湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」

湘南ベルマーレ20周年記念コラム「志緑天に通ず」第2回

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EPISODE-Ⅱ TORANOMON
1999 Autumn President

episode2-1

「存続」が決まったと発表され、誰が社長をやるのか、さまざまな噂が飛び交った。「ベルマーレ平塚の重松社長が続投」「市の助役ではないか」「森県会議員かもしれない」--誰もがその答えを1日でも早く知って安心したいと気を揉んでいた。
暦はすでに10月に入っていた。この時期はどのチームも来シーズンに向けての準備に入っており、大神のベルマーレの事務所では焦りの色が見え隠れし始めていた。

その頃、仕事で香港にいた私は、まったく英語の通じないタクシーで何とかホテルに到着し、チェックインを済ませるとへのベッドに荷物を放り投げた。
異国の地での仕事で疲れた体をベッドに横たえようとした時、部屋の電話が鳴った。香港に知り合いはいただろうかと訝しがりながら、私は受話器を取った。
電話の向こうから聞きなれた甲高い声が響く。河野だった。彼はいつも通りいきなり本題に入る。
「今日、吉野市長と松上商工会議所会頭、室賀委員長と話し合って、僕が新しいベルマーレの代表の任を受けることにしました。でも、サッカーに関しては僕は専門外。だから以前話していた、Jリーグから社長を派遣してもらうという話を進めてほしいと思ってる。つまり僕が代表取締役会長となり、新たにJリーグから来てもらう方にベルマーレの新しい社長をやってもらおうと思う」

いつものように、こちらが意見する間もなく河野の口からポンポンと言葉が放たれる。
「明日の飛行機で帰ってこられないか?」
土台無理な話だった。私は今着いたばかりで、明日はアモイで大事な仕事があった。
「7日には帰るから、その後ではダメ?」
河野は私に会って伝えたかったことを話し始めた。
「それでは香港に滞在する3日間で、開幕に向けて、ベルマーレがどう動けばいいか考えておいてほしいんだ。今日市長に、国会議員である自分では限界があるから眞壁に一緒にやってもらう、そう伝えたんだ。しょうがないでしょう。僕も腹を決めたんだから、眞壁さんも腹を決めてくださいよ」
話の展開があまりにも性急で、私は返事もできないでいた。
「心配しなくても新しい会社を興してベルマーレが開幕を迎えるまでだから」
強引なやり方はいつものことだった。
「わかったよ」と答え、週末、日本で再会することを約束して私は電話を切った。

3日後、中国から帰国した私は、すぐにJリーグの中西大介氏に電話を入れ、品川駅前の料理屋で会った。私は彼に、河野がベルマーレの新しい会長となり、社長に相応しい人物の紹介をJリーグに希望していることを説明する。
「それじゃすぐにでも河野さんにJリーグに挨拶にきていただけませんか?」
「わかりました。議員会館からJリーグならすぐ近くですし。アポ取りだけお願いしますよ」

中西氏はJリーグホームタウンサミット開催の窓口になってくれた企画部の若手で、私とは馬が合った。加えて彼は逗子に住んでいることもあり、ベルマーレのことを何かと心配してくれていた。
社長をJリーグから派遣してもらうという案は、以前サガン鳥栖の立ち上げにJリーグから社員が派遣されたという彼の話から思いついた。
彼の手筈で河野は川淵三郎チェアマンを訪ね、社長派遣のお願いを伝えた。川渕氏は快諾してくれ、数日後には電話で「ジュビロ磐田の小長谷喜久男」という人の名前が河野の元に届けられた。
そして、15日11時45分、当時虎ノ門にあったJリーグ事務所での「お見合い」がセットされた。小長谷氏も突然で驚きを隠せず、まずは我々の構想を聞かないことには受諾の返事が出せないとのことだった。とにかく会って話してみるしかなかった。

当日、虎ノ門のビル群の合間から見える空には雲が低く垂れ込め、今にも泣き出しそうな雰囲気だった。河野と二人でJリーグ事務局を訪れた。

すぐに我々は応接室に案内された。その扉は開けられたままで、すでに背筋を伸ばしてソファに腰かけている男性の姿が見えた。
河野が挨拶の声を発すると、その男性は立ち上がって張りのある声で挨拶を返してきた。今回のお見合いの仲人役の佐々木一樹事務局長が、これまでの簡単な経緯の説明を終えたのを合図に、河野の甲高い声とその男性の張りのある声がテンポよくラリーを始めた。
「正直どのくらいの予算規模を想定されているんですか?」
「地元のサポーターの盛り上がりはよく耳にしますが、実際J2になってどのくらいの観客が動員できるとお考えですか?」

的を得た質問が次々に発せられた。私はさすがサッカー界で長く活動してきた人物だと感心した。小長谷氏は端的に、ざっくばらんに、普通なら聞きにくいであろうことをズバズバと聞いてきた。何でも臆さずに話す彼の態度に、私と河野は好感触を持った。
そんな風に、1時間近いやりとりを続けた。我々に投げかけられた多くの質問の答えは「はっきりはわかりませんが」というものがほどんどだった。しばらく黙った小長谷は、我々の社長就任のお願いに対する答えを返した。
「お話を伺って、男として、サッカー人として、大変やり甲斐のある仕事だということはよくわかりました。ただ、今日のところはお返事はできません。申し訳ないですが、伺ったお話では私には今すぐ判断がつきませんので」
要するにゼロ回答だった。一瞬にして重い雰囲気が応接室の中を漂う。今日の結論は後日返答するということで、話し合いはここまでとなった。

