馬入日記

【馬入日記:3月31日】フットサルクラブ 久光選手が新たなチャレンジ!

湘南ベルマーレフットサルクラブの久光選手が新たなチャレンジをすることとなりました。
昨年、右上葉肺腺癌と診断され、治療を続けてきた久光選手、今年2月9日の試合で、治療を続けながらも公式戦に出場するというこれまでにはない形で復帰を果たしました。

そして、新しいシーズンも引き続き選手としてベルマーレでプレーすることとなります。
そんな中、この4月より新たなチャレンジをすることとなりました。
今日は特別に、久光選手のインタビューをお届けします。

新たなチャレンジとは、まず選手としてプレーしながら、6年もの間、馬入ふれあい公園のサッカー場の管理人の仕事をしてきた久光選手ですが、4月1日よりこの仕事から離れることとなりました。

「来季も選手としてベルマーレでプレーさせてもらうことになって、あと何年、選手としてできるか分からない中で、プレーヤーとしての時間を大切に使いたいと思って、今回ここを辞めるという決断をしました。今までは選手をやりながら仕事をすることが当たり前でしたが、それが当たり前にできなくなってしまった。そんな中でも選手としてやらせてもらえるという環境があるのは自分にとって本当に幸せなことです。その環境を用意してもらった以上、まず選手としてしっかりやり切りたいし、責任を果たさなければいけないと思っています。生活という意味では、正直先は見えないところもありますが、やり切った先にまた見えるものがあるんじゃないかと思っています」

まずは選手としての責任を果たしたい、という想い。それは、ある意味病気になったからこそ、心底感じられたことでもあるようです。

「生活もすごく大事なんですけど、癌という病気になって感じたのは、人間誰しもいつ死ぬか分からないということ。そういう中で、僕は自分のやりたいことをやり切るということが、しやすくなったんです。自分が今まで臆病になっていたことも、“気にすることじゃないな”と。チームでも言わせてもらったことがあるんですけど、何でも、1秒後には過去のことになる。過去を取り返そうと思っても変えられないし、例えば負けた試合とか悔しい思いを取り返すために過去に戻ることはできない。1秒前のことを考えるのか、1秒先のことを考えるのか、それによって変わってくる。僕自身は、なんでこんな病気になったんだろうって考えても仕方ないので、次に何ができるのか、今やるべきことはなんなのかを考えるようになりました」

今やるべきことは何か。自問自答するうちに答えが見えてきました。

「馬入でお世話になったことは自分の大きな財産だけど、今、自分にしかできないことがあるんじゃないか、と。人と同じではいけないなと思ったんです。自分にしかできないことをやって、何かを残したい。そういうことを考えていた時に、対がん協会の方とフットサルリボンの話があったり、いま同じ病気で大変な想いをしている人に何かできないかという気持ちも強くなっていきました。当然、仕事を疎かにすることはできないし、フットサルの選手としての仕事も疎かにしてはいけない。だから、まずベースとして、フットサルの選手としての仕事を全うし、プラスαで自分にしかできないことを仕事に変えていければ一番いいのかなと思いました」

馬入の管理棟で6年。いつも子どもたちをはじめ、分け隔てなく誰とでもしっかり向き合う姿勢で、多くの利用者の皆さんに頼りにされていました。

「多分、選手だけやっていたらそんなに知り合う人もいなかったと思うけど、ここで仕事をして出会った人がたくさんいたので本当にいろんな方から声をかけてもらいました。毎朝ランニングしている方とかゴミ拾いをされている方と話したり、子どもたちと話したり。サッカー選手との出会いも僕にとっては財産です。会えなくなるのは寂しいですけど、小田原アリーナに来てもらえれば会えるし、逆にサッカーをやっている子どもたちには、一生懸命サッカーを続けて、大きくなった時に僕が会いにいくような存在になってもらいたい。今のユースの子たちにも、プロとして活躍するような選手になって“あの時の管理人、覚えてるか?”っていう話をしたいですね」と久光選手らしい言葉。

子どもたちはもちろん、サッカーの選手たちも互いに影響を受ける存在でした。

「サッカー選手からも本当に多くのことを学んだんです。例えば、若い選手に話しかけているベテラン選手を見て、ベテラン選手が去った後に若手選手がすごく嬉しそうな顔をしているとか、気持ちの入った顔をしているとか。そういう振る舞いを見て、僕は翌日にフットサルのピッチで学んだことを活かすことができた。ケガ人の選手の頑張りも見ていました。祐也(中村選手)のことは、もう尊敬以外の言葉は出ないですね。そうやって普通は見れない光景を見させてもらって、この職場、本当に嬉しいなって思っていました」

