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【リアル】石原広教選手

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目標から「使命」に

ジュニアからトップチームへ駆け上がった石原広教選手はプロ3年目の昨季、周囲の反対を押し切り、初めてクラブを飛び出した。1年間の時を経て、生え抜きが得たものとは――。

■スタメンを掴むまで
――石原選手は昨季アビスパ福岡でプレーしました。移籍の経緯を教えてください。

石原 僕は小学生の頃からずっと湘南で育ってきたので、ほかのクラブのこと、サッカーだけでなく経営の仕方やフロントの雰囲気を見ることが絶対必要だと思っていました。もし引退後も湘南で仕事をすることになったらと考えると、タイミング的にもそのときしかないと思った。クラブには強く反対されて、長いあいだ話し合ったからリリースもギリギリでしたけど、それでも僕は行きたいと言って、最後は理解してもらった形でした。送り出してくれてクラブには感謝しています。

――出場機会を求めた移籍ではなかったのですね。

もちろん試合に出ることは大事だと思っていました。でもそれと同じぐらい、ほかのクラブのやり方を見たいという気持ちは大きかったですね。

――昨季を振り返ると、出場停止となった第12節までは試合に出たり出なかったりでしたが、第13節以降はほぼすべての試合にフル出場しました。

石原 僕が出場停止になった試合を影山さん(影山雅永U-20日本代表監督)が観に来ていて、そのすぐあとにU-20ワールドカップの代表メンバーが発表されました。実際、出場停止があろうがなかろうがたぶん選ばれないだろうと思っていたから驚きはそんなになかったですけど、でも悔しい気持ちはあった。そこからですかね、自分のプレーを信じてやるというところで迷いが消えて、練習も自分がやるべきことだけをしっかりやれた。チームで立ち位置を掴むのもそこから始まったかなと思っています。

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――迷いとは?

石原 初めてのチームの戦術に馴染めなくて、そこから自分のプレーがなにかも分からなくなった。たとえばプレスなら、福岡はひとに行くというよりスペースを埋める。攻撃も決まった形があって、最初の頃はオーバーラップもするなと言われていた。外国人の監督で言葉が通じないのも初めて。おもしろいサッカーでめちゃくちゃ勉強になりましたけど、湘南とは真逆のことをやっていたから、最初はちょっと難しかった。ファビオ監督にはその頃、自分はいまサッカーが楽しくないと話していました。

――ハッキリ言いましたね。

石原 言いました(笑)。いや、チームの戦術ではなく、自分自身が、という話。練習のあと、監督に最近どうだと言われて、あまり試合に出られていない時期だったし、話すべきだと思ったから通訳のひとと3人で話しました。その会話は間違いなく大きかったですね。

――それがシーズン序盤の、出たり出なかったりの時期のことですね。

石原 そうです。だから試合に出なかったのは、一度外から見て考えろと、監督が休ませてくれたところもあります。僕が初めての移籍だということを監督は知ってくれていたから、その難しさは分かってる、それでも夢中になってやれと言ってくれました。

――そんなふうに向き合ってくれる監督でよかったですね。

石原 そうですね。そういう話をしてから、監督はチームの戦術のなかでもここは前に行っていいぞというふうにうまく俺を活かしてくれたので、変に考えることはなくなりました。そのまま使い続けてくれたこともありがたいし、自分のプレーを出せるようになってからはチームのサッカーだけに集中し、自分のやるべきことに夢中になって取り組めた。そのとき言われたことはいまでも強く残っています。とくに体の向きはつねに言われていたので、守備の感覚がよくなったし、ラインも揃えられるようになった。また、ファビオ監督はサイドバックから攻撃が始まるサッカーをやっていたので、自分が仲間を使わなければいけなかった。僕はそれまで背後に抜けたり味方に使われてきたので、難しさも感じましたけど、いろいろ教えてもらいながら、いままでとは違うプレーを少しはできるようになりました。

■メンタルと技術
――環境が変わり、生活面で苦労はなかったですか?

