湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」
湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」第7回
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EPISODE-Ⅶ OHARA
2000 MANAGEMENT
開幕戦は3月12日(日)平塚競技場、対戦相手はベガルタ仙台であることが対外秘で通知された。その日はベルマーレが消滅しなかったことを社会に証明する日でもある。
開幕ホームが決まると大神の稼働率は右肩上がりにあがっていった。なにせ株式会社湘南ベルマーレの設立が12月である。朝早く会社に行くと事務室のドアが何かに引っかかって押し開けることができない。隙間から覗くと関が寝転がるマットレスだった。そのほかに遠藤直敏とチームマネージャーの2人。事務所に寝泊まりすることがルーティンワークになっていた。
しかし、みんな仕事が大変だという感情は全くなく、ただ思い悩んだ日から解放され、その約束の日を無事に迎えるために夢中になっていた。
クラブの組織体制は河野が中心になって進めた。気持ちのある子は残そうということで人員を決めたので、計算された組織形態に必要な人的資源みたいなちゃんとした会社の組織作りではない。
チケットとグッズは1人ずつ必要、でも営業は1人では無理。経理は何とか1人で、と仕事と肩書が配分され名刺が印刷された。当然人は足りない、そこは当初からの河野の構想通り多くのボランティアにかかわってもらうことになる。試合運営を手伝うゲームボランティア、クラブの日常業務やイベントなどを手伝うクラブボランティア、そしてお金ではなくクラブに必要な物品を寄付していただくサプライボランティア。クラブに登録してくれたボランティアは300名を超えた。
ゲームボランティアは平塚時代から試合運営を手伝っていたWavyの原さんに相談し体制を整えた。クラブボランティアは試合会場での撮影など様々なお手伝いを頼んだ。特に情報関連のヘルプを頼んだ人々にはホームページの更新までお願いした。受けて下さった方々は立派にIT関連等で活躍されている人達で本当に助かった。そんなわけで大神のクラブハウスは常に様々な人が出入りすることになる。
通常であれば機密事項の多いクラブハウスへ様々な人が出入りすることは避けるべきだとは思う。ただ、生き残るためには最善の策だった。少々のリスクがあってもクラブに集う人々の縁が必ずベルマーレを再生するという河野の熱い想いもあった。さらにありがたかったのはチャンピオンチーム、ジュビロから来た小長谷はこの環境に全く異論を言わず受け入れてくれた。
そしてパソコンに向かっているボランティアさんたちに気軽に声をかけた。
「どちらから?相模原、遠いのに悪いね~」
「いつから今の会社勤めてるの。長いね~結構仕事できるんだね」
「で、いくらもらってんの?オー、それじゃ急いで結婚しなくていいな~」
労をねぎらっていたんだと思う。おそらく。いずれにしろ彼はボランティアの方の居心地が悪くならないよう気を使ってくれていた。
サプライボランティアは中古の車を買いに行って思いついた。
社用車が全くないわけにもいかず中古車を購入することになった。
私も河野も付き合いのある地元の溝呂木自動車へ現金60万を握りしめて向かった。
平塚商工会議所青年部のメンバーでもある溝呂木に事情を話す。
ベルマーレ平塚の試合には何度か一緒に足を運んだ仲だ。
両手で5と1を作って「これしか予算がないんだ」
「マジですか。でも協力しない訳にはいかないしな~」
彼のボヤキを小耳にはさみつつ、ガンメタのプリメイラに照準を定めた。
「あのガンメタのやつはオークションで30万前後だろ?」
「相変わらず車くわしいすね~」
「じゃあ2台とも頼む。同じ車2台そろって助かる」
ちょうど同じ車種の中古車が並んでいたのだった。
「え、2台ですか!」
なかなか縦に首を振らない彼に、どこかに「提供:ミゾロギ自動車」って必ず出すからと言って押し切ってきた。
大神に帰りながら考えた。
物をもらってその相手先の会社名を掲出する。湘南のエリアは中小企業の街だ。そう簡単にまとまった現金はもらえない。であればクラブが必要な物をもらって看板を出しても同じではないか。
やがてできる選手食堂の食材はかなりの量がこのサプライボランティアでまかなわれた。コメは濱田さん、パスタは塩田さん、牛乳は臼井さん、なかには食堂で食べられるものは商品にないからとお金をくれる商店まで出てきた。ありがたい限りだった。
このボランティア以外にもベルマーレを応援くださるすべての人々を「クラブを支える4つのクラブ」に分類し、社内の組織図とは別に「支援組織の体制」なる組織図を作った。シーズンシートを購入していただいた方々のシーズンクラブ。ファンクラブ兼後援会機能を持ったサポーターズクラブ。そしてボランティアさん達のボランティアクラブ。最後に株主のオーナーズクラブの4クラブが様々な形でクラブを支えてくれた。
