湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」

湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」第6回

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EPISODE-Ⅵ SHONAN
2000 HOMETOWN

episode6-4ホームタウンを平塚から湘南地域に広げること。チーム名をベルマーレ平塚からベルマーレ湘南に変えること。この2つの兄弟関係にある問題は存続運動の早い時期から声が出ていた。

平塚商工会議所青年部の10周年事業として「ホームタウンサミット平塚」を主催した私は事業の一つとして参加した26クラブ、26ホームタウンにアンケートをお願いし、123ページに及ぶ報告書を作成していた。
この編集作業に膨大な時間を費やしたが結果として当時のリーグやクラブ、ホームタウンが抱える問題や課題をなんなく頭に収めることができていた。
特に「データ編」を編集中に大切なことに気付いた。人口10万人以下の街からチャンピオンチームが生まれたとメディアは囃したてたが、それは親会社の企業城下町である。そしてそれ以外の多くのホームタウンが人口50万人近くからそれ以上で政令都市が散見される。平塚の約25万人より少ない人口は甲府市と鳥栖市のみ。そのうえ地方都市は全県で応援する機運が生まれつつあった。
存続運動のかなり早い段階でホームタウンの拡大は生き残りのための前提となっていった。

ホームタウンの拡大はリーグとの調整は河野、眞壁が、実際の市や町へのお願いは吉野市長と助役が進めることとなった。リーグとの調整とは、ストレートに河野が川淵チェアマンに直談判することになる。私はこの交渉には時間がかかるだろうと考えていた。
当時のJリーグはホームタウンの広域化には消極的だった。Jの理念は欧州がモデルで小さな町でも立派なクラブが成立している社会を目指していた。しかも相談窓口の企画部の担当理事は元日本代表選手でもある藤口さんで、この考え方の急先鋒だった。そのうえ下から丁寧におうかがいしている時間もなくストレートに直談判となった。

企業城下町どころか親会社の営業所もなく、あるのは大神の河川敷の練習場だけ。直線距離210メーターで厚木市になる。フジタ時代から選手たちが使うのは本厚木駅。午前中は新宿の本社で仕事をして午後大神のグラウンドで練習をする。駅前のホルモン焼き「大ちゃん」で一杯ひっかけて小田急線で沿線の自宅に帰る。チームが平塚に根差すといっても簡単ではない環境だった。
一方、平塚市もサッカーの盛んな街ではなかった。総合公園は横浜大洋ホエールズの2軍の本拠地で当時では画期的だが1年に1回だけ1軍の試合も行われた。河野洋平氏の尽力で陸上の大きな大会も誘致されていた。そのうえ大きな法人の筆頭は日産車体で日本リーグ時代、競技場ではしばしば日産の試合が行われていた。

それでもベルマーレ平塚がこの町にもたらしたスポーツ文化の価値は大きく、多くの市民が緑に染まったスタジアムで一喜一憂をするようになっていた。
平塚の名前をなくすことに反対もなかったわけではない。しかしここまで熱心に応援を続けてきた人々の存続の願いを確実にして、未来に向けて根を張っていくには環境を変えること、イコール、チーム名の変更とホームタウンの拡大は避けてとれない手法だった。人口拡大はすぐに効果を生み出すわけではないが限りない可能性を担保することになる。人が増えれば今は興味がなくてもアプローチする対象は増加する。失礼な言い方だが人の数だけ財布もある。当然チームの財産である子どもの数も増加する。

私の予想に反して直談判はすんなり成功した。前年のフリューゲルスの消滅もありリーグではベルマーレをなんとか支援しようという流れが確実にできていた。そして追い風がもう一つ、実は湘南ベルマーレという名称はフジタサッカー部からJリーグに準加盟した時のチーム名であり、1993年JFLを制覇しJリーグ入りを決めたシーズンまで使用していた。当初からフジタには広く湘南地域で活動したいという意思があった。しかしJリーグ入りの審査で都市名でないことが問題視され、ベルマーレ平塚が誕生したのだ。リーグ側も過去にお付き合いのあった名称だった。

吉野市長が奔走したホームタウン参入のお願いは時間との競争でもあった。リーグに提出しなければいけない行政の長のサインが入ったペーパーの取得は簡単ではない。ただサインすればいいというものではない。議会調整だったりスポーツなので教育委員会との調整だったり根回しは多岐にわたる。その上、神奈川県サッカー協会の同意も必要だ。順調な時期は平塚だけがホームタウンで近隣のサッカー協会はチケットも手に入らず、厳しくなったら一緒にお願いできますか、とも見られ簡単な仕事ではなかったようだ。

