PARTNERパートナーとの取り組み

SHODAN -湘談-

大学×Jクラブという長年の提携の中で
築き上げてきたものとは。
産業能率大学とベルマーレとの間に
深い絆が存在する理由

産業能率大学 ×湘南ベルマーレ

産業能率大学と湘南ベルマーレの縁は長く深い。2004年の提携以来、さまざまな取り組みをともに行なってきた。湘南対談企画「SHODAN-湘談-」第2回は、そんな産業能率大学の経営学部で教鞭を執り、提携に尽力された宮内ミナミ教授が登場。水谷尚人社長とこれまでの歩みを振り返り、思い出話に花を咲かせながら、今後にも想いを馳せました。 以下敬称略

――産業能率大学とベルマーレの提携は2004年1月にさかのぼります。

水谷 いまでこそサッカーチームのユニフォームに大学の名前が入ることは珍しくなくなりましたが、当時は初めての取り組みでしたよね。第一号です。

宮内 そうですね。ユニフォームの胸に大学名が入って、はじめのうちはサポーターさんも「産能大って?」「なぜ大学?」という感じでしたね。

水谷 でも漢字は圧倒的に目立ちますよね。「ベルマーレ=産能大」の認知度はJリーグのなかでも高い。20年ちかくご支援いただいていますからね。学内には「なんでそんな弱いチームを応援するんだ」という意見も当然あるでしょう。そのなかで、宮内先生にはさまざまな場面でご尽力いただいています。ほんとうにありがとうございます。

宮内 いえいえ。最初の頃は学生も「なんで?」という反応でしたけど、本学は大学だけでなく社会人教育や通信研修などを行なっていますので、学校法人全体として応援するなかで、学生もベルマーレさんにいろんな実習や活動の場をいただいてきました。いまでは大学もずいぶん変わりましたね。

――長い間サポートされて、ベルマーレとの提携関係は学内にも根付きましたか?

宮内 はい。提携した最初の年から「スポーツビジネス実践講座」を共同開発し、数百人の学生に授業を受けてもらったことも大きかったですね。ほかにも、ベルマーレさんには学園祭に来ていただいたり、スポーツ実技の授業でコーチに来ていただいたり、また学生たちも、スペシャルデーなどで楽しい想いをしたりすることで、スタジアムに名前を掲出するだけでなく、ほんとうに提携している恩恵を感じられていると思います。今ではベルマーレとスポーツが大学の特色という認識は根付いていますね。

――そもそもどういう経緯で提携に至ったのでしょうか。

宮内 お付き合いが始まったのは、パートナーシップ契約を締結した2004年よりもっと前ですね。

水谷 そうですね。きっかけは、地元の大学のひとたちに試合を観に来てもらおうと、うちの社員が営業で回っているときに、産能さんの職員の方が、試合を観るだけでなくインターンシップなどいろいろやろうと提案してくださった。それが始まりです。

宮内 本学は、創立以来インターンシップという企業実習の科目を実施してきたんですね。それも会社だけでなく、市役所やスポーツチームなど、いろんなところで夏休みの2週間働かせてもらっています。私もベルマーレさんの企画書を拝見して、マネジメントを学ぶ題材としてスポーツはすごくおもしろいなと思いました。

――ベルマーレとの出会いから学生の学ぶ場が広がった。

宮内 はい。どんな分野でもマネジメントは必要ですし、ちょうどその頃NPOや社会貢献、福祉などにも関心が向いていたので、対象をもう少し広げたいと思っていたんです。加えて学生はスポーツが好きですから、その分野の専門の方に来ていただくと熱が違いますね。すごく真剣に話を聴く。私も一緒に聴いていておもしろかったですよ。その後、第一線で活躍されているゲストの方の話を聞くだけでなく、学生たちが企画したり提案したりするような授業も生まれました。水谷さんは週1回講義に来てくださるので、事前に打ち合わせをして事後に反省会をやっているとまた新たなアイデアが出てくる。じゃあ科目を増やしましょう、コースをつくりましょうというふうに広がっていきました。

水谷 2005年の入学希望者が増えたこともよかったですよね。それはベルマーレのおかげでもなんでもないと思うんだけど、ベルマーレのスポンサーをしたら入学希望者が増えたと学内で言っていただいて。

宮内 そうですね、結果が付いてきてほんとうによかったです。次の年にはいろんな大学がほかのチームと提携したんですけど、私たちのような提携関係はあまりない。いちばん大きいのは、水谷さんが毎週来て授業をしてくださったこと。なかなか毎週授業できないですよ、本職が忙しくて大変なのに。

――水谷さんは教育に対する想いが強いですか?