石原 めっちゃ肌が荒れました(笑)。理由は分からないですけど、最初ほんと肌荒れがひどかったです。しかも体調も一度崩したんですよ。いままで海外に行っても体調を崩すことはなかったので、なにかしらストレスを抱えていたのかなと思います。サッカーがうまくいってなかったのも原因かもしれないし、環境の変化も多少はあったかな。

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――福岡では残留争いも経験しました。苦しい経験からどんなことを得ましたか?

石原 勝てないとみんながどんどん悪いほうに考えてしまい、チームの雰囲気がマイナスになっていくのをすごく感じました。シーズンの最初の頃は試合に出てなかったから僕も自分のことで精いっぱいでしたけど、試合にコンスタントに出られるようになってからは、チームを引っ張っていかなければいけないと思い、自分が感じていることや湘南で教わってきたことをプレー中ずっと言ってました。僕は若手だけど、自分はなにをするべきか、自分になにができるか、若手なりに考えながら練習していた。プレーで引っ張るとか試合中チームを鼓舞するとか、負け続けている時期に自分は成長できたと思っています。

――そうした前向きな思考は、福岡で学んだことですか?

石原 もともと自分はそんなに考え込むタイプではなかった。でも移籍当初はひとつ悪いことがあるとどんどんネガティブな気持ちになっていき、それでたぶんハマってしまったと思う。そういうメンタルの持ち方は、去年あらためて気付けたところですね。

――たしかに石原選手はメンタルが強い印象があります。

石原 アカデミーの頃から鍛えられていたし、もともと負けず嫌いなので、負けて心が折れるようなことはまったくなかった。メンタルが弱いタイプではないと思います。

――石原選手はヘディングが強いですが、それも負けず嫌いに通じますか?

石原 それはあると思います。空中戦に負けたくないので、たとえば相手のゴールキックが来るまえとか、「絶対負けねえ」と思ってから跳んでいる。ただ、ヘディングの強さのおおもとは、たぶん子どもの頃にGKをやっていたことにあると思います。できるだけ高いところで当てるのはずっと練習していたし、空間認知やジャンプのタイミングは勝手に体に染みついているはず。自分では正直分からないですけど、その頃の経験は大きいんじゃないかなと思います。

――いまのヘディングの話然り、たとえば浦和との開幕戦で見られた、サイドチェンジを足元でピタッと止めてドリブルを仕掛ける一連のプレーもきちんと技術がなければできない。石原選手は気持ちが前面に出る選手というイメージが強いですが、自分の技術についてはどのように捉えていますか?

石原 間違いなく上手くはないです(笑)。ただ、プロ1、2年目のときに、そういうところはめちゃくちゃ練習しました。

――2017年と2018年ですね。

石原 はい。1年目の2017年は健二さん(高橋健二コーチ)が来た年で、健二さんに全体練習後ずっとトラップ練習を見てもらっていました。ほぼ毎日のように、ロングボールやイレギュラーなボールをしっかり自分のやりやすいところに置く練習をした。高校時代は正直、基礎トレなんて気にしていなかったんですけど、プロに入ってから基礎の大切さに気付いて、もうめちゃくちゃやりました。1年目のときは(神谷)優太くんと安東(輝)くんと(宮市)剛くんと一緒に見てもらい、さらに個人でもやってもらった。最初は全然できなくて、毎日ロングボールを蹴ってもらって止めるとか、単純な基礎練習とか、たぶんそこに関しては誰よりもやっていると思えるぐらい健二さんにずっと見てもらいました。いまはそのときの経験が活きています。ロングボールのファーストタッチは自信を持って足元に止めることができる。

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■福岡での1年で手にしたもの
――クロスについてはどうですか?

石原 クロスはまだ全然です。

――精度が上がったのでは?

