湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」
湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」第5回
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EPISODE-Ⅴ OKAMI
2000 Staff
特に発表されることもなく、1月末付でベルマーレ平塚の持つ営業権が湘南ベルマーレに無償譲渡される覚書が粛々と調印され新たなベルマーレは動き出す。法人の存続だけがクローズアップされる中で、消滅危機の発覚から多くのスタッフたちは自らの身がどうなるかも分からない中で、逃げ出すこともなく昼夜を問わず働いていた。
12月になり新会社が設立され、チーム体制が発表されていくなか小長谷社長が河野会長に、フジタからの出向社員以外でやる気のある子は全員残すという方針を説明し2人が個々を面接し新生ベルマーレのスタッフが決まった。
それはもう年も暮れる頃だった。
「ヒデが送ってくれたシャンパンで新年の乾杯しよう」小長谷の号令が響く。
仕事始めの1月10日、大神のクラブハウスにやる気の充実したスタッフたちが集まった。仕事始めの会場はクラブハウスのミーティングルーム。
ありがたいことにフジタはしばらくの間このクラブハウスと2面のグラウンドの使用を許してくれた。Jリーグの中でも鹿島アントラーズと並ぶ立派な施設を利用できることは大変ありがたいことだった。
「早く全員呼んでこいよ」
「これで全部ですよ」
「あれ、これだけだっけ…思っていたより少ないな。俺と眞壁を入れてニー、シー、ロー、お、ちょうど11人だ」
「イレブンで頑張ろう。…乾杯!」誰かの音頭で乾杯した。
営業が飯田と関、そして相原。強化部が森と扇谷。運営に遠藤直敏。広報、宣伝に大森と遠藤さちえ、そして経理に鰺坂。そして小長谷、眞壁の11人がよく冷えたシャンパンの杯を飲み干した。
空いたグラスを集めながら歓談している飯田と関を見て、昨年の秋口、同じ部屋でのミーティングを思い出していた。
平塚商工会議所青年部で故意にしている飯田から電話があった。
「眞壁さん、まだ言えないと思うんだけど河野さんが代表になるんですよね。クラブは湘南になるんですか?Jリーグから役員が派遣されるんですか?」
「なんともまだはっきり言えないよね。本当に決まってないことばかりなんだ」
「ですよね。でも一つだけお願いしたいことがあるんです。若いスタッフ数人が河野さんの考えを聞きたいと言っているんです。会社からも何も聞かされず、報道やうわさ話でいろんな情報が入ってきて、みんな毎日不安を背負ったまま過ごしていて。何とかなりませんか」
一瞬言葉に詰まった。
「河野さんは多忙だし、なかなかスケジュール調整が難しいよ。そんな状況なら早いほうがいいだろう。俺じゃだめかな。知っていることはちゃんと説明するから」
「わかりました。ぜひお願いします」
河野が会うにはタイミングが悪すぎた。
さかのぼること数日前、河野と私は正式にベルマーレの存続作業を受け取る責任者としてベルマーレ平塚のクラブハウスに挨拶に出向いていた。
重松社長と荒木常務が話し合いの席に着いてくれた。
スムーズに進むと思っていた面談は重い雰囲気に包まれる。それは話し合いの冒頭からだった。
「河野さん、いろいろお骨折りいただいてありがとうございます。ところでチームの運営をどうお考えですか。なかなか普通の商売ではないですから」
「収入をできるだけ硬く見積もって存続可能な範囲で経営するつもりです」
「現在でも昨年の半分以下でやっています。さらに予算を下げるならそれなりの知識のある人間が必要でしょう。私たちは当然もう身を引きます。あとは残ったスタッフの上で河野さんが指揮してもらえば…」
河野が突然大きな声で重松社長の話を遮った。
「それはできません」
「経営をおかしくしてしまった人たちにサポーターや地域の人が再び支援を申し出るとは思えません」甲高い声が会議室に響き渡る。
「それでは、表現は悪いですが素人の方だけでやると」
それは正に俺のことだなと神妙な顔つきで二人のやり取りを傍観する。
「横浜FCはボランティアや有志が中心になっていると聞いています」
「ほ~そうですか」重松さんが椅子に背をあずけながらしばらく沈黙した。
重松さんは1998年からのリストラで、とにかくベルマーレを存続させることを最優先に親会社や関係各方面に奔走してきた。
J2に落ちることは前提でもあり、それでもしっかりとした基礎と柱を残せば必ずクラブは成長するという信念を、長くサッカー界を見てきたベテランとして持っていたんだと思う。
おそらく引き続きJ2で戦うためのリストラ策と存続策の青写真も考えてあって、残す人間の案を伝えたかったのかもしれない。
一方河野は全く分からない世界に国会議員というリスクを抱えて参入することになった。地元を常に熱心に歩き回る彼はどんな人からも慕われている。彼がやってくれるならという安心感がホームタウン中に広がっていたのも事実で、それは彼にとって計り知れないプレッシャーでもあったはずだ。ホームタウンに心配をかけている既存の組織を受け取ることなどできないと完全に切れてしまった。
言葉のやり取りは難しい。二人とも腹に変なものは抱えていない。二人ともベルマーレをなんとかしたくて頭がいっぱいだ。だだ二人とも会話の前菜は不要な方々で、まっすぐなパスを足元にほしいタイプである。
