全10チーム)
セルジオ越後と中村勤がJSLベストイレブンに選出
1974年 日本サッカーリーグ1部8位(全10チーム)
セルジオ越後がJSLベストイレブンに選出
1975年 藤和不動産からフジタ工業へチームを移管
チーム名をフジタ工業サッカー部に改称し、練習グラウンドを平塚市大神に移転
石井義信監督就任(~80年)
日本サッカーリーグ1部7位(全10チーム)
第55回天皇杯準優勝
1976年 日本サッカーリーグ1部3位(全10チーム)
古前田充がJSLベストイレブンに選出
1977年 日本サッカーリーグ1部優勝(全10チーム)
チームとしてJSL歴代シーズン最多得点記録となる64得点を挙げる
カルバリオがJSL歴代シーズン最多得点記録となる23得点で得点王を獲得
古前田充と比嘉セイハンが7アシストでJSLアシスト王を獲得
園部勉がJSL新人王を獲得
脇裕司、今井敬三、古前田充、マリーニョ、カルバリオがJSLベストイレブンに選出
第57回天皇杯優勝
カルバリオが全国のサッカー担当記者が選ぶ年間最優秀選手に選出
1978年 日本サッカーリーグ3位(全10チーム)
カルバリオが15ゴールでJSL得点王を獲得
園部勉、今井敬三、カルバリオがJSLベストイレブンに選出
1979年 日本サッカーリーグ1部優勝(全10チーム)
園部勉、今井敬三、古前田充、マリーニョ、カルバリオがJSLベストイレブンに選出
第58回天皇杯優勝
今井敬三が全国のサッカー担当記者が選ぶ年間最優秀選手を獲得
1980年 日本サッカーリーグ1部2位(全10チーム)
今井敬三、古前田充、カルバリオがJSLベストイレブンに選出
1981年 中村勤監督就任(~84年)
日本サッカーリーグ1部優勝(全10チーム)
池内豊が新人王を獲得
野村貢、古前田充、カルバリオがJSLベストイレブンに選出
1982年 日本サッカーリーグ1部4位(全10チーム)
第62回天皇杯準優勝
1983年 日本サッカーリーグ1部3位(全10チーム)
1984年 日本サッカーリーグ1部6位(全10チーム)
1985年 花岡英光監督就任(~87年)
日本サッカーリーグ1部4位(全10チーム)
第65回天皇杯準優勝
1986年 日本サッカーリーグ1部8位(全12チーム)
1987年 日本サッカーリーグ1部9位(全12チーム)
1988年 石井義信総監督、ジレットヘッドコーチ就任(~89年)
日本サッカーリーグ1部4位(全12チーム)
第68回天皇杯準優勝
1989年 日本サッカーリーグ1部11位(全12チーム)
日本サッカーリーグ2部へ降格
1990年 チーム名をフジタサッカークラブに改称
古前田充監督就任(~95年)
日本サッカーリーグ2部3位(全16チーム)
1991年 ニカノールヘッドコーチ就任
日本サッカーリーグ2部優勝(全16チーム)
ピッタが18アシストでアシスト王を獲得
1992年 10月、株式会社フジタスポーツクラブ設立
Jリーグに準会員加盟
ジャパンフットボールリーグ1部3位(全10チーム)
1993年 Jリーグ正会員加盟が決定
チーム名をベルマーレ平塚に改称し、社名を株式会社ベルマーレ平塚に変更
ジャパンフットボールリーグ1部優勝(全10チーム)
1994年 Jリーグサントリーシリーズ11位、ニコスシリーズ2位、年間総合5位(全12チーム)
田坂和昭がJリーグ新人王を獲得
名塚善寛、ベッチーニョがJリーグベストイレブンに選出
第74回天皇杯優勝
1995年 Jリーグサントリーシリーズ7位、ニコスシリーズ14位、年間総合11位(全14チーム)
第6回アジア・カップウィナーズカップ選手権優勝
1996年 トニーニョ・モウラ監督就任
9月、植木繁晴に監督交代(~98年)
Jリーグ11位(全16チーム)
アジア・スーパーカップ準優勝
1997年 Jリーグ1stステージ4位、2ndステージ9位、年間総合8位(全17チーム)
中田英寿がJリーグベストイレブンに選出
中田英寿がAFC年間最優秀選手、全国のサッカー担当記者が選ぶ年間最優秀選手に選出
1998年 11月、フジタが撤退を表明
Jリーグ1stステージ12位、2ndステージ12位、年間総合11位(全18チーム)
都並敏史が功労選手賞を受賞
中田英寿がAFC年間最優秀選手に選出
1999年 上田栄治監督就任
8月、古前田充に監督交代
12月、株式会社ベルマーレ平塚からチーム経営を引き継ぎ、株式会社湘南ベルマーレ発足
Jリーグ1stステージ16位、2ndステージ16位、年間総合16位(全16チーム)
Jリーグ2部へ降格
サポーターと地域の方々による存続運動が展開された
2000年 チーム名を湘南ベルマーレに改称し、ホームタウンを平塚市から7市3町(厚木・伊勢原・小田原・茅ヶ崎・秦野・平塚・藤沢・大磯・寒川・二宮)に拡大
加藤久監督就任
J2リーグ8位(全11チーム)
2001年 6月、湘南ベルマーレビーチバレーボールチームが発足
田中孝司監督就任(~02年)
J2リーグ8位(全12チーム)
2002年 4月、Jリーグクラブ初のNPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブが誕生
湘南ベルマーレトライアスロンチームが発足
12月、山田松一に監督交代
J2リーグ5位(全12チーム)
2003年 サミア監督就任
5月、山田松一に監督交代(~04年7月)
J2リーグ10位(全12チーム)
2004年 1月、産業能率大学と提携
6月、スペイン、リーガ・エスパニョーラのC.Aオサスナと提携
7月、望月達也に監督交代(代行)
9月、上田栄治に監督交代
J2リーグ10位(全12チーム)
2005年 2月、湘南ベルマーレソフトボールチームが誕生
3月、国際支援NGO団体ピースウィンズ・ジャパンと提携
J2リーグ7位(全12チーム)
2006年 4月、湘南ベルマーレフットサルコートが藤沢駅前にオープン
6月、菅野将晃に監督交代
7月、パラグアイに日系ベルマーレが誕生
10月、フジタ時代から30年余りを過ごした大神からクラブの拠点を馬入に移転
10月、現役引退を発表したクラブOBの中田英寿氏がジュニアユースのユニフォームをデザイン
12月、平塚競技場がJリーグアウォーズにてベストピッチ賞を受賞
J2リーグ11位(全12チーム)
2007年 1月、「湘南ベルマーレスポーツマスコミ塾」が開校
7月、「湘南ベルマーレフットサルクラブ」が発足。小田原を拠点に9月よりFリーグ参戦
7月、オフィシャルフリーペーパー「MARE」創刊
9月、台風の影響で馬入グラウンドが冠水したが、多くのサポーターの手によってグラウンドが救われた
ユース、Jr.ユース、ジュニアと全カテゴリーで全国大会出場
J2リーグ6位(全13チーム)
2008年 藤和不動産サッカー部創部から数え、クラブ創設40周年を迎える
7月、菊池大介がJ2最年少ゴールを記録(17歳3ヶ月15日)
7月、坂本紘司がJ通算300試合出場を達成。1つのクラブで300試合出場達成はJ2初
8月、ビーチバレーチームの白鳥勝浩、楠原千秋が悲願の北京五輪出場
ベルマーレサッカースクール生が1,000人を突破
J2リーグ5位(全15チーム)