石原 クロスが上手くなったとみんなからけっこう言われるんですけど、もともとキックはそこまでヘタではないと思っているし、単純に去年試合でクロスを上げる本数が異常に多かったから(笑)、その経験のおかげだと思います。以前は速いボールしか蹴れなかったんですけど、いまは柔らかいボールとかワンタッチクロスとか、いろんな種類のボールを蹴ることができる。まだミスは多いし、もちろんまだまだですけど、試合中のシチュエーションに応じて、どういうボールを上げればいいかを頭に入れながら蹴り分けはできていると思います。

――左右も関係なく?

石原 そうですね。左のクロスも意外と自信があります。

――練習ではコーナーキックを蹴るシーンも見られますね。

石原 福岡では、セットプレーの練習のときに毎回蹴っていたし、公式戦でも何本か蹴っています。……たしかに去年はフリーキックの練習をたくさんしていたので、いろんな種類のキックを蹴れることに繋がっているかもしれないですね。落とすボールもけっこう練習したし、コーナーキックも相当蹴ったので、単純にキックの本数は去年多かったかもしれない。だから巻くボールとかは、少しは上手くなっているんじゃないかな。

――フリーキックも蹴っていた。

石原 公式戦ではたぶん1回しか蹴ってないです。ペナ前ぐらいからの直接フリーキックで、いつも蹴っていた鈴木惇選手に蹴らせてくれと言って蹴ったら普通に壁に当てました(笑)。でも去年はたぶんそういう自信があったんだと思います。練習でもいいフリーキックを決めていたので。

――去年はシーズンを通して試合に出続け、いまの話のようにプレーの幅も広がった。つまり福岡で手にしたのは、あらためて言葉にすると、自信でしょうか。

石原 そうですね、それはあると思います。自分のプレーを出せばやれるという自信を持てるようになった。J1を戦った2018年のシーズンの最後のほうも、湘南で自信を持ちながらプレーしていたと思う。福岡でも、最初はできなかったですけど徐々にそれを実現して、単純に冷静に自分のやれることだけやるということを意識できるようになりました。

■変化した言葉の重み
――今季1年ぶりにベルマーレに復帰しました。福岡で手にした自信は、シーズンが開幕して以降も揺らぐことはないですか?

石原 ないですね。波がなくなったと思います。やれることだけをやる、自分のプレーをするということを意識してできている。変なミスが減ったことも大きいかなと思います。やはり去年たくさん試合に出たことが大きいかな。

――1年間離れてみて、あらためてベルマーレに対して思うことはありますか?

石原 スタッフがみんな、湘南ベルマーレというクラブが好きで色々やってくれていることを、外に出てすごく感じました。

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――クラブ愛が強いということでしょうか。

石原 そうです、クラブに関わるひとたちみんなが、ベルマーレをよくしようという気持ちを持ってやってくれているとすごく思いました。

――石原選手自身、人生の大半をベルマーレで過ごしてきて、クラブに対する想いは並大抵のものではないのでは?

石原 「湘南のために」という気持ちは間違いなくほかのひとたちより持っていると思います。

――新型コロナウイルスの影響でレギュレーションが変わるなど難しいシーズンになりましたが、どのような意識で再開に臨みたいですか?

石原 いままでもチームに貢献するという言葉を口に出してきましたけど、正直それは現実的にできていなかった。練習からしっかりやることはできていたかもしれないですけど、試合にはあまり出られていない。試合に出て活躍して貢献することが目標でしたが、でもいまは、やらなければいけないという気持ちです。

――石原選手のなかで、それが目標から使命に変わったということでしょうか。

石原 はい、その気持ちがすごく大きい。去年湘南が苦しい時期にいられなかったこともありますし、「チームのために」という言葉の重みがいままでとは違う。試合に出て活躍することを実行しなければいけないと思っている。言葉だけを見たらこれまでと同じかもしれないですけど、今年はほんとうに強い気持ちでチームのために戦いたいと思っています。

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TEXT 隈元大吾
PHOTO 木村善仁(8PHOTO)