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【ボイス:2017年5月24日】島村毅選手

ボイス 島村選手

J1の上位で戦えるレベルを目指して今季も切削琢磨
ゴールへの思いもいっそう熱く!

常にスタメンに名を連ねているわけではないけれど、
いつ、どんなタイミングで、どのポジションに配されても
誰をも納得させる存在感を持つ。
ルーキーイヤーから数えて10シーズン目を迎えた島村毅選手が語るのは、
常に自身の成長と向き合う日々。
今季は、再びフォワードとしてプレーすることも期待され、さらなる新境地の開拓に挑む。
10代の頃から変わらぬゴールへの思いと、向上心と。
湘南スタイルの一面がここにある。

ディフェンダーになっても変わらない
ゴールへの思い

 2008年に大卒ルーキーとしてベルマーレに加入した島村毅選手。大学時代は、最前線を得意のエリアとし、ボックス内で見せるゴールへの執念から「早稲田の虎」と異名をとったフォワードだ。ところが加入後半年が経った頃、当時指揮を執っていた菅野将晃元監督(ノジマステラ神奈川相模原監督)がディフェンスへコンバート。それから10シーズンの時を経て、今やすっかりディフェンダーとして定着している。
 
「それまで点を取ることにこだわりを持ってやってきましたし、ディフェンダーになるっていうのは、守ることをそれほど考えてプレーしてこなかったなかでの真逆。菅野さんに『ディフェンスをやってみないか』と言ってもらって、僕のなかで本当に考えて覚悟を決めて『チャレンジさせてください』と言ったんですけど、今はその判断は間違ってなかったなと思います」
 
 フォワードとして自信を持って加入したプロのサッカークラブ。描いていた夢は、ストライカーとしてのブレイクだった。けれども日々の練習のなかでプロのレベルという壁にぶつかる。悩みの最中で導かれたディファンダーへの道だった。
 
「ゼロからのスタートだったし、本当に最初は何もわからなかったんで、基礎からコツコツ積み上げていくしかなかった。そのときの監督もそうですし、コーチの小笠原(唯志氏:長野パルセイロ強化ダイレクター)さんや浅野(哲也監督:長野パルセイロ)さんに若手練をやってもらって、チームメイトや先輩にも教えてもらって。まだまだ下手くそですけど、あの頃に比べたらディフェンダーとしてもちょっとずつできるようになってきたんで、頑張ってきてよかったなと思いますね」
 
 ルーキーイヤーのコンバートから始まったプロサッカー人生は、そのあとも山あり谷あり、決して平坦な道のりではなかった。とはいえそれも、その時々の自分自身の力と向き合い、努力を重ねて前に進めばこそ拓けた道だったと言える。
 
 時計の針を戻して、これまでの歩みを振り返ってもらった。
 島村選手がディフェンダーとして起用されるようになって2年目、2010シーズンはクラブとして11年ぶりにJ1の舞台を戦った年。自身は、プロ3年目にして初めてJ1への挑戦となった。しかし、結果は厳しいもの。その年のリーグ戦は3勝7分24敗で1年で降格となった。
 
「もうズタボロでしたね、自分のところから何点も何点も失点しましたし。
 J2の頃は、勢いと身体能力でなんとかやって、J1昇格の試合でもプレーできましたけど、J1に上がったときに壁というか。J1は一瞬の隙でやられちゃう。J2ではごまかしが効いた部分でもJ1では完膚なきまでにやられたというか。それでもね、自分でもまだまだだというのはわかっていたことなんで、ちょっとずつ成長していこうと思っていました」
 
 トップリーグでの戦いで突きつけられたのは、ごまかしようのないそのときの実力。自分自身の力を見つめ直す経験を経た島村選手は、翌年に向けて改めて成長を誓った。
 そして、成長の場として選んだのは徳島ヴォオルティス。2011シーズン、島村選手は期限付き移籍を選択した。
 
「必要としていただけた話だったんでチャレンジするしかないと思ってました。行ったときは帰ってこられるなんて思ってなかったですけど、本当に自信を失ったタイミングで、知らないチームでポジション争いをして試合に出るということにまた1からチャレンジさせてもらえるということで、毎日を大切にしようと思って過ごしました。あの1年は、シーズンを通して試合にも使ってもらって、また成長させてもらって、そのなかで5点くらい取れて、自信を取り戻せました」
 
 移籍後初ゴールは徳島ホームで迎えたベルマーレ戦で挙げたものだった。
 
「あの年の1点目が湘南戦で、あれで勢いに乗れた。あんなに気合が入った試合は今までにもあんまりないですけど(笑)」
 
 ディフェンダーにコンバートされても島村選手にとってゴールは特別なものに変わりはない。実際、得点を取ると自身の調子が上向くばかりか運までも引き寄せる。
 
「あんまり調子が上がらないなというときでも僕の調子を上げるきっかけになってきたのはやっぱりいつでもゴールだったんで。シーズンが始まってベンチスタートが続いたときに初めてのスタメンで点が取れたりっていうのもありましたし、チームとして公式戦初勝利に持っていけたときもありましたし。それで得点が取れるとシーズンを通して調子が上がっていったりする。フォワードの選手は点を取ると調子が上がると思うけど、そこはフォワードの選手と一緒。昔から変わらないです」
 
 ポジションをディフェンダーに変えても、ゴールへの思いは変わらない。ベルマーレ戦で挙げた得点は、その後の徳島での選手生活に大いに影響を与えた。
 
「大事な試合で点を取れたことが『やれる』っていう自信になりました。試合にも出て、たくさん点も取れた。当時監督だった美濃部(直彦氏:長野パルセイロゼネラルマネージャー)さんも選手に近い距離で接してくれる人で、いいときは褒めたりいじったり。悪いともうずっと怒られてましたけど。そのときも湘南で一緒にやっていた小笠原さんがコーチで、細かく指導してくれて。あの1年間は大きかったですね。J1では本当に辛い思いをしたし、きつかった。頑張っても頑張っても負けちゃうというか、やられちゃう部分があったから。そのなかで移籍して試合に勝てる喜びだったり、試合に出られる喜びをすごく感じられて、サッカーの楽しさを思い出せたのがあの1年間だったかなと思います」
 
 シーズンが終わる頃、島村選手の選択肢は2つになっていた。徳島に残るか、ベルマーレに戻るか。どちらのチームも2012シーズンは、新しい監督を迎えることだけが決まっていた。
 
「どちらも新しい監督だから1からのアピール。競争があるならもう1回湘南で戦いたいなという思いがあったんで、戻ってきました」

>まだまだ向上心を持って!J1の上位で戦える選手を目指して