episode6-2

やがて合意した街が伝えられた。藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、厚木市、伊勢原市、大磯町、二宮町、秦野市、小田原市。平塚を加え7市3町の10市町。人口165万人、面積580k㎡。この条件で結果が伸びなければ大きな責任は自らにある。そう思わされる十分な環境がととのった。
実はその後、吉野市長から相模原市と横須賀市も参入したいと言ってくれているという連絡があった。それはありがたいお話だが7市3町で準備も進んでおりリーグがさすがに首を縦に振らないだろうと思った。しかし、放っておくわけにもいかず企画部の幹部に連絡をいれた。
「実はですね、ホームタウンに追加になる6市3町以外に参入を検討いただいている市がありまして…相模原市と横須賀市です。はい」
しばらく間をおいて質問が返ってきた。
「えーと、変更になるチーム名は……ベルマーレ神奈川でしたっけ?」
「いや、湘南でしたね」
「この話を進めるなら7市3町の話の最初からリーグ内も協議する必要が出てきますね」
「ですね。再度検討してご連絡します」
再度検討することはなく、市長には時間的に難しいので次回の機会にしましょうと伝えた。そういうことでベルマーレ神奈川というチームは生まれなかった。

両市とも軽いノリではなかったようで、その後、横須賀市はベイスターズとベルマーレの合同キャンプを企画してくれたうえに、同じ年に誕生した2軍チーム湘南シーレックスとの仲を取り持ってくれた。相模原市は勉強も兼ねてということで担当者を決めてくださりホームタウン推進協議会というホームタウンの情報共有を進める会議に数年の間、出席してくれた。

7市3町に海老名市が入らなかったことは残念だった。練習グラウンドをはさんで相模川の対岸の街で、存続運動中からサッカー協会や少なくない市民がいろいろな支援をしてくれていた。コカコーラの大きな工場がありフジタ時代からグラウンドを貸していただくなど交流があったようだ。海老名市在住のサポーターの方々には次回の機会は必ずという空チェックをきってお詫びした。

ホームタウンが決まり湘南ベルマーレとして活動をスタートさせると、厳しいだろうと想像はしていたが思いのほか活動が行き届かないジレンマに陥った。
通常は会社の規模を小さくするのであれば、真っ先に営業所や余分な施設を閉鎖する。同時にスタッフの整理もはじめる。ところがベルマーレはスタッフを3分の1にして活動エリアを9倍にしたわけだ。
当然移動だけでも時間はかかり、しっかり地域に密着した活動は難しくなる。頭の中では分かっていたのだが現実に日々が過ぎていくと焦りも出てきた。加藤監督も開幕前の大切な時期からなにかと選手の派遣等了解してくれたが、物には限度がある。選手はピッチで最高のプレーをするのが最たる仕事でサイン会を優先するのでは本末転倒だ。
それでも何とかしなければ湘南ベルマーレの価値は下がる一方になる。

そんな中、育成のコーチたちが活路を教えてくれた。
「眞壁さん、何もプロの選手だけがホームタウン活動で評価されているわけじゃないですよ。僕らがスクールや指導の数を増やしていけば子どもと触れ合うことで確実に新しいホームタウンでも評価されるようになりますよ」
的確な指摘だった。思い出せば昨年暮れ、残すベルマーレのスタッフを決めるのに河野と小長谷で面接をした。このとき育成コーチたちも呼ばれ思いのたけを聞いた。突然の面接にも関わらずコーチのリーダーは下部組織が収支均衡で運営できるための事業計画書を提出してきた。コーチ達は何日も前から検討を重ねてきたという。失礼ながら、子どもを相手にボールを蹴っている若人達がそれだけしっかりした企画、計画を活字化できるとは思ってもいなかった。内容は細部にわたりかなり精緻に出来上がっていた。

この時、私は頭に刻んだ。しばらくは育成には予算を割けない。しかし新たなホームタウンにしっかり根差すためのキーワードは下部組織の地道な活動なのではないのか。それこそが回り道のようで近道なのではないか。まだ大神でしかできない状況ではあったが、スクールも知恵を絞って165万人のマーケットで子どもたちとサッカーをすることがJリーグ百年構想実現の原点かもしれない、そう思った。どこかのタイミングでリスクはあっても育成に予算を割く決断をしなくては生き残れないのかもしれない、そう感じた。

episode6-3

このコーチたちの想いは翌年ホームタウン推進室という部署を生み出し、小学校体育巡回授業を始動させた。やがて総合型スポーツクラブを目指しNPO法人 湘南ベルマーレスポーツクラブを設立する起点になった。
若人がクラブのため、子どもたちのため、そして自らのために知恵を絞りあって作り上げた事業計画書は湘南ベルマーレの小さな小さな、しかし緑濃い新芽であった。

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※このコラムは2004年に発行された湘南ベルマーレクラブ10年史に「インサイドストーリー:フジタ撤退から湘南ベルマーレ蘇生までの真相(眞壁潔著)」として掲載されたものです。EPISODE-Ⅴからは新たに書き下ろしされています