私と河野、そして小長谷氏は、事務局長の計らいでビルの地下にある和食店で昼食を取ることとなった。各自、適当な定食をオーダーした後、河野がこれといった話題もなくなってしまったので今後の予定を説明した。
「25日には、株主を全員集めて今後の予定を話さなければいけないんです」
小長谷氏はおもむろに手帳を取り出してペラペラとページをめくった。
「残念ながらその日は、私が幹事を務めるゴルフのコンペがあるんです。だから平塚には行けなさそうですね。やっぱり縁がないんでしょうかね」
にっこり微笑んでつぶやいた。
小長谷氏の行動を見た我々は、回答はゼロではないかもしれない、とかすかな可能性を読み取った。改めて返答をもらうという確認を取って、ロビーで小長谷氏と別れた。

episode2-2

ビルを出て、外でタクシーを拾おうとすると河野が止めた。
「相談しながら歩いていこう」
我々は虎ノ門のビルの谷間を並んで歩いた。
「太郎はどう思う?」
「いくぞって感じの人でいいんじゃないかな」
「ただ、無理って答え方だったな」
「さっき手帳見て予定チェックしてたよ」
「まったく嫌だというわけじゃないのかもしれないな」
「川渕さんにもう一度お願いしてみようかな。なんとか口説いてくださいって」
先ほど会った小長谷氏の印象を話しながら外堀通りに出たところで、突然雨が落ちてきた。私は慌ててタクシーを探した。しかし河野はそれを遮るように言った。
「いや歩いていこう。まだ話もあるし」
雨に濡れながら、二人で議員会館へ続く坂道を、小長谷氏が引き受けてくれるかもしれないという希望と、断られたら次の手をどうするかという不安を、胸の中で肯定したり否定したりしながらゆっくりと歩いた。

10月28日は小長谷にとって、そしてベルマーレにとって運命の日となった。
小長谷はベルマーレの社長要請の辞退を告げに、Jリーグを訪れていた。そこで、自分には荷が重過ぎるとベルマーレに返答するつもりだと川淵チェアマンに伝えた小長谷は、チェアマンに諭された。
「男の人生は理屈抜きで『えいっ』と決めなきゃいけない時がある。ただ家族のことがあるから、今日は95%だけ決めて、残り5%は家族に相談してきなさい。あと1週間考えて答えをもってきなさい」

川淵氏のアドバイスを受け、小長谷は磐田に戻り、すぐ妻に相談した。
「お父さんは長い間サッカー界にお世話になったんだから、今度はお返しする番じゃないんですか」
この一言で、残り5%がクリアされたのだった。
チェアマンと約束した「1週間」後の11月5日、思い悩んだ影は微塵も残さず、彼はJリーグに赴き、記者会見に臨んだ。そこで湘南ベルマーレ新社長が小長谷喜久男に決定したと発表された。

そして、この日、ベルマーレにとってもうひとつの運命的な出会いがあった。
その日初めて小長谷と会った「お見合い部屋」を借りて新社長就任会見の打合せをしていた私は、忙しく部屋の出入りをするたび、強い視線を感じていた。そしてコピーをとりに出たそのとき、ついに視線の主をつきとめた。
一瞬目が合う。微笑むわけにもいかず目を逸らす。
その視線の主は、強化委員という役職でJリーグを訪れていた、加藤久氏だった。
部屋に戻り作業を進めていると、後から来た河野の早口な声が部屋に響いた。
「小長谷さん、外で加藤久さん見ちゃったんですけど」
「彼は今空いてる人なんだけどな。湘南の予算じゃ無理だな」

この時この部屋にいたメンバーは、まさか1ヵ月も経たないうちに加藤久のベルマーレ新監督就任記者会見を開くことになるとは誰も思わなかった。
しかし、河野会長、小長谷社長、そしてベルマーレを存続させようと立ち上がった多くのサポーターの熱意が伝わり、加藤は新生ベルマーレの監督に就任することを決意する。ベルマーレにとっては、まさかが現実になった、何度目かの瞬間だった。

episode2-3

11月27日、掛川の駅前のホテルで加藤と待ち合わせ、我々は1階のラウンジの人目のつかないコーナーに陣取って話を始めた。
「久ちゃん、これ見てくれる」
小長谷が出したのは全選手の年棒リストだった。
「来年はこの予算でやらなければいけない。だから、戦力はほぼ決まってしまっているんだ」
加藤はじっとリストを凝視している。しばらくこちらの話に対しても反応が少なかった加藤が、頭の中で何かが整理できたかのように突然話し出した。
「私はGKは重要だと考えています。だからGKだけは納得のいく選手を取りたいんですが」
この加藤の一言で、次々に具体的な話が堰を切ったように流れ出した。最後に加藤自身の年棒の話へ進むと「お金じゃないですから」と彼独特の笑顔を見せた。

時計は11時半を過ぎていた。
「じゃ、あとは奥さんと相談してよ。北口にうなぎのうまい店があってさ、今日久ちゃんに食べさせたいと思ってたんだよ。時間あるかい?」
この数時間後、ベルマーレ平塚はJ1最後のキックオフを迎えることになっていた。

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※このコラムは2004年に発行された湘南ベルマーレクラブ10年史に「インサイドストーリー:フジタ撤退から湘南ベルマーレ蘇生までの真相(眞壁潔著)」として掲載されたものです