サポーターズクラブは存続運動でいくつか設立された支援団体を一つに集約したうえファンクラブの機能も持たせた。手法はさておき、応援する同志という括り付けにした。河野が市民応援団の福澤団長や後援会の田中氏に相談してまとめ上げた。
株主にオーナーズクラブという名称をつけたのには理由がある。フジタは撤退する責任を大きく感じ地元で集めた資本金は残していってくれた。その内情は資本金の総計は2億4千万円。株主は47社。
一瞬安泰に見える数字だが当時のJリーグでは単年度での赤字は2~3億という事態も想定できた。そこで河野は増資を行うことを市長や役員に提案し了承された。ただ増資の手法は様々な議論がされ個人宛てに新株を発行するという案が最終案になった。
バブル崩壊後の当時では大型の出資引き受け者を見つけるのは状況的にも時間的にも難しかった。税理士の大塚さんと弁護士の水戸さんが様々な問題を精査して、額面5万円、最低4株を募集の条件にした。広くホームタウン内から少しでも多く集められればというのが私たちの想いだった。
結果として2回の増資で1億円近くを集めることができた。これにより株主は322名(社)になった。それだけの人数であれば総会で顔を合わせるだけでなく市民クラブのオーナーの一人として連帯感をもって欲しいという願いが込められていた。
増資の募集はホームページやローカル紙などで発信したが、極めつけはシーズンシートの販売促進で制作したペーパーに増資の募集も記載しFAXで申し込みができるようにした。それを、お金はかかったが新聞折り込みに入れた。
やがて営業を終えて夜クラブハウスに戻ると増資とメモがつけられたA4の束が机に置かれるようになっていった。残業中もFAXがカタカタと音を奏で続ける。深夜になるころにはまた新たな束ができる。
関がFAXの束を運びながら話しかけてくる。
「21件で520万です」
「もうトータル4,000万超えましたよ」
それはよかったと笑顔で返答しながらなんとも複雑な感情を覚えた。
募集が始まった当初は次々に届く申込用紙を数えては電卓をもってはしゃいでいた。
しかし、いくつかの申込用紙にはコメントも添えられていて、それに目を通すと熱き想いが伝わってきた。中には年金受給者の方や、新卒の若者もいた。20万円とは決して軽いお金ではないはずだ。自ら中小企業を経営していればわかる。たとえ予想外の利益を得ることができても企業に余っているお金など存在しない。いや大企業でも然り、余分な資金など絶対に存在しないのだ。だからこそこの20万はとてつもなく重い目的を持っている。そして夢を託されている。募集が終了するまで、カタカタという連続音と積み上げられていく束の厚さに自らの責任の重さを感じ続けた。
開幕の日、空は薄曇りだったがベルマーレにかかわるすべての人々の心は晴れ晴れとしていた。今日をスタートに1年でJ1に復帰する。ライバルは同時に降格した浦和レッズ。そのためにも清水秀彦監督率いるベガルタ仙台戦を落とすわけにはいかない。
14時のキックオフに6時間以上前からスタッフは集合していた。経費削減で看板設営も自らやるようになっていた。ジャージで集合し会場設営を終えてから試合用の服に着替える。それらの様々な作業には多くのボランティアが含まれていた。
J2に落ちたら1,000人しか入らないと危惧されていた入場者は6,000人をカウントし、ベルマーレは再生のキックオフを迎えた。
ゲームは前半20分、ベルマーレ平塚のユースから昇格したルーキー田辺和彦のミドルシュートで先制する。9分後、やはりユース上がりの若きエース高田保則が決めて2点のリードを奪う。あの湘南の暴れん坊が再来したかのような展開にスタジアムは大きく揺れた。
結果は後半投入された松原良香がダメ押しの4点目を決めて4-1で快勝した。
ゲームが終わるころ大原の空には光が射していた。
河野をはじめ長く困難な日々を送ってきた人々が抱き合って喜んだ。耐えて夢を追い続ければ必ず歓喜の瞬間がやってくるんだと沢山の人々と握手をしながら微笑んだ。試合後はスタッフと看板撤去を行い街にくり出した。数件の居酒屋はライトグリーンであふれ、この秋にはもっと盛大な祝杯をあげようとサポーターと誓い合った。
J1という故郷の大陸が霧の先にうっすらと見えているとだれもが確信していた。希望であふれた難破船は十分に修理され、有能な乗組員を乗せ、真っすぐに航路をとったはずだった。しかし海は荒れ、船は傾き、様々な犠牲をはらいその地に到着するのに10年を要した。多くの船に抜かれながらの航海だったが決して羅針盤の針を疑うことはなかった。なぜならその羅針盤はみんなで創った羅針盤だから。そしてその針はさらにしっかり進むべき先を示している。
ぶれることもなく。
※EPISODE-Ⅷは5月6日に更新します
※このコラムは2004年に発行された湘南ベルマーレクラブ10年史に「インサイドストーリー:フジタ撤退から湘南ベルマーレ蘇生までの真相(眞壁潔著)」として掲載されたものです。EPISODE-Ⅴからは新たに書き下ろしされています