7 MF UMESAKI TSUKASA
MY STORY
-挫折と情熱と
小学生の頃に見た1998年のフランスワールドカップが僕にとってすごく大きかったんです。アジア予選から夢中になって観ていました。日韓戦の山口(素弘)さんが決めたループシュートや最後のジョホールバルの奇跡がすごく印象的で、震えました。
中でも、やっぱり中田英寿さんにめちゃくちゃ憧れていました。「かっけー!あんな風になりたい!」って。あの時、まだベルマーレでしたよね。いろいろな変革をもたらした人だし、海外に行く前からイタリア語を勉強していたりと常に先の先を見据えてやっていることにも衝撃を受けていました。
代表の8番やペルージャの7番のユニフォームも持っていました。セリエAの試合は叔父がダビングしてくれて観ていて「こんな風になりたい」とずっと思っていました。
大きな挫折は中学生の時。今までうまくいっていたことが全てうまくいかなくなり、こんなにも脆く崩れるのかと思いました。
市の大会でさえもうまくいかず悩んでいましたが、とにかく自主練をしていました。夜走りに行ったり、公園に行ってドリブルの練習をしたり。うまくいかない時には、まず人よりも練習するというのが僕のメンタリティで、それはずっと変わらないですね。人と同じことをやっていても絶対に勝てないというのが中学生の時に形成されて、高校の時も監督に止められるくらい練習していました。ある意味、自己満足かもしれないけど、でもそれくらいやらないと気が済まなかったし、それが次に繋がると本気で思ってやっていました。
大分のユースに上がることができて、3年の時にプロになれると言われた時は、飛び跳ねるくらい超嬉しかったです。すぐにおかんに連絡しました。プロになれるかなれないかの瀬戸際だったみたいなんですけど無事にトップに上がれて2年間大分でプレーしました。
プロ1年目の時は3試合しか出ていなくて、2年目の最初も8試合ベンチ外でした。でも夢だけはすごくあって、当時のノートには「バロンドールを取る」って書いてあるんですよ。バカみたいですけど本気でそう思っていて、でも願いが本当に強かったから、シーズンの中盤から試合に出だして、日本代表にもなって、その次の年にフランスのグルノーブルへ移籍することになったんです。もうすごい短期間で一気に駆け上がっていった感じでした。
フランスで挫折して帰ってきましたが、半年間大分で残留争いをして残留できて、2008年にレッズからオファーをもらいました。
2007年にACLを優勝したチームからの話だったので、もう一度チャレンジできる場所だと思って移籍を決めました。
でも、そこで現実を突きつけられて、大きなケガも繰り返して、レッズ時代の最後のほうは自分を出すというよりも、いろいろな仕事ができる人という風に自分が変化してしまい、現実的に考えるようになっていました。
いろいろなポジションもやったし、流れを変える役割もあったしスタメンもあって、ある意味便利屋さんのようになりながら、そうやって評価を高めようとしていた。だんだん比重が寄ってきてしまって、これじゃ自分はフェードアウトしてしまうという危機感があった。「もっと勝負したい、もっと仕掛けたい」という想いや葛藤がどんどん強くなっていきました。
それでも2017年は自分の中で振り切って勝負できたんです。練習の中でもチャレンジしきったし、自分を出せている感覚もあった。でも、チームの中での評価は変わらなかったので、違うチームでやっていくのもひとつの価値なのかな、と思っていた時に湘南から話がありました。
曺さんには全部見抜かれていました。でも長年かけてそうなっていた自分はなかなか解放されなかったんですけど、曺さんは粘り強く僕のそういう部分と闘ってくれました。
昔の映像を見せられたこともありました。U-20日本代表の大会でPKで負けた時に、ベンチに下がってた僕が泣いているシーンを見せられて「お前、今こんな風に泣けるか?お前が本気でチームを勝たせようとプレーしていたから、こんな風に泣けるんだよ」と言われたこともありました。確かにそうだと思って、少しずつ取り戻していくことができました。
よく「夢中になれ」って言われましたけど、2018年はそういう瞬間が多かったと思います。
2019年、さらにそういう部分を出せればよかったんですけどケガもあってそうじゃなくなっていった自分がいました。そこを解放していくことが今自分にとって一番必要なことなのかなと思っています。
MY ASPIRATION 2021
-本当の自分
こういう厳しい世界で、この年齢まできて今年も契約をしてもらいピッチに立つチャンスをいただけたことは本当に有難いですし感謝しています。
去年はケガもありましたが、本当にいろいろなことに気づかされました。
どこかで、長く続けるためにと思っていた自分がいましたが、いや、人間そうじゃない、と。一番大切なものを失っていたんだなと感じられた年でした。
自分らしさで勝負するというところが出せた時が、自分の中で本物というか本当の自分だし、ゴールに向かって行くというところを、とことん追求しなきゃいけないと思った。
器用にこなそうとする自分ではなくて、不器用でも挑む感じ。もちろん不器用になり過ぎて一辺倒になってはいけないけど、熱意とか情熱を持って、無様でもいいからトライし続けてこじ開けていきたいと思っています。
信念とか芯があるってよく言いますけど、やっぱりそこが一番大事だなと思っているんです。もちろん変わっていく勇気も大切だけど、大切なものは絶対に持っていなければいけないと思っています。
例えば、未月(齊藤選手)が海外行ったこと、やっぱりすごいなと思います。あいつはブレなかったし言い続けた。プレースタイルも自分の良さ、俺はこうだっていうものを磨き続けた。その上で上手さがついてきたと思うんです。未月や航(遠藤)は芯が通っている。だから道が開けていったのだと思います。
うまくいくかは分からないけど、いますごく楽しみです。そういう意識で日々やっていれば、絶対に未来は変わっていくだろうと信じています。
市のレベルでさえままならなかったのに、本気でプロを目指していた中学生の時の自分のように、夢を追いかけて挑んでいきたいと思います。