ONLY ONE STORY

10 MF YAMADA NAOKI

MY STORY

-湘南の環境が

幸せなことに、僕は小学生の頃から地元埼玉の強いチームにいさせてもらえました。小学校は全国優勝したチームだったし、浦和のジュニアユースも全国優勝していた。
それこそ武富孝介は小学生の頃から一緒だったし、ジュニアユースやユースで一緒だった7、8人がプロに行きました。
それぐらい周りの選手たちのレベルが高かったから、このなかで1番じゃないとプロになれないと思ってやっていたし、チームで1番になることを考えてやっていたらいつの間にかプロになっていたという感じでした。ずっと競争する環境にいさせてもらったことが自分にとってすごく大きかったなと思います。

プロになるまではけっこう思うままに自然と進んでいったと思います。
辛かったのは、大ケガをしたとき。ケガしたそのときではなく、ケガをしたあとに自分の思う通りにサッカーができなくなったことが辛かった。
ケガするまでは正直、サッカーって簡単だと思っていました。なめていたわけではなかったけど、絶対ボールを取られる気がしなかった。
でもケガから復帰したら、すごく好きだったサッカーが全然自分の思う通りにできなくなった。そのときにすごく落ち込んだことを覚えています。

自分の感覚を取り戻すのにはものすごく時間がかかりました。取り戻せたのは湘南に来て1年半が経った頃。結局5年ぐらいかかりました。

それは湘南というチームの環境のおかげかなと思います。ケガする前はなにも考えないでやっていたけど、湘南は甘えを許さないし、サッカーというものに真剣に向き合わないといけないんだということを気付かせてくれた。もしそのまま浦和にいたら、もしかしたら自分の思うようなプレーはできていなかったかもしれない。湘南の環境が僕をふたたびピッチに立たせてくれたとすごく思います。

MY ASPIRATION 2021

-思ってくれる人たちのために

色々ありましたね。こうやって振り返ると、あの頃はちょっと大変だったなって思います。だからこそもう一度花を咲かせなきゃいけないって思う。
ケガばかりして、支えてくれる人たちに心配ばかりかけているので。「直輝らしく花を咲かせて楽しくサッカーやってるな」って、そう思ってもらえる姿を見せなければいけない。その考えは、怪我をして得られたこと。

それまでは、サッカーって自分だけでやっているものだと思っていました。簡単だったし、自分が楽しいからそれでよかった。
でもいまは、応援してくれる人の気持ちが分かるようになりました。
僕のターニングポイントは一番の挫折でもあったけど、今後の人生を考えたら最もプラスになった5年間でもある気がします。

自分のことを怪我したときから応援してくれている、ほんとうに僕のことを思ってくれている人たちのために、今季は心配をかけないように、僕らしいプレーを魅せなければいけないと思っています。