ボイス

【ボイス:2018年11月30日】石原広教選手

ここまでの道を切り開いた
ライバルとの切磋琢磨
 サッカーを始めたのは、幼稚園の頃。幼なじみの齊藤未月選手とは、いつ出会ったのかさえ覚えてないほど、小さい頃から一緒だった。

「幼稚園から一緒なので、いつから一緒だったかはわからないけど気づいたら一緒だったし、気づいたら二人ともサッカーをやっていたっていう感じです。
 サッカーを始めたのは、小学校のチームがあって、そこに幼稚園の子も入れるよっていうことで、そこに未月もたまたま入って。サッカーは、何がと聞かれると難しいですけど、とにかく楽しかったです。そのまま続けて、藤沢のデパートの屋上にスクールがあって、そこに小学校3年生から入って。その頃からベルマーレの試合を観に行くようになりました。それでセレクションを受けたんです。Jリーグの下部組織っていうのに憧れがあったし、身近にあったのが良かった。セレクションは、何回落とされたかは覚えてないですけど何度も落とされました(笑)」

 小学校4年生の10月からジュニアに加入し、ゴールキーパーとして小学校時代を過ごした。その後、ジュニアユースに上がるときにフィールドプレーヤーに転向している。ここで紆余曲折があった。

「身長の問題もあったと思うんですけど、キーパーで将来があるのかということで。内部昇格のセレクションはゴールキーパーで受けたんですけど、フィールドプレーヤーを一般のセレクションで受けました。僕自身としては、どっちでもいいからとにかくジュニアユースに上がりたいという気持ちが強かったんで、両方受けて。クラブとしても難しい判断だったみたいですけど、クラブも懸けてくれたと思うんで、そこは本当にありがたいです」

 ジュニアユースではサイドバックや4-3-3の前の3枚のサイド、ウイングのポジションを担った。その後、怪我でサッカーができない時期が続いたが、復帰後は4バックのセンターバックにポジションを移し、定着。最終ラインを担うようになってからは上の年代の練習にも呼ばれるようになり、中学3年生のときには齊藤選手とともにユースの練習に加わった。ジュニアユースで確実にフィールドプレーヤーとしての評価を高め、ユースへの昇格は問題なく果たした。
 その後、ユースからは、齊藤選手が一足早く2種登録からプロ契約に至ったが、石原選手も1年遅れになったとはいえ、高校3年生で2種登録され、公式戦デビューも果たしている。ここまでくればトップチームへの昇格は間違いないものと思われるが、実はデビュー戦の出来事が昇格に大きな影響を与えた。

「デビュー戦は、途中出場なのに怪我して交代してしまって。自分で『ちょっと無理そうです』と言ってしまったのは、すごく甘かった。曺さんからは『これからプロになる選手として、ユースを代表するような選手がデビュー戦の舞台でそんなに情けない姿を見せて、本当にプロとしてやっていけるのか』っていう話をしてもらって。プロの責任感とか全然考えてなかったし、メンタルの弱さも改めて感じた。クラブとしても何をしているんだっていう感じだったと思うし、正直、自分ももうこれでプロにはいけないと思いました。やっぱりあの痛みなら我慢してプレーを続けなきゃいけなかったと思う。そこから曺さんにはずっとずっと言われたし、だいぶ怒られました。今になればいい経験ですけど、その当時は最悪な出来事でした」

 曺監督も怪我をしている選手に無理をさせることを目的に怒ったわけではない。この後の人生を左右するかもしれない試合に対する自覚が見えなかったことがもどかしかったのだろう。それでもなんとか石原選手はトップチームへの昇格を手にする。

「本当に感謝しなくちゃいけない。いつかクラブに恩を返せたらと思います」

 この間、抜きつ抜かれつ並走し続けてきたのが齊藤選手。常に互いの現在地を確認するライバルとして存在した。

「最近はちょっと抜かれっぱなしですけど。ジュニアユースの頃は、俺だけが(上のカテゴリーに)上がっていたんですけど、そこから未月が先にプロデビューして、代表も未月が先に入ってる。でも、本当に切磋琢磨してやってるなっていう感じはすごくあります」

 今シーズン、二人が同時に公式戦のピッチに立つ時間は、多くはなかった。しかし、わずかな時間のなかでも互いをわかり合っていることが観る側にも伝わるプレーがいくつかあった。その一つが8月22日、等々力陸上競技場で行われた天皇杯ラウンド16対川崎フロンターレ戦のワンシーン。1点ビハインドの65分に途中投入された齊藤選手はボランチのポジションへ。ほぼファーストタッチのプレーで右サイドをペナルティエリア付近まで突破し、そこで時間を作って石原選手の上がりを待ち、サイドを駆け上がった石原選手が深い位置からクロスを供給して、大きなチャンスを作った。この日の試合、石原選手はこの時までサイドを思い切りえぐるプレーはなかった。

「あそこで、『一個(ワンテンポ)待て』って声をかけて、後ろから『上がるぞ、回るぞ』みたいな話をしたと思う。多分未月も俺の良さはわかってくれてると思うし、あそこで俺が上がってくるのを絶対感じてると思います。そこであいつもタメを作ってくれた。一瞬のコミュニケーションがありました」

 阿吽の呼吸でわかりあえる、そんな絆があるのかもしれない。その二人が久しぶりに一緒に招集されたのが、10月から11月にかけて開催されたAFCU-19アジア選手権への代表メンバー。この大会には、2019年にポーランドで開催されるFIFA U-20ワールドカップの出場権がかかっていた。

「これで追いついたなんて思えない。でもいつかは二人で湘南の選手としてA代表に入っていけたらいいなと思います」

 また、この選出はリーグ戦での結果があればこそ、という思いもある。

「一番は、湘南で試合に出られたのが呼んでもらった要因だと思う。試合に出てアシストできた、日本を代表する選手と試合して普通にプレーできたところを見てもらえたっていうのが本当にうれしい。試合に出るといろんな人に見てもらえるんだなって感じたし、サッカー選手としては試合に出ることが本当に一番大切だと思う」

 U-19代表への招集は、試合に出ることこそ未来を開くことを肌で感じる出来事だった。これもまたライバルとの切磋琢磨の賜物。次の扉を開くために、今日もまた全力でプレーする。

取材・文 小西尚美
協力 森朝美