ボイス
【ボイス:11月27日】島村毅選手の声
10年の時を積み重ねて成就した願い。よろこびのまま勢いよく飛び込んだ先に待っていたのはトップリーグならではの華やかさとレベルの高い実力主義の容赦のなさ。今シーズンは、その厳しさを骨の髄まで思い知った。しかし、この経験も昇格したからこそ。身を以て感じたこの現実は何よりの宝だ。選手やコーチングスタッフはもちろん、クラブにとっても未来への糧となる。
今回は、この経験を糧に大きな成長が期待される世代の代表、島村毅選手をクローズアップ。前線から最終ラインまでを担うポジションへの思いとともに、苦しい戦いの連続を強いられるJ1の舞台で大量失点を浴びながらも一矢を報いるゴールを決めるなど折れない強さを見せた、その心の姿勢を追った。
気持ち的に結果オーライ!
回り道したフォワードでのプロデビュー。
今年、プロ3シーズン目を迎えた島村選手が入団した時のポジションは、フォワード。恵まれた体格は将来への期待感を誘ったものだが、1年目のシーズン途中でディフェンダーにコンバートされた。そこには、当時指揮を執っていた菅野前監督からの勧めがあった。
「入団してちょうど半年経った頃、怪我人が多くて紅白戦をやるのに人が足りなくてセンターバックに入ったんです。その時はとりあえず、という感じでしたけど、雄三さん(田村)と一緒にやって、結構しっくり来た。自分でもやりやすかったなと思っていたら、次の日くらいに菅野監督から『フォワードよりも可能性があるぞ』と。『やれ』ではなくて、自分で選ぶ権利を与えてもらって、『ぜひチャレンジしたい』と自分自身で選んで、センターバックにコンバートとなりました」
大卒の選手は、即戦力とはいかないまでものんびり構えている時間はない。そんな焦りと戦いながらも入団してからの半年間は自分自身を見直す時間となり、日々フォワードとして練習をしながらも、自分の将来を描くのが難しい状況を感じていた。
「半年やってみて、レギュラーの選手と自分を比べた時に足りない部分が多すぎて1年で試合に出場するのは難しいなと思っていた。大卒は、1年目でも試合のメンバーに絡めないとやっぱり先行き不安なので。自分自身、行き詰まってる部分を感じていた時だったから」
結局、菅野前監督時代にリーグ戦に出場することはなかったが、『そのまま継続して行け』と言われた言葉は今でも記憶に残る。その後、反町監督が就任した。
「監督の交代は不安もありましたけど、むしろチャンスだと思った。監督は誰のことも知らないから最初からディフェンダーとして見てもらえる、インパクトが与えられるチャンスだと」
アピールは早くに実って、2009年シーズンは開幕直後から控えメンバーに名を連ねた。もちろんこの頃は、正真正銘ディファンダーの控えとして登録されていた。ところが、6月14日第21節対FC岐阜戦でプロデビューを果たしたポジションはフォワード。本人曰く『フォワードの選手に怪我が続いたから』という理由での抜擢で、状況としてはディフェンダーにポジション変更をした1年前と同じだった。この天の配剤の妙を前向きにとらえるのも島村選手ならでは。一度は手放したポジションでプロデビューできたのはラッキーだったと語った。
「長い間やってきただけにフォワードをやるのには戸惑いがない。攻めるのは楽しいし、やっぱり好きなポジションだから。その次に出た時には緊張も和らいだし。それに慣れたポジションで試合の空気感を感じられていたので、ディフェンダーで出場した時も戸惑わなかった。『これからはディフェンダーでいく』と決めているけど、やっぱり最終ラインはリスクが高いポジションだし公式戦も未知のもの。だからディフェンダーでデビューするよりフォワードの方が自分の気持ちはラクでした。どのポジションで出てもデビューはプロとして大切な一歩、その一歩が踏み出せたし」
どんな状況も自分にとって良く思える観点から物事をとらえる心の姿勢を保てるのが強み。加えて、デビュー戦の評価も上々。反町監督が、『シマはふてぶてしいところが良い』と独特の言い回しで表すのが、この心のありようだ。この姿勢が、さまざまなポジションへのチャンレンジとともに試合出場のチャンスを呼び込むのだろう。
左サイドバックが試合経験自分比No.1!
