ボイス
【ボイス:2020年10月30日】石原直樹選手
攻撃に新しい選択肢を加えて
湘南スタイルのさらなる深化を支えるために
どこのチームに所属していても、活躍が気になる選手だった。
長い年月を経て今シーズン、ベルマーレに復帰した石原直樹選手。
「いつかは」と、帰還を信じ、待ちわびていた人は多い。
再びベルマーレのユニフォームに袖を通した今、
復帰を決めた理由とともに聞きたいのは、移籍を決意したあのシーズンのこと。
そして、ベルマーレを離れていた期間の自身の経験について。
また、新たな境地に挑むチームの現状と、石原選手が果たす役割も語ってもらった。
12年ぶりの帰還に託す夢
「僕自身、所属したチームに戻るという経験が初めてだったので、帰ってきたなという気持ちと、少ないかもしれないですけど待っていてくれた方もいますし。また、会長(眞壁潔代表取締役会長)をはじめ社長(水谷尚人代表取締役社長)、紘司さん(坂本スポーツダイレクター)や他のスタッフもそうですけど、変わってない部分もたくさんあったので。そういういろんな意味を込めて、ですね。あとはJ1の舞台でプレーするチャンスをいただいたっていう気持ちですね」
2009シーズンに移籍して以来、対戦相手としてShonan BMW スタジアム平塚に来ることはあったが、昔馴染んだ湘南の街やクラブハウスからは遠ざかっていた。それだけに懐かしさはひとしおだ。
「若いときに行っていたお店だったり、一緒にやっていた選手がスタッフにいたり、育成の子ども達を教えていたり。上の人たちはあんまり変化がなくて、そういうことはどこのクラブを見ても珍しいなと思います。やっぱり湘南の街や人の支えがあって成り立っているチーム。いい意味で大きな変化はなくて、懐かしく感じました」
一方で大きく変わったものにも気づいた。
「練習場のクラブハウスだったり、身体を鍛える場所などは当時に比べると大きくなっていて。お風呂とかもそうですね、僕がいたときよりは施設は大きくなった。それに試合に来てくれる観客数も多くなってますし、何よりJ1で戦えているっていうことが。僕は湘南ではずっとJ2だったので」
石原選手が以前に在籍した6シーズンは、J2でもがき苦しんでいた頃。J2に降格して数年、J1への復帰を目標に掲げながらも、その実現を遠く感じるシーズンが続いていた。そんななかで徐々に頭角を表したのが石原選手。在籍5年目6年目のシーズンには、チームのトップスコアラーとして、自身もエースの自覚を持って牽引した。しかし、18ゴールを挙げた2008シーズンも昇格を果たすことはできなかった。苦渋の決断だったことは、容易に想像できる。
「6年やっていて、湘南でJ1に上がりたいというのがもちろん一番でしたけど、そのチャンスというものが居たときにはなくて。サッカー人生を考えたときにやっぱりJ1でやりたい気持ちがあった。試合に出られるようになって、J1からオファーも来るようになったけど、次の年も来るか先のことはわからなかったし、やっぱりチャレンジしたかった。それをクラブも応援してくれたので」
アスリートは身体が資本。ましてや石原選手は、加入3年目に怪我で離脱した経験を持つ。いつまで現役を通せるか保証のない選手人生で、トップリーグへ挑戦するチャンスを先延ばしする選択は難しい。
「僕自身、プロをスタートしたときにまさかこの年までできるとは思ってないですし、高校を卒業して湘南に入ったときはプロのなかでプレーするのがいっぱいいっぱいで、3年できるかな? みたいな感覚があった。それに、今もそうですけど、身体を使う仕事なので、ピッチに立てないと自分のプレーを見せられないし、そうなれば評価もされないので。ケガをして選手人生が……ということもあるし。難しい決断でした」
6年目のシーズンは、菅野将晃元監督(現・FCふじざくら監督)が指揮を執って3年目の年。J2の下位グループから抜け出し、中位グループのなかでも上位を狙えるくらいに力をつけつつあった。それでもJ1復帰への道を開くことはできず、5位に甘んじる結果となった。誰もがJ2というカテゴリーの厳しさを感じた年だった。
「その前の年もJ1のクラブからオファーはあったんですけど、そのときは湘南でJ1に行きたいと思って残って。今だから言うと、その6年目っていうのは僕のなかでは勝負していた年でした。それでも上がれなかったので、J1のクラブへ行く決断をしました」
その後の石原選手は、J2に降格することなくJ1のチームを渡り歩いた。そのなかで一度、ベルマーレから獲得のオファーを打診されている。タイミングは、浦和レッズからベガルタ仙台への、1年間の期限付き移籍が満了した2018シーズンの前。
「それまでも試合のときなど会長をはじめ関係者の方に声をかけていただいていたので、外に出てもいろいろ気にかけてもらっていることは感じていました。それで浦和から仙台へローンで行ったときにオファーをいただいたんですけど、そのときは僕も仙台に助けてもらったので」
浦和に在籍していた2015年のシーズン序盤、右膝前十字靭帯損傷の大怪我を負い、その年を棒に振った。翌シーズンは出場機会を掴むことも難しくなり、選手としての評価を得るためにピッチで戦うことすらできなくなる。そんな状況にもかかわらず、2017シーズンを前に期限付き移籍で獲得し、試合出場の機会を与えてくれたのが仙台だった。
「多くの人に『元どおりにプレーができるのか?』と思われているなか、まだまだできるということを証明させてくれた。次のシーズンについてもいろいろ話をくれたところで、仙台をすぐに出ることはできなかったですね」
仙台で3シーズンを過ごして迎えた2020シーズン、すべてのタイミングが揃ってベルマーレに復帰した。
「J1では対戦したこともあるんですけど、J1の舞台でベルマーレの選手として試合に出るっていうのは、感情的にも深いものがあります」
石原選手の復帰が呼び起こす記憶は、自身が「勝負をかけた」と言った2006シーズン。共に戦った誰もがその気持ちに共鳴していたことは間違いない。だからこそいつかは戻ってきて欲しいと願っていたし、この復帰を手放しで歓迎している。未来に向けての願いは一つ、再び、ベルマーレのエースとして輝く姿だ。