馬入日記
【馬入日記:11月27日】岩尾選手が母校・西邑楽高校で講演!
岩尾選手が母校である群馬県の西邑楽高校の創立39周年記念式典にて講演を行いました。
全校生徒700人以上、さらには保護者の皆さんなどもいらっしゃったため、体育館にはかなりたくさんの方が岩尾選手の話を聞くために集まっていました。
厳かな雰囲気の中、開会の挨拶や校歌斉唱が行われるなどの式典ののち、いよいよ岩尾選手が紹介されました。
日本体育大学時に教職免許を取り、教育実習の経験もある岩尾選手、いつも小学校で夢についての授業を行う「ベルせん」でも、本物の先生のような落ち着き、そして授業の進め方の上手さがあります。
でも今回は、なんといっても人数が多い!そして静かに話を聞く張りつめた緊張感でさすがの岩尾選手も緊張した様子。
今回お話した演題は「未来は今の積み重ね」というもの。
学生時代の、そしてサッカー選手としての経験を語るものでした。
ずっと「サッカー選手になりたい」という夢・目標を抱いていた岩尾選手。3度の手術などたくさんの壁もありました。その壁を越えようと努力したからこその説得力がありました。
これから夢に向かっていく後輩たちに、今が大切であることを熱心に話しました。
「僕は最初から才能があったわけではないし、決して完璧な人間でもありません。高校時代はプロになりたいという一心で過ごしました。生活の中には、いろんな誘惑があります。でも、どんな誘惑にも立ち向かってほしい。僕は、自分の人生を振り返って後悔したことは一度もありません。あの時に戻りたいと思ったこともないし、あの時もっとやっておけばよかった、もっと勉強しておけばよかったと思ったこともありません。やるべきことは、その時々でやり切ったと思えるからです。皆さんも、これからの人生は一人で歩んでいくしかないのです。もちろん、周りの人に支えられていることや出会いに感謝して生きていくのですが、誰かが助けてくれるわけではない。本当に自分を助け、信頼できるのは“自分がやってきたこと”だからです」
岩尾選手は西邑楽高校で初めてのJリーガーです。そして、いまは毎年のようにJリーガーを輩出している日体大も、岩尾選手がプロになった時は十数年ぶりでした。
「無名だった」という岩尾選手が狭き門であるプロ選手になれたのか、それは他ならぬ本人の努力です。
当時の岩尾選手を知る先生方も「サッカーだけじゃなくて、勉強も本当に真面目でした。周りがどんなにうるさくしていても、流されることは絶対になかった」と話しておられました。
また、講演の中では手術が繰り返され、一時サッカーを辞めようかと考えた時の話に。その時に出会った、同じ入院患者の方との出会いによって自分の考えを大きく変えることができたと話しました。
事故により両足を切断しなければならなくなったというその方と、様々な話をし、「自分の悩みがいかにちっぽけであるかを痛感した。その方が“オレにはまだできることがある”と言った言葉、その出会いが僕を蘇らせてくれました」と。
また、今回の講演にあたり、その方と連絡を取り、生徒たち向けにいただいたメッセージも披露しました。
そして最後に「自分なりのやり方でいいので挑戦してほしい。僕は、私は全部やり切ったと、そう言えるように、そういう姿勢で取り組んでもらいたいと思います。どうか後悔をしないように」とメッセージを送りました。
その後、生徒たちからたくさんの質問がありました。
また、せっかくなので…ということで優勝シャーレを持っていき、皆さんにも見ていただきました。
最後に、こちらは3年間お世話になったサッカー部の牧先生と。
様々なことを学んだ母校での講演。岩尾選手自身も貴重な経験をしたようです。