自分なりのスタイルの確立が課題。
コンバートがこれだけで留まらなかったのは、ベルマーレを応援する誰もが知るところ。フォワードからセンターバックへ転身し、さらにサイドバックも担うことになった。しかも現在、もっとも試合出場の機会が多いポジションは左サイドバックだ。
「去年、初めてサイドバックをやった時は、とにかく失点しないことに重点をおきました。余計な、色気づいたプレーはせずにできることをやろうと。1年くらいやってきているけどJ2とJ1を比べるというより、サイドバックが未知の経験だったので常にいっぱいいっぱい。そのままJ1に来てしまって相手のスキルは上がっているので、環境やレベルに慣れるのに必死のまま今に至っているという感じ。それでもとにかくこのポジションについて圧倒的に経験がないので、自分の出た試合のビデオは全部チェックして、『へたくそだな』って思いながらも、少しでも良くなるようにと思ってやっています」
守備をしながらも好きな攻撃に絡んでいけるサイドバックは島村選手にとって魅力があるように思えるが、タッチライン際を上下動する独特のスキルと絶妙な攻守のバランスが要求される分、センターフォワードからセンターバックへのコンバートより戸惑いがある。
「センターバックよりも攻撃の起点になることが多いので、その分難しい。左足が使えないので自分なりのスタイルで、時に上がって行って切れ込んで右足でシュートっていうのが理想なんだけど、そこまでできてない。右サイドの幸平さん(臼井)が攻撃的でどんどん仕掛けるから、やっぱり両サイドバランス良く攻めるのが一番良いと思うので、もうちょっと攻撃に絡めるようにしたいとは思ってるんですけど。
それに元フォワードと言っても突破してクロスとかそういうタイプじゃなくてゴール前で泥臭く点を取ってきたので、器用な攻撃力が要求されるサイドバックを1年で極めようというほうが難しい。基本的にうまくないし、器用でもないから。
そうはいっても試合に出るのが最優先、監督の指示に従うのが大前提ですし、両方やってディフェンダーとしての幅が広がればいいと思う…けど、やっぱり一番はセンターバック。できたら集中してやりたいですね」
どのポジションを指示されても前向きにとらえて自分ができる最大限の努力は練習から怠らないが、それでもサイドバックを自分のポジションと思い切れないのには、理由がある。それはやっぱり、一大決心して選んだセンターバックというポジションへのこだわりだ。また、複数のポジションをこなせる強みは便利に使われる分、じっくりと1つのポジションに取り組めない歯がゆさにも繋がる。しかし、何を考えてもその行き着く先は決まっている。
「チームとしては自分が出ていない試合でも勝ちたい。その気持ちは変わらないけど、メンバーから外れれば悔しいから奪い返そうと強く思う。それに自分の評価は試合に出場した時に勝たないと上がらないと思うので、結局はその2つということになる。
試合に出るための自分の戦いがあって、リーグで結果を確保するためのチームとしての戦いがある。うーん、やっぱりまずひとつ勝ちが欲しい。それをきかっけに、自分が出ている試合で連勝してレギュラーに定着したいです。
それでも今年は、去年よりも試合に出ているので充実はしている。でもやっぱり結果がついてこないって言うのは本当に苦しい。去年はもっと明るく振る舞えたのに。この世界は、勝たなければ笑えない」
ポジションよりもこだわっているのは、試合に出ることとその試合で勝利すること。試合出場を勝ち取って笑いたい、そして試合に勝って笑いたいのだ。
どんな状況でも折れない心が武器、必ずこの舞台に帰ってくる。
出身は早稲田大学。在学中、レギュラーポジションは取れなかったが、途中交代で出場しては最後までとことんゴールを狙うハンターぶりから“早稲田の虎”と異名を取った。
「大学時代は、ハングリー精神がすごかった。フォワードだったこともあってどん欲な姿勢で得点を狙っていたし、実際点も取れていたので、いつしかそう呼ばれるようになりました。ホント、ファイターっていうかガツガツ系(笑)。ディフェンスになってちょっと冷静になった感じですね」
途中出場の選手に与えられる時間はそれほど余裕があるわけではなく、その中で結果を出すためには失敗を引きずっている暇はなかった。前向きに切り替えることを繰り返して得点を重ねてきた。ミスに悪びれず次のチャンスを狙う姿勢は悪く言えば、『淡々とプレーしている』ように人の目に映ることもあったが、常に前だけを向いてきたことには自負がある。そんな島村選手の折れない心が垣間見えたのが、プロ初得点を挙げた第20節の対浦和レッズ戦。4失点の悔しさをエネルギーに変えてアディショナルタイムに一矢を報いた。