ところで、復帰戦となった2月9日の府中戦のことを振り返って、話を聞きました。

「あの試合に出られたのは、相根監督とチームメイトの存在があったからです。あの時、実は肉離れを2回した後で、試合前のアップの時にいつ切れてもおかしくないなと思ったくらいでした。でも、あの試合に出て肉離れしても悔いはないと思ったし、あの試合が自分の最後の試合になってもいいというくらいの気持ちでいました。ピッチに入った時、うまく言えないんですけど、相手のサポーターや相手チームの選手も含めて、全員が味方だと思うような瞬間がありました。治療を終えてからの復帰というのは今まであったけど、治療を続けながらピッチに立つというのは誰もやっていなかったし、自分がプレーすることによって、与える希望が大きいと、先生にも言われていました」

短い時間ではありましたが、ピッチで戦う姿を見せ、そして試合後にファンの皆さんと握手をしながら、久光選手自身がたくさんの人から勇気をもらったそうです。

「あのピッチに立つことで僕が得たものもたくさんありました。最後に握手をした時に、今日初めて来たという方もたくさんいて、新聞を読んできましたとか、同じ病気です、自分の父も同じ病気です、とかいろんな声をかけてもらった。これからも応援してますって言われたら、僕も頑張らなきゃいけないし、同じ病気の方に会って、一緒に頑張りましょうって声を掛け合えた時に、なんだかすっと抜けるような、僕は一人じゃないし、僕が頑張ることで勇気づけることもできるんだと思えました」

かなりの無理をしてでも、どうしてもピッチに立ちたかったのはなぜか?と聞くと、こんな話が。

「僕にとって相根監督はフットサルを始めたきっかけの人なんです。もうサッカーを辞めていた21歳の頃、ナオト・インティライミと仲が良くて、ボールを蹴りに行こうと行ったところにイタリアから帰ってきたばかりの相根さんがいたんです。その時に、午前中、時間あるなら自主トレ付き合ってくれよって言われて。その後、相根さんが町田の前身のカスカヴェウでプレーすることが決まったから、お前も一緒に来いよと言ってもらって…。それでフットサルを始めたんです。その出会いがなければいまここにいることもない。監督の熱さ、フットサルとサッカーは違うんだと、フットサル選手としての意地をずっと植え付けられてきました。監督として湘南に来られたことは運命だと思っていました。すごく厳しいところもあって、お前、そんなもんじゃないだろ、もっと上を目指せよと。この年になってすごく怒られて。そのお陰で目が覚めたというか、やらなければいけないという気持ちが強くなったんです。そう思った時に、この病気になった。だから、絶対に戻らなきゃいけないと、その責任を果たさなければいけないと思っていました。あのピッチには絶対に立たなければいけないと思っていたんです」

不屈の精神でピッチに立ち、その姿は、多くの感動を呼びました。

そして、今回、対がん協会より「フットサル大使」に就任することが発表されました。
昨年12月より日本対がん協会のフットサルリボンアドバイザーとして、デウソン神戸の鈴村拓也選手とともに活動を推進してきましたが、今後はフットサルリボン活動だけでなく、がん教育や啓発活動などにも幅広く携わっていくこととなります。
久光選手にとっては、また新たなチャレンジとなるのです。

「まだ32年しか生きてないですけど、いろんなことは偶然で起きることはないんだろうと思います。すべては必然で起きている。僕が癌という病気になったのも、自分の体が無理をしていたところもあったんだと思う。みんなに可能性がある中で、自分がこうなったというのは、変えられない事実だし、自分の中で見直さなければいけないと思っています。ただ、自分が癌になって、いろんな方と話すことがあって、いろんな気持ちを伝えてもらうこともあって、これから先、自分がやっていくべき道ができたと思います。その道で、濃い人生を送っていくためにはまた自分の頑張りが必要なんだろうなと思っています」

どんな時も歩みを止めない久光選手。
馬入を離れるという決断は寂しいことですが、これからのの久光選手に、さらに期待が高まります。
ぜひ、様々な場面で活躍していく姿に、ご期待下さい!
そして、ぜひ小田原アリーナへ会いに行って下さい!