間に入った私と荒木常務の社会人としてのとても常識的な「大人のフォロー」は二人の耳には一切入らない。
重松さんが沈黙を破った。
「それではプロパーで雇った子が4人おります。この子たちだけでもお願いできませんか」
河野が返す。
「仕事の内容を見させていただいて能力の秀でた方であれば雇用させていただきます」
ロスタイムはなくこの日のゲームは終わった。
帰りがけの車でそれなりの経験者は必要ではないかと話しかけるが明確な返事はない。
車を降りがけに「横浜FCの奥寺さんに連絡を取ってくれる?それでスタッフはどうなっているのか聞いてほしい」
「俺が?面識もなく、ベルマーレの人間でもなく、新しい組織も、名刺もない俺が…どうやって?」
「電話で」
パスはまっすぐほしいタイプ、正確に足元に。
そんな環境下で若いスタッフと面会すればボタンの掛け違いが発生することは容易に想像できた。想いの熱い人が直接接触するとそのパワーは2倍になるとは限らず、時には爆発してしまうという事実を学んだばかりだ。
◆
数日後の夜、大神を訪ねた。
10人に満たない男性スタッフが待っていた。
肩書も所属組織もない私は何となく皆さんの仲間です、という自己紹介をして席に着いた。時計回りに次々に若いスタッフが自己紹介をする。こちらはまだ決まってないことが多いので説明が奇麗にできない。ということで出席者からの質問を中心に時間を送ることとした。次々に様々な想いと質問が飛んできた。
正直なところこちらには隠すことは何もない。ところがはっきり答えられないことが疑心暗鬼を生み出しこちらは言われっぱなしになってきた。同時に私のストレスもMAXになり冷静に話しながらも怒りが増してきた。答えたくても何も決まってないのだ。しかも多くの問いかけは私ではなくベルマーレ平塚の経営者に聞くべき内容で本末転倒だ。
しかし、しばらく聞き続けるとその原点は自らの心配よりベルマーレというクラブへの想いが多くを占めることに気づきだした。みんなベルマーレ平塚を本当に愛しているんだという本質を理解して大神のクラブハウスを後にした。ふと時計を見るともう日付が変わっていた。
何かをエイヤッと決め続けるあわただしい日々が続くなかチームの選手やスタッフに挨拶をする日がセットされた。
当然だが選手・スタッフも契約時期があり落ち着かない日々を送っている。決まっていること、話せることは少しでも伝えるべきと河野の希望で大神のクラブハウスへ向かった。
向かったのは何度か訪れたフロント棟ではなくチーム棟。玄関に近づくと、一人の女性が飛び出してきて大きな声ではつらつと挨拶をされた。
「おはようございます。今日はお忙しいところありがとうございます」手際よくスリッパを出され選手の集まる部屋へ案内された。
たったそれだけだがなぜかうれしくなった。
ここ何カ月か大神におじゃましていたが内容は切った張ったの相談だ。
丁重に対応してもらったけどやはりお互いなにか暗い。いつのまにか大神自体をそう印象付けていった。
ふと河野に眼をやるとやはりうれしそう。
だろうな、パス真っすぐだし。
選手たちに挨拶をし、伝えられる可能な限りの先の見えない将来を説明しチーム棟を後にした。
駐車場に歩きながら「さっきの女性はマネージャーさん?」
「そう、試合のときダボダボの青いジャージ来てネットにボール入れて運んでいるから、俺たちは青いサンタクロースと呼んでいる」
「スタッフ契約なんですかね」
「わからないけど重松さんの言っていた4人の内の一人かも」
「そうですか、一生懸命やっている子は残したほうがいいよね」
はつらつとした挨拶は秀でた能力ということなんだ、という基準がはっきりした。
足元にパスが通った瞬間だった。
11月中旬から週にとりあえず2日、小長谷社長が磐田から大神に来るようになった。小田原駅にピックアップに行き車で大神に向かう30分間が二人だけで話せる貴重な打ち合わせ時間。
採用するスタッフの話は小長谷さんから投げられた。私はここ1か月の経緯を伝えた。若いやる気のあるスタッフは残すべきだと思うなど私の考えを伝えた。同時に河野も考えが変わってきているけど迷っている、小長谷さんから残すスタッフに関して直接考えを伝えてほしいと頼んだ。
大神に到着して打ち合わせに訪れていた河野とすぐに話し合いになった。
「小長谷さんの考えはよく理解しました。現場の指揮官は小長谷さんですからお任せします。予算の数字からですとオーバーしてしまいますが大丈夫ですか」
「現状は足らないですね。でも皆で稼ぎましょう。皆、頑張れる連中ですよ。僕らはプロ球団なんですからチャレンジしなきゃいけないでしょう」
背中を押された河野も笑顔で快諾し、希望するスタッフとその日のうちに面談を始めた。
さすがに11人は厳しく1か月後にはグッズ担当に平塚時代も勤務していた菅泉が合流し、総務・経理の管理役として平塚信用金庫のOB服部が入社。虎キチの彼は六甲おろしを口ずさみながら煩雑な小クラブの業務をこなし続けた。選手も新人がいるんだからスタッフも新人を入れようという小長谷の意見で営業に竹鼻が新卒で入社した。
希望で荷重オーバーの難破船は一人三役のフル回転で難しい航海に舵を切っていく。
◆
※EPISODE-Ⅵはこちら
※このコラムは2004年に発行された湘南ベルマーレクラブ10年史に「インサイドストーリー:フジタ撤退から湘南ベルマーレ蘇生までの真相(眞壁潔著)」として掲載されたものです。今回のEPISODE-Ⅴからは新たに書き下ろしされました