「大学時代から、結構気持ちは強かったですね。常に心が折れずにここまで来れたことが、うん、やっぱり自分の武器。大学では、正直言ってレギュラーじゃなかったけど、プロになってJ1で戦っている。フォワードを捨ててでも、試合に出ているし。気持ちの切り替えもホントに早いです。ハートには自信があります」
自分自身の得点は未だ1得点だが、昨年を含めて劇的なゴールのアシストや硬直したチーム状況を打破して攻撃の起点になっている記憶も多い。
「6失点しても、心、折れないです。1点取りにいこうと僕は思う。もちろんまずそんなに失点しちゃいけないんですけど。でも、失点していても1点を取っているということは悪い状況の中でも良いこと。うちはみんな気持ちの強い選手が多いと思う」
こうやってどんなに厳しい状況にも気持ちを強く持って前を向いてきた今シーズンだった。しかし、11月14日に行われた第30節対清水エスパルス戦の結果で最終節を待たずにJ2への降格が決まったことは、選手にとってもやはりショックだった。心が折れることはなくても、この痛みは人一倍感じている。
「サポーターには、最後まで応援してくれたのに申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
負けたら降格という状況にまで追い込まれたチームのモチベーションは、わずかに残った可能性をできる限り伸ばしたいというその一心。思いは繊細だったが、チームは力強く積極的に仕掛け、果敢に攻める戦いぶりで試合の主導権を握り、途中でゴールマウスが壊れるというアクシデントにも集中を切らすことなく戦かった。しかし、前半終了間際に一瞬の隙をつかれて失点。結果的に力の差を見せつけられることとなった。
それでも自分たちが手にしたものをサポーターに報告しなければならないのがピッチに立つ選手の責任。湘南から駆けつけたサポーターが声も出せずに呆然と立ち尽くすゴール裏へ挨拶に行って、あらためて失ったものの大きさを感じた。そして、喪失感に包まれながら戻ったロッカールームで、清水のサポーターからのベルマーレコールと、それに応えてエールを返すベルマーレのサポーターの声を聞いた。
「泣きそうになりました。必ずまた同じ舞台に戻ってこなければいけないという責任を感じていたけど、その声が聞こえて申し訳ない気持ちと、それでも応援してくれる、また頑張ろうと思えた。それは、うれしかったです」
今シーズンは、悔しい思いを経験することが重なる。降格が決まった次の節には、優勝に王手をかけた名古屋グランパスをホーム平塚競技場に迎えた。
島村選手は警告の累積による出場停止もあってこのピッチに立つことはかなわなかったが、だからこそチームメイトの戦いぶりと、優勝チームの弾ける喜びを冷静に見た。
「優勝チームを目の前で見て感じたのは、うらやましいというのが一番だけど、僕もいつか優勝したいと思いました。本当に楽しそうだった。
試合は、目の前でそんなにきれいに優勝されるのはやっぱりイヤだったので、チームとして勝ちたかった。みんな良い試合をしていたと思います。結果は残念でしたけど。でも、降格は決まってもチームとしては良い方向に向かってることを表せたと思う。だからこそ、残りの試合でプライドを見せたい。そして経験として得たものはたくさんあるので、ここで学習した結果を来年しっかり出したい。今のところ最下位だけど、1つでも順位を上げるという今シーズン最後の目標があるので、それを達成して来シーズンに良い形で繋げたい。そして、来シーズンも試合に出てJ1に上がりたいです」
観る側にとっても10年ぶりのJ1の舞台は新鮮なものだったのではないだろうか。リーグ自体が熟成されて選手のスキルも上がり、戦術や駆け引きにもサッカー文化の進化が感じられた。リーグごとにらしさや良さはあるが、トップリーグはやはりあらゆる要素がそれぞれに輝く魅力を放つ。
「J1は、毎試合毎試合苦しい試合の連続。だからこそ、自分も含めて全体でレベルアップして、対等以上に戦えるチームになりたいし、なっていかなければいけない。それに厳しいですけど、やっぱりJ1にいなければサッカー選手として成功したとは言えないから」
なぜJ1をめざすのか。それを選手達が体感した1年だった。この気持ちの熱さを来年に繋げることが、トップリーグへ返り咲く早道だろう。
取材・文 小西なおみ
協力 森朝美、藤井聡行