42 MF TAKAHASHI RYO
MY STORY
-サイドバックに
自分のなかで「サッカー選手になる」という気持ちがあったので、中学から群馬の親元を離れて国見に行きました。県外から来ている下宿生は結構いましたね。
高校は群馬に帰ろうと思っていたんですけど、三者面談のときに校長室に呼ばれて、当時の監督と校長先生、担任の先生に「来てくれ」と言われて、スポーツ推薦で国見高校へ進学しました。
国見高校での3年間はサッカー漬けでした。
朝練が6時からあって、その前に希望選手だけ自主練があるので、4時50分ぐらいに起きて着替えて軽食を食べて、5時15分にはグラウンドに出ていた。下宿から高校までは5分ほどで着くので、40分ぐらい自主練して、朝練に行って、それから授業を受けていました。
放課後は4時から7時まで部活、そのあと自主練して、帰って風呂に入ってご飯を食べて寝る。それが土日以外毎日だったので、練習しかしていなかったですね。でもそれが当たり前だと思っていたし、きついと思うことはなかったです。
高校の頃はFWでした。
1年生のときは、選手権のメンバーに入ってはいましたけど、たまに出場する程度でした。2年生になってインターハイや選手権にスタートから出るようになり、3年生のときはキャプテンを任されました。でもインターハイも選手権も全部負けてしまった。それ以来、国見高校はインターハイと選手権に出ていません。
当時はキャプテンとしてなにをしたらいいんだろうと考えました。自分は声を出して引っ張るタイプではないので、練習で100%の姿勢を見せよう、背中で引っ張るしかないと思った。それは大きな経験でした。
卒業後はスポーツ推薦で明治大学に入りました。大学は結構強くて、周りには選手権とかで活躍した選手もたくさんいたので、すごいところに来てしまったなと思った。
3年ぐらいから試合に絡めればいいかなと思っていたんですけど、1年の夏にサイドバックにコンバートされて、セカンドチームのリーグ戦に出場し、次の週にはトップチームに入っていた。
サイドバックはおもしろかったし、自分の特徴がより出るポジションだったので、やりがいもありました。そこからスタメンで試合に絡むようになり、大学選抜やユニバーシアードにも入ることができました。
名古屋でプロになり、1年目は試合に絡むことができて、翌年ベルマーレに移籍しました。
その後2年間を過ごした松本は、大きいスポンサーが付いているチームではなく、湘南にどこか雰囲気が似ていました。監督も反さん(反町康治)だったので、ベルマーレに近いことを求められていた。円陣のあとのダッシュも一緒でしたね。
MY ASPIRATION 2021
-戻ってきたい
松本では試合に結構出させてもらったし、ファン・サポーターの雰囲気を含めて、すごく居心地がよかった。ただ、そこで慣れてしまったら自分自身の成長に繋がらないと思うようになり、環境を変えようと考え始めていたところにちょうどベルマーレから話をいただきました。J1の舞台でやりたいという想いもありましたし、さらに成長したいという気持ちもあって、移籍を決めました。
ベルマーレはほんとうに好きなチームでした。スタジアムの雰囲気も好きだし、一昨年のプレーオフも観に行きましたし、またいつかチャンスがあったら戻ってきたいなって移籍したときに思っていた。
3年前はチームの勝利やJ1残留に貢献できなかったという想いがあるので、今年はそういうところでチームに貢献したいと考えています。なにより自分の実力を証明したいなって、前回の湘南での2年間を取り返すじゃないですけど、その想いが強いです。