「ベルマーレがある街で育って良かったなぁ」って最近改めて思っています。どうも猪狩です。長くなります(笑)
ベルマーレとの出会いは小学校低学年。
当時暴れん坊の象徴といわれたベッチーニョ選手がそれはもうとんでもなくカッコよくて、ドリブルやシュートやすべてが憧れでした。
そんな憧れを持った気持ちと同時にベルマーレのプロの選手になってこの平塚競技場(現Shonan BMW スタジアム平塚)で得点を決めたいと思うようになり、サッカー選手というよりはベルマーレの選手になりたいと夢を抱きました。
今思うと、サッカーをやらせてくれたこと、そしてベルマーレの試合に連れて行ってくれた両親に感謝、ですね。
中学生から運よくベルマーレのジュニアユースに加入できました。
当時は大神グラウンドが練習場で片道1時間半強をかけて軽快に自転車で通っていました。それが今の太ももの太さに繋がっています。
それからユースで3年間を過ごし、念願であったベルマーレの一員としてプロの世界に行くことができました。
しかしそこからが本当の現実でした。
今まで当たり前のように試合に出られている人生から一変、まったく試合に出られない、メンバーにも絡めないという状態になりました。
今思うとなんでもっと自分に矢印を向けられなかったのかと思いますが、当時は試合に出られなかったことを「どうしてこんなに良いプレーをしているのに試合に出してくれないんだ」とまわりにばかり矢印を向けてプロ1年目を過ごしてしまいました。
本当にもったいない時間を過ごしてしまったと思うと同時に、自分が生きてきた過程の中では一番の壁であり、ただその経験を今でも思い出すとまだまだやれることがある、今しかやれないことがあると身が引き締まります。
そんな自分がプロ8年間の中で考え方が変わった一番のターニングポイントは2年目の佐川印刷SCへの期限付き移籍でした。
今まで「自分は絶対ベルマーレでサッカーをやるんだ」「ベルマーレしかないんだ」と、とにかくそれしか考えられなかった頭が自分のプレーも人生の幅も勝手に狭めていたことに気づきました。
アルバイトもしたことがなかった自分が午前中はサッカー、午後は工場での仕事という生活をする中でふと、「サッカーってどんな環境でもどんな状況であっても楽しまないと」と思う瞬間があり、その瞬間、勝手に自分で自分の肩の上にどっさりと乗せていた様々な重荷がなくなり、不思議とそれからはプレーも上向いていきました。
3年目に再びベルマーレに戻り、とにかくどんな状況であれ自分ができる最大値のものをチームのために出したい一心で練習をしました。
その当時監督だったのが反町監督。
サッカーをこんなにも頭を使って、考えてプレーをすることがあるのかというくらい毎日が刺激的でした。反さんとはあまり1対1で話すことがない中で、たまにミーティングで名指しで褒めてくれることがものすごく嬉しくて、試合に出られても出られなくても、チームのためにできることをやるという意識が強く身に付いたと感じます。
念願だった平塚競技場でのゴールもこの年でした。アジエルからのパスからのトラップ、決まった瞬間の感覚、昔から思い描いていた景色、それが現実になった喜び、今でも鮮明に覚えています。
生涯で公式戦1ゴールでしたが僕の人生の宝物です。その夜実家に帰った時の親父との握手も。
大きなケガもありました。
プロ4年目、ジュビロ磐田とのアウェイ戦、後半途中から出場した矢先、相手選手と接触して右ヒザ前十字靱帯損傷という人生初めての長期離脱となりました。いざ自分がそのようなケガをすると、治ると信じながらも不安な気持ちが強かったです。
でもそんな中でも、ぶつかりながらも毎日自分の膝を気にしてくれるトレーナーやスタッフ、明るく声をかけてくれるチームメイト、何より「待ってるぞ」と声をかけてくれるサポーターの皆さんの声が復帰への道を明るく照らし続けてくれました。
復帰までに1年2カ月かかりましたが、その時間の中で改めて多くのベルマーレに関わる方の優しさや期待を感じることができたことは本当に良かったと感じています。
プロ5年目はユース3年時に監督をしてくれていた曺さんが監督となり、また新たな気持ちでサッカーに取り組みました。
「全員が戦力」という言葉は今も変わらぬチームのスタイルですが、当時その言葉は自分の中でモチベーションを常に高く保てる言葉でした。現に自分の調子と比例して試合のメンバーに絡める、そんな感覚がありました。
曺さんは本当に選手一人ひとりを見ています。その選手の今のメンタル的な部分もよく言い当てられます。たまに違うけど。
「おまえって結構繊細だよな」と曺さんにはよく言われましたがその通りだなと今でも思います。
最後のプロ生活は福島ユナイテッドFC。
ベルマーレと提携関係にあるチームで最後にサッカーができたことは次の道へ進むためにもかけがえのない時間でした。
引退をしてからも現役時代共にプレーしていた同年代の薫や亮太や憲ちゃんを見ていると、うらやましさもありつつ、たるんだ体と心に毎回刺激をいただいています。
長々といらないことまで書いてしまいましたが、何が言いたかったと言いますと、自分が成長してきた時間すべてに「ベルマーレ」があって、それはこれからも変わらないんだろうなと。
僕より長くベルマーレを応援している方も50年の歴史があればたくさんいると思います。そんな皆さんとこれからベルマーレを好きになる、ベルマーレの未来を担っていく皆さんと共にこれから先も進化し続けていけたらなと思い描いています。
「ベルマーレがある街で育って良かったなぁ」
【About IGARI YUKI】
平塚で生まれ平塚競技場のゴール裏に通った少年時代を経て、2001年に湘南ベルマーレJr.ユースに加入。2004年にユース昇格、高校3年時には2種登録でトップにも登録され、2007年に子どもの頃からの目標であったベルマーレでのプロ選手となる。
勢いのあるドリブル突破が持ち味で、ハードワークを惜しまずゴールに向かってプレーする姿が印象的な選手。
Jr.ユースから数えて12年間をベルマーレで過ごし、2014年に現役を引退。2015年からは湘南ベルマーレのフロントスタッフとして、選手時代と変わらぬハードワークと明るく前向きな姿勢でクラブの発展に情熱を傾けている。