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【B.L.T! ~勝利への思い:4月10日】仲間 – 財津俊一郎

blt_01_01「そのでっかい旗、むかし持ってたんスよ」そう言って指差す壁には、クラブのフラッグが張られていた。
「たしか小学生のときだから、いまとは柄が違います。まだ中田英寿さんがいたころ。虜になって観るほどではなかったし、なんでって訊かれてもとくに理由はないんだけど、ただ純粋にベルマーレが好きでした。持ってた旗は、ベルマーレとエスパルスのふたつだけ」

 財津俊一郎は今季、清水エスパルスから移籍加入した。複数受けたオファーのなか、最初に会ったのが菅野将晃監督だった。ただ、交渉の席に着くよりも前から、心はすでに決まっていたという。理由はどうやら、何気なく好んでいたこの少年時代に端を発しているらしい。「やっぱりサッカーは好きなチームでやったほうが楽しいでしょ。エスパルスもそうだったんですよね」そう言いながら、二十歳になったばかりの青年は屈託なく笑った。

 東海大付属第五高校を卒業後、幼いころより憧れていた澤登正朗氏が在籍する清水で2年間を過ごした。入団したてのルーキーFWはトレーニングマッチでゴールを量産、シーズンに入るやクラブ史上初となる高卒新人の開幕戦出場を途中交代ながら果たしている。だがその後は次第に公式戦から遠ざかり、結局、J1のピッチに立ったのは4試合、天皇杯をあわせても計5試合の出場にとどまった。

 しかし出番の有無とは関係なく、清水での2年間は彼にとって意義深い時間だったようだ。「エスパルスで揉まれたからこそ、いまがあるのかなって思います」と語る。
「FWだけでなくサイドハーフやサイドバックと、いろんなポジションをやらせていただき、成長させてくれた。素直にありがたいと思ってます。仲間にも恵まれましたしね」

blt_01_02「仲間」とは、いわゆる「05年組」と称される清水の同世代プレイヤーたちだ。なかには、U-22日本代表に名を連ねる青山直晃や枝村匠馬も含まれている。

ただ、離れた仲間たちを気遣い連絡こそすれど、晴れ舞台にさほど興味はない。思えば、初めてU-16日本代表に招集されたときからそうだった。「こんなこと言っちゃいけないかもしれないけど」と前置きしつつ、振り返る。
「代表に行きたくなかったんですよ、インターハイとか大事な試合があったから。もちろん呼ばれたからには勝つためにプレーしますよ。でもそのあいだに自分のチームが負けたら悔しくてたまらないし、申し訳ないって思う。チームメイトに迷惑をかけたくないんです。自分のチームで、負けたら皆んなで泣き、勝てば皆んなで喜びたい」

 かように所属チームを大事におもう気持ちは、高校時代に培われた。といっても、よい思い出がすべてではない。「あのころは悩みに悩みました」と吐露する部活動は、上下関係が厳しく、先輩からの理不尽な仕打ちが日々、繰り返された。やるせなさのあまり、サッカーをやめたいと思い詰めることさえしばしばだった。だが、そんな苦い経験があってこそ、いまがあるのだろう。以来、なによりも仲間を重んじるようになった。そして、そのおもいはベルマーレでも変わらない。

「監督に恩返しがしたい」と、財津は言う。
「エスパルスで出場機会がないオレを、練習試合まで見に来て呼んでくれた。話を聴いたときも、ありがたいと思いました。じゃあ自分になにができるんだろうって考えたら、言葉で感謝するのではなく、行動で示すしかない。チームメイトもすごいひとたちばかり。恵まれてるなって思います。オレ、“欲”って大嫌いなんだけど、ベルマーレに来てからは、楽しいから勝利に対して貪欲になりました。昇格して、皆んなで監督を胴上げしたい」

 開幕から右サイドバックとしてスタメン出場を続けている。だが、「本来の強引さがまだ足りない」と、自身のプレーに満足はない。自分らしさを追い求める先に、新たに手にした仲間とともに最高の喜びを分かち合う日を、財津は思い描いている。

TEXT BY Daigo KUMAMOTO

PROFILE
隈元 大吾 -Daigo KUMAMOTO- 1973年生まれ フリーライター
オフィシャルハンドブックをはじめ、「J’sGOAL」「MARE」等でベルマーレに関する執筆活動を展開中。
※「B.L.T」は「BELLMARE LOCK ON THE TOP」の意味

COMMENT
取材といいつつ、いつも選手たちからパワーをもらってます。そんな彼らのエナジーが少しでも伝わりますように。