ボイス
【ボイス:2020年4月18日】鈴木冬一選手
その夢を叶えた大きな選択
「正直、小学校中学校までは結構自分のなかでも思い描いていたようなサッカー人生を歩んでいたんですけど、中学から高校っていう成長角度がすごくある時期に分岐点があったというか。高校は、その3年間でプロになれるかなれないかが決まる時期。中学までの楽しいだけのサッカーじゃなくて、本当にプロになることを意識しますし、大学も選択肢に入れるのかを考えたり。そういうなかで、試合に出られなくなってしまった。試合に出られれば良いプレーができる自信はあったんだけど、現実は高1高2と全然出られなかったし、ベンチにも入れなかった」
ユースの試合には出られなかったが、J3リーグに加盟しているセレッソ大阪U-23の試合には出場している。
「ユースの監督が思い描いていること、求めていることができなかった。その要求が理解しきれなかった。でも試合に出られていないのが現実で、それを変えたかった」
プロになる目標を達成できるかどうかの危機感を感じた。そこで、サッカーを始めるきっかけを与え、何かと鈴木選手をサポートしてくれた父をはじめ、サッカー人生に関わってくれた人に相談。そのなかで、長崎総合科学大学附属高等学校が選択肢に上がる。
「小嶺(忠敏)先生という偉大な監督がいて、昔から厳しいことでは有名で、行くならうまくなれるところというのはもちろんあったんだけど、むしろ厳しいところでもう1回1年間自分を叩き直すというか、鍛え直してくれるような監督のもとに行きたいと思った。それで小嶺先生のところに行きました」
高校のサッカーとJクラブの下部組織とでは、サッカーというよりは生活自体が違う。鈴木選手にとっても毎日が驚きの連続だったようだ。
「サッカーも鍛えられましたけど、一番は人間性というか。我慢することを覚えたし、犠牲心というか、自分を犠牲にしてでもチームのために戦うところだったりというのは、自分にとって得たものだと思う。そういうことを理不尽という人もいますけど、そういう経験をして、今、プロのサッカー選手になれて、去年いろいろなことがありましたけど、それを乗り越えて自分の足元を見つめて進んでいけていると思っている。この1年間は、プロになる前の最大の分岐点だし、大きな選択だった。でも良い選択だったと思います」
長崎総合科学大学附属高等学校でサッカーをするなかで、ベルマーレの練習に参加した。
「1週間弱だったんですけど、1日が終わるごとにチームに溶け込めたし、1日ごとに成長できてるなって感じられる1週間でした。選手もチームの雰囲気も良くて、練習に参加したのは、ルヴァンの準決勝の前とかだったんですけど、ピリピリしてるなかでもしっかりチームとして受け入れてくれているような関わり方をしてくれた。このチームでやりたいなって思っていたので、『来てください』と言われたときは、すぐ『行きます、行かせてください』と言いました」
長年、セレッソカラーのサッカーに染まってきたが、ユースとC大阪U-23での経験、そして高校への転入を経て、柔軟に対応することにも慣れた。
「プロになったら誰もが加入したチームのサッカーに合わせなければいけない。そのうえで自分のプレーを出せるかどうかというところ。まずはプロのチームに声をかけてもらえたのが嬉しかった。合う合わないじゃないし、入ってからが厳しいということもわかっていたので、まずはプロになれて良かった。セレッソのアカデミーを辞めた頃は、高校を卒業したらプロになるという夢も無理になるんじゃないかと思ったんですけど、最終的に小さい頃からの夢をひとつ叶えられて良かったです」
今はまた、次の夢を叶えるために。今度は、ベルマーレで切磋琢磨の日々を送る。