水谷 教育に対して特別な想いはないんだけど、ただ、資源がない日本がいちばん大切にしなければならないのは教育だとずっと思っています。とくに明治維新前後、日本人が世界に伍していけるようになったのは教育のおかげだと考えます。

宮内 義務教育という形を徹底し、何十年も続けてきているのは大きいですよね。いま水谷さんは否定されたけど、教育に関してしっかりとしたお考えがあるし、大学という場で授業を担当されてこれだけ長く続くのは、きちんと心得ておられるからだと思っています。

――Jクラブと提携した大学の先駆けとして思うところはありますか?

宮内 産能大は小さい大学ですが、創立者の上野陽一は日本で産業心理学を広げ、日本にマネジメントを紹介して産業界で実践・指導して活躍したパイオニアですから、ニッチなところで尖がっていこうという想いはありますね。終戦前後の創立当時、学校をつくろうと言ってもマネジメントという分野がないですから文部省(当時)になかなか認めてもらえなくて、最初は夜間の短大からスタートしました。その頃の学生は社会人です。その後、文系でコンピューターをしっかり教えて経営と情報が分かる人材を育てる日本初の経営情報学部を開設して、2004年にベルマーレさんと提携して以降トントン拍子にいろんな提携が発展しました。横浜DeNAベイスターズをはじめ、バスケットボールやフットサル、ビーチバレーなど、水谷さんがいろいろ紹介してくださって広がりましたね。

――ベルマーレと提携したことで大学としての幅が広がった。

宮内 そうですね。以前は経営情報学部という名前で、経営か情報かという専門だったんですけど、それだけでなくマネジメントの学部に原点回帰しようということになりました。スポーツも大事なコンテンツだし、ゲームやアニメ、医療福祉、マーケティングなど、コースの幅を広げて、手段ではなくフィールドで捉えることを考えました。学部の名前が変わり、入学する学生の層も幅が広がりました。規模は大きくないけれど、入学したひとがしっかり取り組めて育っていく。それがいま産能大の特色になっていますね。

水谷 まさにオンリーワンですね。うちも同じです。

宮内 ほかの大学のような路線で大きくなろうとはしていなくて、独自路線、「産能イズム」をものすごく大事にしています。

水谷 就職率も以前から高いですよね。

宮内 はい。インターンシップは2年生の科目でしたが、やる気のある学生は、自分からなにかやらせてくださいと言って、アルバイトとも違った形でいろんなところへボランティアなどに行く。現場が好きな学生が多いですよね。

水谷 多いですね。先生がフィールドとおっしゃったところはまさにそこで、机上の空論ではなくリアルを教えようとされている。

宮内 本学は理論と実践を掲げているので、教室で基本的な知識を学び、現場で体験して学生本人に考えてほしいと考えています。さらに専門家に来ていただいてリアルな話を聴くと、自分たちが日頃勉強している経営学が大事なんだと分かり、そして現場で学ぶ。いろんな学生がいますので全員ということではありませんが、そうやって知識と経験を結びつけることは大事だと思っています。

水谷 リアルの大切さは学生にも伝わっていますよね。

宮内 アルバイトひとつ取っても、単に手伝っているだけだと「今日は忙しかった」で終わってしまいますが、そこでなにを吸収しようかと考えてくれれば日頃教室で勉強していることと繋がってくる。経営学は組織やひとのあり方のよりよい状態を研究するもの。学生たちが社会に出て働いてなにかの役割を担っていくときに、必要な知識と組み合わせて考えられるようになることがいちばん大事だと思うんですね。ベルマーレさんとはそこの波長が合ったんです。ベルマーレさんも育成を大事にされている。子どもたちを育て、その子たちが活躍し、地域に恩返しをする。するとまた次の子どもたちが育ってくる。そういう循環が感じられます。

――これまでを振り返って印象に残っている出来事はありますか?

宮内 私の印象ですが、提携する前の産能大は、マネジメントを教えるオンリーワンの大学であることを重視していて、あまり地域密着ではなかったように思います。でもベルマーレさんと提携して株主になり、私も取締役会に出させていただいて、ホームタウンの重鎮の方々とご一緒させてもらうようになった。それでいろいろお付き合いさせていただくなかで、産能のスペシャルデーの試合のチケットをホームタウンの市町に寄付しましょう、どうせ配るなら直接伺って贈呈式を行ないましょうということになり、ベルマーレの方と一緒にホームタウンの7市3町(当時)に訪問させていただきました。あれはいつぐらいでしょうか……。

水谷 2007、2008年ぐらいだったと思います。

宮内 それまでは全市町を回る機会などなかったので、それぞれの地元の方のお考えやベルマーレに対する想いを知ることができました。その後いくつか繋がりもでき、地元のお祭りが盛り上がらないと聞けば手伝いに伺うなどホームタウンで活動するようになったんです。そうして提携関係も増え、地道な活動を続けているとご縁が広がることがよく分かりました。サッカーの一般的なスポンサードの関係ではここまでにはならなかったと感じます。

――サッカー部との繋がりも年々緊密になってきた印象です。

宮内 ほんと強くなりましたよ。

水谷 アカデミーの普及コーチだった鳥飼浩之さんを派遣したのが始まりですね。いまは以前トップチームのコーチを務めていた小湊隆延が出向して指導しています。その流れで、ベルマーレユースから産能大に行く選手も増えました。チームが強くなり、全国からいい選手が集まってきているので、試合に出られなかったり、セレクションで落ちたりすることも珍しくありません。

宮内 入学の段階ではプロを目指している学生も多いですが、実際にプロになる選手はすごく限られています。そのなかでどういうふうにキャリアを組み立てていくかはもともと産能が得意としているところ。どんな分野に進んでも社会人としてきちんとやっていけるように、サッカー部だからといって甘やかさずに厳しく授業を行なっています。

水谷 産能大は教え方がすごく丁寧ですよね。

宮内 素直な学生は大学に入ってから勉強しても大丈夫。パソコンが初めてでも達者になります。逆に、言われたことをきちんと聞かないひとは伸びません。それはサッカーに限らず皆同じですよね。

――12月6日の第31節ガンバ大阪戦は「産業能率大学スペシャルデー」ですね。

宮内 計画を立てたときは、秋頃にはコロナも終息していると思っていました。ただ、2004年からずっと続いてきたスペシャルデーなので、今年もやらせていただく予定でおります。いままでのような、産能の席を設けて学生や地元の方々にチケットを配るのは見直すと思いますが、学生に手伝ってもらい、スペシャルデーらしい企画を考えようと思います。

――これまで長く深い提携関係を育んできました。今度のビジョンをお聞かせください。

宮内 私が決めることではありませんが、産能大として、ベルマーレさんとはずっと良い関係を続けて、地域全体にも良い発信ができればと思っています。今年は世界的に大変な時期。おそらくベルマーレさんもご苦労されていると思いますが、そこを乗り越えて続けていくところに価値があると思います。私たちは研究や調査を行なう立場なので、ベルマーレさんが苦難を切り拓いていくところを見守り、サポートしながら、一緒にやっていければいいですね。とくに私が期待しているのは新しいスタジアムです。コロナ禍で計画が変わったとしても、地元の夢として実現し、そこで若い選手たちが躍動する姿を見たい。水谷社長が掲げていらっしゃる「世界」「ダイバーシティ」は、発展していくうえですごく大事なキーワードです。学生たち、つまり若いひとたちはいま、私たちがこれまでに経験したことのない状況のなかで学生生活を送り、今後社会を支えていく。未来を託す彼らが、学生時代にベルマーレさんとの関係のなかでいろんなことを考え、経験し、可能なら彼らの考えを活かせるといいなと思います。

水谷 昔うちの試合のとき、ボランティアさんが着ていたビブスにしまむらストアーのロゴが入っていたんですけど、それを提案してくれたのは産能の学生でした。僕らとしては、ベルマーレを調査や研究に活用してもらいたいですし、我々もその期待に応えられるようなオープンな組織でありたいと思っています。もうひとつはサッカーの面で、たとえばユースからトップに上がれなかった選手が産能さんに進学して鍛えられてまた戻ってくるような、より強固な関係性を築きたい。そういう循環ができるとサッカーチームとしてすごくいい絵だと思います。

宮内 これからもどうぞよろしくお願いします。それに尽きますね。これまでも大変なときはお互いにありました。リーマンショックがあり、東日本大震災のときは約1カ月授業ができなかった。今回は1カ月どころではない異常な事態です。でもつねに乗り越えてきた。眞壁潔会長もよくおっしゃっていますが、選手やスタッフが代わってもベルマーレというスピリットはずっと繋がっていく。そんなベルマーレさんと関わっていけたら、産能も大事にしてきたものをずっと守って取り組んでいるということ。これからもぜひよろしくお願いします。

水谷 こちらこそ、お願いしている側とスポンサーという関係ではなく、いろいろな機会をいただき、ご支援いただいていること、ほんとうに感謝しています。

(インタビュアー 隈元 大吾)